巨大ジャンクヤード探索記
米アイオワ州アリソンのジャンクヤード「ロンズ・オート・サルベージ(Ron’s Auto Salvage)」の事務所には、額装された航空写真が飾られている。そこには野原に駐車された何百台ものクルマが写っている。
【画像】世界を変えた米国製スポーツカー【フォード・マスタングを写真でじっくり見る】 全39枚
少なくとも30年以上前に撮影されたものと思われる。野原は森に変わってしまっているからだ。取材班はこのジャンクヤードを探索させてもらい、1930年代から2000年代まで数多くのクラシックカーを発掘した。
ここにあるクルマは、レストアや部品取りの対象として、あるいはスクラップ候補として静かに余生を送っている。ヤードへの立ち入りは完全予約制となっているため、もし興味があればアイオワに向かう前に必ずロンズ・オート・サルベージに連絡を取ってほしい。
ちなみに、1枚目の1938/1939年型のフォード製トラックは庭の立派なオーナメントになっており、道路脇からも見える。
フォード・マスタング
ロンズ・オート・サルベージには実にさまざまな車種があるが、中でもフォードが集中しているようだ。木陰で草を食む野生のマスタングの群れを見つけた。あまり健康そうには見えないし、道路を駆けていた時代はとうに過ぎている。
マーキュリー・パークレーン – 1966年
1965年、マーキュリー・パークレーンは同時代のリンカーン・コンチネンタルを真似て、特徴的なサイドキャラクターを与えられた。このデザインは写真の1966年のモデルまで受け継がれた。定価3460ドルの4ドア・ハードトップセダンで、1万9204台が販売され、パークレーンシリーズの中で最も売れたボディスタイルである。
フォード・フェアレーン – 1967年
木の下に車を駐車するのは、決してお勧めできない。落ち葉が隙間にたまり、太陽が樹冠に遮られるため湿った状態が続き、恐ろしい錆の温床となる。今のところ、この1967年型フォード・フェアレーンはあまり腐食せずに済んでいるが、それも時間の問題だ。
ビュイック・エレクトラ – 1969年
1959年にロードマスターに代わってビュイックのフラッグシップモデルとなったエレクトラ。全6世代が存在し、1990年まで生産が続いた。
これは1969年式(3代目)のエレクトラ225で、鮮明なサイドラインが特徴。また、初めて「ベントレス」と呼ばれるウィンドウが採用されたが、これは前席の換気用の開閉式三角窓を廃したデザインのこと。4ドア・ハードトップセダンは1万6000台近く生産されたが、現在ジャンクヤードに残っているものはほとんどない。この1台には、素晴らしいパーツがたくさんある。
キャデラック – 1953年
この1953年型キャデラックは、70歳以上のジャンクヤードの住人にしてはかなりきれいで、比較的錆びが少ない。無傷のテールライトを持つものは珍しく、リアバンパーも輝いている。長寿に貢献しているのは置き場所だ。前述のビュイックと同様、森の端にある畑に停めてあるので、アイオワの日差しを浴びてカラカラに乾いているのだ。
リンカーン・コンチネンタルMK3 – 1969年
1968年に生産が開始されたリンカーン・コンチネンタルMk3は、フォードのフラッグシップモデルであり、キャデラック・エルドラドの直接のライバルだった。この2ドア・ハードトップクーペは贅沢の極みで、ロールス・ロイス風のグリルを誇らしげに装着している。写真のものは1969年製で、この年に生産された2万3088台のうちの1台である。
フォードF500 – 1956年
ロンズ・オート・サルベージでは、フォードの商用車もよく見られる。下草の中から、この1956年型Fシリーズを含む数台のトラックを発見した。以前はF-5として知られていたF-500だ。Fシリーズは1948年から現在まで、14世代にわたって生き残っている。
エドセル・レンジャー – 1958年
エドセルの商業的な大失敗を考えると、ジャンクヤードにまだ残っていることに驚かされる。ロンズ・オート・サルベージには、この1958年型レンジャーを含む少なくとも3台がある。
1958年はエドセルにとって最高の年であり、6万8045台が生産された。しかし、予想販売台数20万台には遠く及ばなかった。フォードは1959年11月、エドセル部門の閉鎖を発表した。
クライスラー・レバロン
ジャンクヤードの若々しくカラフルな住人の1人。1993年から1995年にかけて生産された第3世代のクライスラー・レバロン・コンバーチブルだ(発音によってはルバロンと呼ばれることもある)。マイナーチェンジ後のモデルだが、従来の格納式ライト(リトラクタブル)に取って代わった細長いヘッドライトで簡単に識別できる。
リンカーン・ヴェルサイユ – 1980年
下草の中に隠れているのは、珍しい、そしてかなりくたびれたリンカーン・ヴェルサイユである。
基本的にはグラナダの高級版であり、1977年から1980年にかけてのみ販売された。特に人気があったわけではなく、販売面では常にライバルのキャデラック・セビルに3対1の割合で負けていた。これは1980年型で、わずか4785台のうちの1台である。
マツダRX-4 – 1976年
1974年から1978年にかけて米国に輸入されたマツダRX-4(日本名:ルーチェ)。3種類のボディスタイル(ハードトップクーペ、セダン、ステーションワゴン)があり、ロータリーエンジンを搭載している。豪華で、比較的スポーティでもあった。この1976年型ステーションワゴンは、当時0-100km/h加速を10秒強で走破した。悪くない。希少車ではあるが、今回に限っては希少性と価値にはほとんど相関関係がない。
シボレー – 1949年
何十年も森の中に置かれていたことを考えると、この1949年型シボレーは驚くほどコンディションがいい。リアフェンダーはひどい腐食に苦しんでいるが、残りのボディパネルは驚くほど健全に見える。助手席ドアのストレートエッジを見てほしい。
マーキュリー・パークレイン・ブリーズウェイ – 1964年
これは非常に珍しいクルマで、保存に値する。1964年のマーキュリー・パークレーンで、「ブリーズウェイ」と呼ばれる逆傾斜のリアウィンドウ(開閉機構付き)が特徴である。1964年に販売されたパークレーンは1万8764台のみで、そのうちわずか1786台が定価3359ドルの2ドア・ブリーズウェイ・ハードトップクーペであった。
ポンティアック・グランプリ – 1978年
5代目(1978年~1987年)のポンティアック・グランプリは、ボディもエンジンもダウンサイジングされた。全長は1フィート(30cm)短く、重量も600ポンド(270kg)軽くなり、17年の歴史の中で初めてV8が標準装備されなかった。写真の個体は1978年に販売された22万8444台のうちの1台である。1980年代半ばには、販売台数は年間5万台にまで落ち込んだ。
フォード・サンダーバード – 1973年
この1973年型フォード・サンダーバードは、同年に義務付けられた「5マイルバンパー」を装着している。また、このモデルイヤーを象徴するエッグクレートグリルとフェンダーエッジに取り付けられたターンシグナル(ウィンカー)も確認できる。
第6世代(1972~1976年)の中で特に売れ行きが良かったのは1973年で、8万7269台が販売された。
エドセル・コルセア – 1959年
1959年、エドセルのラインナップは大幅にスリム化された。それまでは18種類のモデルとボディスタイルから選ぶことができたが、同年はわずか10種類に制限されている。これはコルセアの2ドア・ハードトップのようで、わずか2468台のうちの1台。コルセアは、ブランドとともに1959年に姿を消した。
AMCジャベリン
この個体はウィスコンシン州ケノーシャの工場で生産されたものだが、AMCジャベリンはメキシコ、ベネズエラ、ドイツ、フィリピン、オーストラリアの計6か国でもライセンス生産されていた。マスタングに対抗するスポーツモデルで、1967年から1974年にかけて生産された。これはその初期型である。
フォード・ピント
フォード・ピントは自動車史上最大のリコール対象となり、150万台が後面衝突時の火災の危険性を低減するための処置を受けたことで知られる。しかし、対象となったのはセダンとハッチバックのみで、ステーションワゴンは別だった。これは後期型であり、生産最終年である1980年に生産された可能性が高い。
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