愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第30回の前編。歌手の柏原芳恵さんが初めて買った愛車と久しぶりに対面した!
購入したBe-1は第一号車!
柏原芳恵さんは18歳になってすぐに、“事務所の方針”で運転免許を取得することになったという。
「俳優としてお芝居のなかで運転をすることもあるし、コマーシャルの仕事もあるだろうから免許は必要、という判断でした。でも免許取得をお仕事のスケジュールに組み込んでいただいたのは、ありがたかったですね。忙しかったのもあるし、ひとりで外を歩いたことがなかったので、自分だけだとどこをどうやって教習所に行けばいいのかわかりませんでしたから」
ひとりで外を歩いたことがない、というのはいかにも1980年代のスーパーアイドルらしいエピソードだ。超多忙なスケジュールの合間を縫って免許を取得した柏原さんは、やがて自分のクルマが欲しいと思うようになる。
「免許があるのにクルマがないのは悲しいです、なんて言った記憶があります。それでクルマを探すことになりまして、本当は格好いいスポーツカーに憧れていたんです。でも、いきなりスポーツカーは危ないというイメージが事務所にはあったんでしょうね。教習所の先生に、『元気のいい運転ですね』と、言われたこともありますし(笑)。社長さんをはじめとする事務所の方がいろいろ考えてくださって、話題になっているクルマがあるということで日産の『Be-1』を納車いただきました。そう、色もこの色で、懐かしいですね」
そう言いながら柏原さんが近づいた日産Be-1は、いま見ても愛嬌たっぷりで、魅力的だ。このクルマが生まれた背景を、簡単に振り返っておきたい。
日産は1985年の東京モーターショーに、Be-1を出展した。日産「マーチ」をベースにしたデザイン・スタディで、ネーミングは「B案のNo.1」に由来する。これが大反響を巻き起こし、1986年1月に日産は市販化を決めた。
Be-1は、デザインに特化したいわゆるパイクカーのはしり。パイク(pike)とは槍の先端という意味で、少量生産の尖ったモデルで新たな市場を開拓する考えだった。
日産はBe-1の成功を受けて、「パオ」や「エスカルゴ」といったパイクカーを相次いで発表していった。
また、Be-1のレトロなスタイリングが人気を博したことは、その後のフォルクスワーゲン「ニュービートル」やフィアット「500」などに影響を与えたようにも思える。Be-1はかわいいだけでなく、自動車史に残るエポックメイキングなモデルだったのだ。
閑話休題。
1987年1月、日産Be-1のデリバリーが始まる、ほどなく柏原さんのもとにも黄色いBe-1がやって来た。ここで柏原さんは、驚くべき体験をしたという。
「ある日、コンサートでホールの楽屋に入って、テレビをつけたんです。確か日曜日のお昼のバラエティ番組で、『日産Be-1の第1号車が納車された人はだれでしょう?』というクイズをやっていたんです。正解は柏原芳恵で、えっ、私なの? って(笑)。納車された時に、第1号ですと言われてはいたんですが、まさか自分の知らないところでクイズになっているとは思わなかったので、びっくりしました」
晴れて日産Be-1のオーナーになった柏原さんであるけれど、愛車との生活には厳しいルールが課せられていたという。
「絶対にひとりで乗っちゃだめで、近所だけをまわっていなさいと言われていました。でも、ドライブに行きたくなるじゃないですか。マネージャーさんをはじめとする現場スタッフで箱根に行って、山道のカーブを走ってご機嫌でした(笑)」
柏原さんにとって、運転席からの眺めは新鮮だったという。
「子どもの頃から助手席には乗せてもらえなくて、お仕事をするようになってからはメルセデス・ベンツの『Sクラス』の後ろの席が自分の応接間であり勉強部屋であり、仮眠室でした。自分の部屋もありましたけれど、クルマで過ごす時間が一番長かったので、歌の練習をしたり台本を覚えたりするのはいつも後席。だから自分で運転するようになって、運転席からの景色を見るのは楽しかったです。ただ、道は全然わかりませんでしたね。いつもドア・トゥ・ドアで目的地に着いていましたから」
当時の写真を見せていただくと、柏原さんが後席に乗っていたというSクラスは、2代目のSクラス(W126型)で、グレードは380SEL。W126型のSクラスは、1979年から1991年まで、12年にわたって生産された長寿モデルだった。
柏原さんの記憶では、当時、この年代のSクラスを定期的に入れ替えていたという。
はじめての愛車、日産Be-1との暮らしを満喫していたある日、“ひとりで乗っちゃだめルール”を破ったことがバレてしまう事件が勃発した。「もう時効ですから」と、やわらかくほほえみながら、柏原さんが回想する。
「それから夜な夜な抜け出して、海を見に行っていました。湘南の海沿いの国道134号線を走ったりしました。でも私は一歩も外には出ないんですよ。クルマの中からひたすら海を見て、それで帰る。でもある日、適当に走っていたらどこにいるのかわからなくなってしまったんです。横浜ナンバーのクルマに付いて行ったけれど……、いま思えばあの辺りはみんな横浜ナンバーですよね。こっそり抜け出したのに事務所に電話をしたら、『どこにいるんだ!』と。『そこから何が見えるんだ?』と、なって。うーん、橋が見えますとか、結局、(三浦半島の)油壺にいたらしいです(笑)」
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現代の「Cクラス」の祖先にあたるこのクルマは、当時のメルセデス・ベンツで最もコンパクトなモデル。1982年にデビューして、1993年まで生産された。サイズこそ小さいけれど安全性能や運動性能に妥協がない点や、ブルーノ・サッコが手がけたクリーンなスタイリングなどが人気を集め、現在でも中古車を探している人が多い人気車種だ。
「事務所としては安全を第一に考えて190Eに乗せたかったようです。でも、本当は黒が欲しかったのに紺のボディカラーだったし、やっぱりスポーツカーに憧れがあったので、割と早いタイミングでメルセデスの『500SL』に乗り換えることになりました」
柏原さんがお乗りになったSLは、「R129」というコードネームの4代目で、排気量5.0リッターのV型8気筒エンジンを搭載するモデルだった。
「ところがバブル景気もあってか、当時の日本ではSLが見つからなかったんですね。嘘か本当かはわかりませんが、ヤナセの社長さんも何年か納車待ちになっているという噂が流れたり……。そこで、アメリカから黒い500SLを輸入したんです。あのクルマはすごく気に入りました。停まっている時に電動でソフトトップを開けると、トランスフォーマーじゃないけれど変身するじゃないですか。注目を浴びましたね」
当時も今も変わらないルールで、柏原さんは仕事の現場へ入る時には絶対にハンドルを握らないという。「仕事に集中したいから」というのがその理由であるけれど、500SLに乗っていた当時、どうしてもご自身でハンドルを握って現場に入らなければいけないことがあったという。
「スケジュールの都合で、マネージャーとふたりで、私がSLを運転してロケに行かなければいけない日があったんです。帰り道、案の定、ふたりで道に迷ってしまって、そうしたら後ろから付いてくるクルマがあったんです。赤信号で止まると男性が降りてきて、怖いから青信号になった瞬間にダッシュして逃げました。ロケ地はちょっと郊外で、人通りが少なかったんですね。とうとう、赤信号で追いつかれて、男性が窓をコンコンと叩いて、キャーッとなったら、『芳恵ちゃん、気をつけてね』って(笑)。そういうことはちょいちょいありました。そんなある日『芳恵ちゃん、運転好きだよね、世界的なラリーがあるから出てみない?』という話が舞い込んできたんです。
後編となる次回は、柏原さんがオーストラリアンサファリラリーなどのモータースポーツに参戦したことや、フェラーリ「360スパイダー」を筆頭とする、現在までの愛車について振り返っていただく。
柏原芳恵(かしわばらよしえ)大阪市出身。1980年デビュー。1981年「ハロー・グッバイ」が大ヒット、日本レコード大賞でのゴールデン・アイドル賞など数々の賞を獲得。その後も1983年の「春なのに」をはじめ多数のヒットを記録し、紅白歌合戦2度出場、日本レコード大賞7年連続選出。俳優、ラジオ・パーソナリティなどマルチに活躍し、2020年に40周年を迎え、現在も精力的に活躍中。現在、J:COMテレビの『柏原芳恵の喫茶☆歌謡界』(毎週土曜日22:00~22:30)に、出演中。
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文・サトータケシ 写真・安井宏充(Weekend.) ヘア&メイク・冨沢ノボル スタイリング・間山雄紀(M0) 編集・稲垣邦康(GQ)
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