ジャガー史上で最も美しい名車の歴史を振り返る
ジャガーの創始者であるウィリアム・ライオンズは、「美しいモノは売れる」を経営上の哲学としていました。そんなジャガーの商品群の中でも、ひと際美しいと評判の高かったモデルがスポーツカーのEタイプです。しかも美しいだけでなくレースでも速さを見せつけていました。そんなEタイプを振り返ってみました。
まさに「絶世の美女」! ジャガーEタイプは何故「世界でもっとも美しいスポーツカー」と称賛されるのか
サイドカーの生産からコーチビルダーを経て自動車メーカーに
ウィリアム・ライオンズとウィリアム・ウォームズレイ。仲のいい友人同士だったふたりのウィリアムズが1922年に設立した、スワロー・サイドカー・カンパニーがジャガーの原点です。その名の通り、オートバイのサイドカーを生産する会社でしたが、やがて自動車のボディ修理も手掛けるようになり、さらにコーチビルダーとしてクルマのボディを製作するようになりました。
当時、イギリスでは大衆車のオースチン・セブンがベストセラーとなっていましたが、そのシャシーにアルミ製でオリジナルデザインのボディを架装したオースチン・セブン・スワローがヒット。やがて専用のシャシーを持つSS1/SS2、エンジンまで専用設計としたSSジャガー2 1/2サルーンなどを製造し、自動車メーカーとしての基盤を確立していきました。
この間、1933年には会社名がSSカーズと変更され、さらに戦後になると、ジャガーカーズへと再度変更されています。1989年にはフォードに経営を委ねることになり、さらにフォードが苦境に陥った際にはインドのタタ・モーターズに売却され現在に至っています。ただし「美しいモノは売れる」との創立当初からの哲学には変化がありません。
戦前モデルのジャガーSS90~SS100、戦後モデルのXK120~XK140~XK150と続いてきたジャガーのスポーツカーの流れを継承したモデルがジャガーEタイプです。XKシリーズの後継で、事実北米市場ではXK-Eを名乗っていましたが、ジャガーEタイプと車名を一新したのは訳があって、ル・マン24時間レースで3度も優勝を飾っていたレーシングカー、Dタイプのイメージを活用することが目的でした。
そして実際に、1960年のル・マン24時間レースにDタイプの後継モデルとして参戦、結果的にはリタイアに終わりましたが、レース序盤には一時3位を走行。最高速度も247km/hを記録するなど速さを見せていたプロトタイプ、E2Aの市販モデルがEタイプの名称で1961年の7月にデビューすることになったのです。
ロードカーがデビューした翌1962年にはロードラッグ・クーペが製作され、同年のル・マン24時間では3台のレーシング・フェラーリに続いて総合4位/GTクラス優勝を飾っています。
つまり、GTクラスのフェラーリGTOなどに先んじていて、ロードカーの中では最速だったのです。さらに1963年シーズンに向けてはアルミニウムをプレス成型したボディパネルに交換して軽量化を追求したEタイプ・ライトウェイトも登場してレースに参戦。結果的には同年のル・マン24時間では総合9位で4000cc以下のGTクラスでクラス優勝を飾っています。
先代のDタイプは1955年から1957年まで3年連続で総合優勝を飾っていますから、それに比べるとEタイプ・ライトウェイトの成績は“期待外れ”ということもできますが、小排気量車だけでなく大排気量車にもミッドシップ・レイアウトが広まっていったこと。そして純レーシングカーを次々に開発して投入するフェラーリが絶頂期を迎え、この1963年にはミッド・エンジンの250Pが優勝したことなど、時代背景を考えるならフロントエンジンのロードカーをベースにしたEタイプ・ライトウェイトとしては妥当な線ではないかと思えるのですが……。
また、北米のSCCA・スポーツカーレースで、グループ44のボブ・トゥリウスがチャンピオンを獲得しています。いずれにしても、Eタイプはレーシングカーとロードカーの境界線に位置していた1台、ということに疑問の余地はありません。
流麗なボディと先進のシャシー
その来し方はこのくらいにして、ジャガーEタイプのメカニズムを紹介していきましょう。フレームは、スチールパネルをプレスして成型したモノコックとチューブで組んだスペースフレームを組み合わせた、いわゆるハイブリッド・タイプでした。
このフレームに組み付けられるサスペンションは、前後ともにダブルウィッシュボーン式の4輪独立懸架を採用。フロントはトーションバー、リヤはツインのコイルスプリングで吊られていました。またブレーキは4輪すべてにダンロップ製のディスクブレーキを採用、最高速が150mph(約240km/h)、0−60mph(0−96 km/h)加速が6.4秒という高いパフォーマンスにも対処しています。
ラックアンドピニオン式のステアリングを採用していたことも大きなエポックとなりました。長いフロントノーズの下に搭載されたエンジンは、直6ツインカムのXK6型で、当初の排気量は3781cc(ボア×ストローク=87.0mmφ×106.0mm、最高出力は265ps)でしたが、1964年のマイナーチェンジを機に4235cc(ボア×ストローク=92.08mmφ×106.0mm。最高出力は265ps)版に換装されています。
1968年に登場したシリーズ2では引き続き、4235ccのXK6型が搭載されていましたが、1971年に登場したシリーズ3では新設計の5344cc(ボア×ストローク=90.0mmφ×70.0mm。最高出力は276ps)V12 SOHCに換装されていました。歴代モデルではツインカムが使用されてきましたが、V12では重量増加と重心位置が高くなることが懸念され、シングルカムが採用されたと伝えられています。
またツインカムにしてヘッド部分が大きくなることで、ボンネットに大きなバルジをつけることが必要になることも、SOHCが選ばれた理由のようです。
ジャガーXKシリーズの後継モデルとして、1961年のジュネーブショーで発表されたEタイプは、その流麗なプロポーションから「世界一美しいスポーツカー」と絶賛。レースではライバルとなるフェラーリのボス、エンツォ・フェラーリも「史上最も美しいクルマだ」と絶賛したとも伝えられています。
エンジン排気量は拡大の連続
そんなEタイプは1961年の3月に、まずは輸出専用で販売が開始され、4カ月後にはイギリスの国内市場に投入されています。その後1964年にはエンジンが4.2Lに拡大されるマイナーチェンジが行われ、1968年と1971年にビッグチェンジを施されて、それぞれシリーズ2、シリーズ3へと発展していきました。
シリーズ3に移行した際には4.2Lの直6から5.3LのV12にコンバートされています。そして同時に、オリジナルモデルはシリーズ1と呼ばれるようになりました。こうした変更は、最大のマーケットである北米の意向に沿ったものが多く、エンジン排気量を拡大したことに合わせて冷却系が強化され、最終モデルでは大型のラジエターに合わせてフロントのラジエターグリルも大型化されています。
とくにラジエターグリルの拡大に関しては否定的な意見も数多く聞かれていました。ちなみに、シリーズ1も末期となる1967年には、細かな変更が何度か繰り返されています。これらのモデルは、シリーズ1からシリーズ2に移行する中間的な仕様としてシリーズ1.5とも呼ばれていたのです。
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みんなのコメント
時々お見掛けしますが、本車の逆アリゲーター式のボンネットを開けた時、
ノーズ下部が地面スレスレに下がるので、まさか地面に当たってはしないかと
他人様の愛車ながら、ついつい下をのぞき込んで心配してしまいます…w