■現在のクルマのデザインを決定づけた「チシタリア」とは?
兄ジョヴァンニ・ファリーナが率いるカロッツェリア「スタビリメンティ・ファリーナ」社(1906年創業)で修行していたバッティスタ“ピニン”ファリーナが「ピニンファリーナ」社を独立・創業したのは、1930年のことである。
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つまり2020年は、かつてイタリア・カロッツェリアの盟主ともいわれた名門ピニンファリーナにとって、創業90周年の節目となる。
2020年夏に開催される予定だった北米「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」では、ピニンファリーナがメインフィーチャーブランドとなるはずだったのが、新型コロナ禍によってコンクールは一年順延。ほかのイベントでも、ピニンファリーナの至宝たちが主役を飾る機会が数多く期待されていたものの、その多くは来年への持ち越しとなったようだ。
そこでVAGUEでは、夢と消えたイベントたちのせめてもの代替えとして、今回からピニンファリーナ90年分の名作から特にエポックメイキングなモデルを選び出し、これから数回に分けて紹介させていただくことにした。
第1回は、ピニンファリーナの母国イタリア車。なかでもフェラーリ以外のブランドから生まれた、マスターピース3台である。
●チシタリア202SC(1947年)
ピニンファリーナの名声を決定的なものとしたマイルストーン的モデルとして、1947年に登場した「チシタリア202SC」を挙げることに、異論を唱える向きは少ないだろう。
第二次大戦直後のイタリア・トリノに勃興しつつも、数年で消滅。のちのアバルトの前身になったことでも知られるチシタリアは、1.1リッターの小排気量フォーミュラマシン「D46」からスタートした。
そののち、同じD46とメカニズムを共用する「202スパイダー・ヌヴォラーリ」などの2座席レーシングスポーツを経て、レース以外のロードユーズも見越した初の市販モデルとして開発されたのが「202SC」あるいは「202GT」と呼ばれる、快適さも追求した美しきクーペだった。
チシタリアの創業者で、一時はセリエAサッカーチーム「ユヴェントス」のオーナーも務めていたピエロ・ドゥジオは、チシタリア技術陣を率いるジョヴァンニ・サヴォヌッツィに対して「私のビュイックのように幅広で、GPカーのように低く、ロールス・ロイスのように快適で、D46のように軽い」クーペを強く要望。
そこで、エンジニアながらデザインセンスにも優れていたサヴォヌッツィは、ドゥジオのリクエストをまとめた一葉のスケッチを描きあげる。
そして、デザインワークの完成とボディ架装を委託されたピニンファリーナは、サヴォヌッツィのスケッチをもとにしつつも独自のエッセンスを加味。美しさと品格を完全両立した、歴史に残るボディを実現してみせたのだ。
まずルーフは、ウインドシールド直後から優美なラインを描いてテールに至る。リアフェンダーはドア直後でいったん膨らむが、後方に向けてスムーズに流され、これもテールでルーフラインと融合される。一方フロントは、サヴォヌッツィの原案に対してボンネットとフェンダーの接点の形状がより洗練された。またノーズは限界まで低められ、ヘッドライトを含む左右フェンダーが描くアーチが強調されている。
このクーペの圧倒的な美しさは世界のマエストロたちの認めるものとなり、こののちの自動車デザインの発展をも促すことになった。実際、現代のフェラーリFRモデルを含むクーペの大方は、ピニンファリーナがチシタリア202で構築した「ファストバック」スタイルの応用系に過ぎないともいえるだろう。
そして当の202SCは、「MoMA」ことニューヨーク近代美術館が1951年に開催した特別展「Eight Automobiles」に、1930年型メルセデス・ベンツ「SSツアラー」や1939年型ベントレー「41/4Litreジェイムズ・ヤング製サルーン」、1939年型タルボ「ラーゴT150SSグート・ドゥ」などとともに出展。そののちチシタリア一台だけが残され、自動車としてはMoMA史上初めての常設展示作品となった。
そして約70年後の現代に至るまで、ピカソやミロ、モディリアニ、ダリ、マティスらの手がけたモダンアート作品とともに並べられる栄誉を得ているのだ。
■サルーンの基準はランチア「フラミニア」がつくった!
1957年春のジュネーヴ・ショーにて、まずは中核バージョンたるベルリーナから登場したランチア「フラミニア」は、同社の歴史的傑作車「アウレリア」の後継に当たるプレステージモデルであった。
●ランチア・フラミニア(1957年)
フラミニアという美しい名前は、1933年にデビューした「アウグスタ」以来のランチアで踏襲されていた、古代ローマの街道名に因んだ命名法に拠るもの。
その開発を手掛けたのは、アウレリア系の開発も主導した巨匠、ヴィットリオ・ヤーノ技師がフェラーリに移籍したのち主任設計者に就任した、アントニオ・フェッシア教授であるとされている。
フラミニアにおける最大の特徴は、豊富なボディバリエーションといわれている。なかでも中核を成していた4ドアベルリーナ(セダン)とクーペは、ピニンファリーナが提唱した新時代のデザイン様式。のちに「ファリーナスタイル」と呼ばれる独特のフィロソフィを、初めて具現化した一台として知られている。
ピニンファリーナ製フラミニアの起源は、アウレリア時代の1955年に製作・発表されたデザインスタディ「フロリダ」まで遡ることができる。堂々たるサイズの4ドアベルリーナながら、素晴らしくエレガントなフロリダは、当時としては極めて先進的なスタイリングとされた。
また、翌1956年には2ドアクーペ化されるとともに、より現実的なディテールの「フロリダII」も発表。こちらはのちに隠しリアドアを設けられ、バッティスタ・ピニンファリーナ(この年“ファリーナ”から改姓)のプライベートカーとして、長らく愛用された。
そして1957年、まずは4ドア版から正式デビューしたフラミニアは、一連のフロリダ試作車のエッセンスをそのまま生産化したような、先鋭的なモデルとなった。
ベルリーナのデビュー翌年の1958年には、ホイールベースを120mm短縮し、フロリダIIの生産型ともいうべきボディを架装した4シータークーペも追加設定される。
ピニンファリーナの会心作となったフラミニア・ベルリーナとクーペは、当時の技術レベルにおいては常識はずれなほどに薄いルーフに加え、フロント/リアのウインドウを立体的な形状とすることや、上から下に向けて細くなる独特のCピラーで、軽快かつ明るいキャビンを実現し、いつしか「ファリーナスタイル」と呼ばれて、1960年-1970年代の世界で数あまたの追随者を生むことになった。
特に4ドアベルリーナについては、日本のいすゞ自動車の自社開発乗用車第一号となった「ベレル」が、フラミニアそっくりなデザインとされるなど、この時代におけるサルーンデザインの「お手本」となったのである。
■映画『卒業』で有名な「スパイダー」はどうやって誕生した?
1966年にデビューした「1600スパイダー・デュエット」は、基本的なメカニズムをジュリア・スプリントGTから流用した2シーターのオープンスポーツである。ジュリエッタ時代にヒットを博したスパイダーに次いで、ジュリア系の新世代オープン2シーターのデザインも再びカロッツェリア・ピニンファリーナに委ねられることになった成果である。
●アルファ ロメオ・スパイダー・デュエット(1966年)
そのデザインにおけるオリジンは、ピニンファリーナが1956年代から空力実験を目的として、アルファ ロメオの純粋なレーシングスポーツ「6C3000CM」をベースに製作していた連作「スーペルフロー(Superflow)」に遡る。
その第3作である「スーペルフローIII」から継承された、空力的でスマートなプロポーションに加え、デュエットとしての正式デビュー後にイタリア国内で授けられたニックネーム「osso di seppia(イカの骨)」の由来にもなった、甲イカの骨のようなテールのスタイルとボディ側面に刻まれたえぐり状のプレスラインは、1961年トリノ・ショーで発表されたコンセプトカー「ジュリエッタSSスパイダー」でほぼ完成。市販モデルにアップデートされたのが、スパイダー・デュエットであった。
音楽用語「デュエット(二重奏or二重唱)」から採られた、このロマンティックなペットネームは、今世紀初めの「Mi.To」と同じく一般公募によって決定したもの。そしてジュリエッタ・スパイダーや同時代のスプリントGTシリーズにも負けず劣らず、大きな商業的成功を収めることになるのだ。
しかし、このクルマでなにより有名なエピソードは、ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業(The Graduate:1967年・米)』に、主人公の愛車として出演したことだろう。他方アルファ ロメオ側も、1980年代に設定されたスパイダーのグレード名に「グラデュエート(Graduate)」を引用するなど、抜け目のないところを見せている。
くわえて、その寿命の長さは名作ジュリア・シリーズでも随一のもので、ベルリーナ/クーペが1970年代後半にはフェードアウトしていったのに対して、フルモデルチェンジの時機を逸したとはいえ、スパイダーだけは度重なるフェイスリフトで延命が図られることになる。
そして、FWDとなった先代アルファ・スパイダーがデビューする直前、1992年まで生産が継続されたが、近代的なフェイスリフトを受けた最終型「シリーズ4」まで、その人気が衰えることはなかったのだ。
チシタリア202SCやランチア・フラミニアと比べてしまうと、たしかにアルファ・スパイダーは後世への影響こそ薄いものであった。でも、その長命と最後までフレッシュさを失わなかったという事実だけでも、ピニンファリーナの傑作として名を連ねるに相応しいと確信している。
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