最近、F1の界隈では、フォーミュラワン・マネジメントと10チームが、FIAと会長であるモハメド・ビン・スライエムに対し我慢の限界を迎えているという話題が頻繁に取り上げられている。FIAを離れて、新しいF1世界選手権シリーズを創設するという可能性さえ取り沙汰されているが、それは可能なのだろうか。
少なくとも過去には、FIA傘下を離れ、独立したF1世界選手権を運用しようという試みがなされたことがある。その闘争の顛末を振り返ってみよう。
F1コラム:FIAとF1の溝を深めた数々の出来事。信頼失墜のビン・スライエム会長は内乱を防げるか
■1980年スペインGP:FISA対FOCAの対立が表面化
1980年に遡ろう。ソ連のアフガニスタン侵攻を受けて、アメリカはモスクワオリンピックをボイコット。ロナルド・レーガンが合衆国大統領に選出され、ジョン・レノンがニューヨークの路上で射殺された年、FIAとF1世界選手権に参戦しているチームとの間に深刻なトラブルが持ち上がった。
当時、FIAのF1部門はFISAと呼ばれていた。会長ジャン-マリー・バレストルは、現在のFIA会長と同様に物議を醸す存在だった。バレストルは、イギリスのビジネスマン、バーニー・エクレストンがあまりにも賢く、あまりにも貪欲であると考え、懸念を抱いていた。
エクレストンはその約10年前にブラバム・チームを買収、1970年代にはF1コンストラクターズ協会(FOCA)で全チームをまとめていた。FOCAとエクレストンは、開催レースの選択、レギュレーション策定の方法、そして何よりもF1の収益の分配について発言権を持つことを望み、FISAとバレストルに対して、次第に公然と対抗するようになった。
FISA対FOCAの最初の大きな闘争は、1980年F1スペインGP直前に起こった。その前に開催されたベルギーとモナコでのレース前のドライバーズミーティングにおける些細な論争が、バレストルとエクレストンの頑固で争いを好む性格によって、エスカレートしたのだ。
当時F1に参戦していた自動車メーカー3社、フェラーリ、ルノー、アルファロメオには、FISAに依存する事情があり、連盟とバレストルを支持することを選択した。スペインのFP1で、エクレストンは“FOCAチーム”の12チームにピットにとどまらせ、走行したのは3つのファクトリーチームのみだった。
スペインGPの主催者にとって、3チームしか走行しないイベントは無意味であり、その日のうちに、彼らはエクレストンおよびFOCAチームとの契約を結んだ。FISAの関係者は、スペイン警察の協力のもとでトラックエリアから排除された。連盟側は、スペインGPから世界選手権の資格を剥奪したが、レースはFOCAの22台によって行われ、ウイリアムズ・フォードのアラン・ジョーンズが優勝した。
■FOCAが独自シリーズ立ち上げを発表
その数日後、FISAとFOCAの間で一種の停戦に関する合意がなされ、シーズンの残りレースは予定どおりに実施された。しかし舞台裏では、エクレストンとFOCAは依然としてFISAに不満を抱いており、11月21日に衝撃的な発表が行われた。エクレストンと彼の法律顧問でありマーチチームを率いたマックス・モズレーが、新しく世界モータースポーツ連盟(WFMS/World Federation of Motor Sport)の設立を発表したのだ。新しい連盟の発表会はパリのホテル、オテル・ドゥ・クリヨンで行われ、12のFOCAチームの全代表が記者会見に出席した。
オテル・ドゥ・クリヨンはコンコルド広場のFIA本部の隣にあり、WFMSが公然とFISAに挑戦していることは明らかだった。ただ、WFMSが運営するチャンピオンシップは、『世界プロフェッショナル・ドライバーズ・チャンピオンシップ』のひとつだけであり、フォーミュラ1という言葉の権利はFISAが所有していたため、F1を名称に含めることはできなかった。
こうして、1980年11月には、1981年に向けて、2つの“フォーミュラ1”世界選手権が計画された。フェラーリ、ルノー、アルファロメオによるFIA公式シリーズと、12チームによるWFMSの“海賊シリーズ”である。後者には、1980年FIA世界選手権の上位3チーム、ウイリアムズ、リジェ、ブラバムが参加、18のトラックと契約し、多数の確立されたグランプリに加えて、アンデルストープ (スウェーデン)、ニューヨーク、ラスベガス、メキシコシティでのレースが含まれていた。
WFMSチャンピオンシップは、1981年2月7日の南アフリカGPで開幕。19台のマシンが参加し、ネルソン・ピケ(ブラバム)とエリオ・デ・アンジェリス(ロータス)を抑えてカルロス・ロイテマン(ウイリアムズ)が優勝した。FIAチャンピオンのアラン・ジョーンズ(ウイリアムズ)はリタイアし、地元の女性ドライバー、デジレ・ウィルソンは、予選でティレルで16番手という好位置につけたが、レースを完走することはできなかった。
このキャラミでのレースは、F1レースはFIA/FISAなしで実施できることを明確に示した。おそらくそれで、老エンツォ・フェラーリが介入することを決めたのだろう。彼のチームは、ルノーとアルファロメオと同様に、南アフリカのレースには参加しなかった。だが、たった3チームだけで公式世界選手権を行っていくことは不可能であると、エンツォは理解したのだ。
■戦いが終結、コンコルド協定の始まり
彼が提案した和平協定は、パリのFIA本部の住所にちなんで、『コンコルド協定』と名付けられた。コンコルド協定は、年月を経るなかで、その後、何度も再交渉や変更が施されてきたものの、今もF1の“憲法”という位置づけを保ち、FIAと参加チームの関係を定めるものとなっている。
コンコルド協定が結ばれると、エクレストン、モズレー、そしてFOCAチームは、WFMSと自分たちのチャンピオンシップのことを忘れることにして、3月15日にロングビーチで開催されるアメリカ・グランプリ・ウエストで開幕するFIA公式世界選手権にサインした。
一見、バレストルとFIAは長期にわたる権力闘争に勝利したかのように見える。しかし実際には、F1の権利をめぐるゲームにおいて、FIAの力は弱くなった。和平協定の一環として、エクレストンはF1の商業権の多くを引き継ぎ、その後の数年で、F1組織であるフォーミュラワン・マネジメント(FOM)の基礎を築いた。
そして1993年には、FIA会長の座が、ジャン-マリー・バレストルからマックス・モズレーに渡った。そしてモズレーの片腕として特別な権限が与えられたのは、エクレストンだった。F1最初の“内戦”での勝者が誰かを示す出来事といえよう。
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