いい時代だったと聞くことの多いバブル。当時はアッシーなる男たちが世にたくさんいたのが、そもそも彼らはどんな役割を果たしていたのか!? そして当時流行ったクルマたちが超絶羨ましいラインアップなのだった。
文/清水草一、写真/トヨタ、日産、ホンダ、Adobe Stock
おじさん感涙!? 今はなきアッシー君ってなによ!? バブル期に流行ったクルマたちイッキ見
■バブル期にあった「アッシー君」は今では考えられないものだった
アッシーとは、「足」という意味を持ち、深夜帯に女性から電話一本で呼び出され、送迎運転手を務める男のことを指すという(写真:west_photo-stock.adobe.com)
ベストカーウェブの若手編集者からメールが届いた。
「本日は、清水さんにぜひお願いしたい企画原稿がございまして、メールをお送りいたしました。『バブル時代にあった“アッシー”とはなにか? 流行っていたクルマはどれ?』というテーマです」
若手編集者は、最近この言葉を知って驚いたという。さもありなん。
なにしろ生まれる前の出来事だし、世相もまったく変わっている。現代の“足るを知る”世代は、「なにそれ!?」と思って当然だ。
アッシーとは、正確には「アッシー君」。アッシーとは「足」という意味で、深夜等、イケイケな女性に電話一本で呼び出され、嬉々として送迎運転手を務める男のことである。
女性にとっては単なる「足」。無料のタクシーのようなもので、大変重宝された。
このアッシー君という言葉は、1990年の流行語大賞で新語部門・表現賞を受賞し、『現代用語の基礎知識』にも記載された。
類語の「メッシー君」は食事を奢るだけの男、「ミツグ君」はプレゼントを贈るだけの男のこと。「アッシー、メッシー、ミツグ」は、「三高」(高学歴・高収入・高身長)と並んで、バブル期の三種の神器である。
いったいナゼ、このような存在が生まれたのか? 現代の若い女子には見当が付くまいが、それはすべて、バブル期のなせる業であった。
■良い時代だった!! 日本の勢いがすさまじかったバブル期を振り返る
バブル期は、1986年12月から1991年2月(4年3カ月)にあった好景気のことを指す。土地や株の値段が上昇したり、さまざまな娯楽施設や新車が登場し、異様な活気に包まれた時代だった(写真:moonrise-stock.adobe.com)
バブル期は、土地や株の値段が狂ったように上昇し、日本人全員が欲に走った時代だった。不動産業界や証券業界を中心に、驚くほど高額のボーナスも出た。
それまでの日本は「一億総中流」と言われる平等な社会だったが、初めて格差らしきものが生じた。結果、日本人の8割を占めていた中流階級は、少しでも豊かになろうと欲に目を血走らせた。
中でも欲に取りつかれたのが20代の若者だ。当時はまだ「勝ち組」という言葉はなかったが、全員が少しでも上の階級に昇ろうともがいた。
本人にあまりその気がなくても、周囲がガツガツしているので、ついガツガツしてしまう。それがバブル期の時代の空気だった。
バブル期、20代の若者が最も目を血走らせたもの。それは異性である。男はいつの時代でも女を落とそうと必死になるが、当時のモチベーションは想像を絶するものがあった。愛なんかクソクラエで、そこにあるのは性欲のみ。
いや、性欲よりも「千人斬り」的な名誉が重んじられたと言っていい。数多くの女を落とした男こそ、バブル期の“豊かになる競争”の真の勝者だった。カネは手段に過ぎず、最終目的は異性だった。
もちろん、女をとっかえひっかえできるのは、ごく一部の男に限られる。逆に、男をとっかえひっかえできる女も、ごく一部に存在した。
女は、男とは反対に「やらせないで、いかに奉仕させるが」が勝負となる。そういう女がいいように使うのが「アッシー君」だったのだ。
なにしろ当時、六本木など都心部の繁華街では、深夜、タクシーをつかまえるのは至難の業。
今では想像もつくまいが、万札を2~3万振って「これだけ払いますよ」とアピールし、ようやく止まってくれるという時代だった。
バカ混みの終電で帰宅するなど、バブル期のイケイケ女子にとってはあってはならない恥辱。電車で帰るのは〇ビ(貧乏のこと)に堕ちることを意味したから、アッシー君の需要は高かった。
■アッシー君たちの愛車はシルビアを代表とする「デートカー」!!
日産5代目シルビアは、1988年から1993年までに販売されていた。バブル当時は、ホンダ2代目プレリュード、3代目インテグラといったいわゆる「デートカー」国産スポーツクーペが人気だった。
では、アッシー君はどんなクルマに乗っていたのか? 「六本木のカローラ」の異名を取ったBMW3シリーズ(E30/2代目)だろうか。
いや、そんな裕福なアッシー君は滅多にいなかった。バブル期といっても、まだガイシャは非常に珍しく、20代の若者には超高嶺の花。よほどのボンボンでもない限り、ガイシャなんか乗ってない。
では、どんなクルマか。
それは主に、国産スポーツクーペであった。2代目プレリュードや3代目インテグラ、S13シルビア(5代目)などの「デートカー」たちだ。
アッシー君が全員デートカーに乗っていたわけではないが、当時の若者は、自分用のクルマが買えるなら、ほぼ確実に国産スポーツクーペを選んだ。なぜならカッコいいし、見栄が張れたからだ。
「その程度で!?」と思うかもしれないが、当時の若者は決して金持ちではなく、みんなローンで必死に国産スポーツクーペを買っていたのである。
バブル期は、クルマへの欲望も爆発しており、全員、少しでもいいスポーツクーペに乗りたがった。そういうクルマにいい女を乗せて走るのは男の夢。
できればやらせてほしいけど、いい女が乗ってくれるだけでうれしいし、そのうちやらせてくれるかもしれない。そこにアッシー君誕生の理由があった。
■筆者も実感!! バブル期の国産スポーツクーペでの一番人気はどのクルマ?
2代目ソアラは、1986年から1991年まで販売されていたクルマだ。販売時期帯が、ちょうどバブル期とかぶる。国産スポーツクーペのなかでも人気度が高かった
国産スポーツクーペは、女子大生たちの間で大変人気があった。そりゃまぁガイシャの方が格上だが、雲の上すぎて現実的ではない。
あくまで国産スポーツクーペの中だけでヒエラルキーが築かれており、女は彼氏の乗っているクルマによって、自らの地位がある程度決まった。
「彼のクルマはソアラなの」というのは、女子大生たちの中ではほぼ最上位。多くの女子は、最上位に立つべく、クルマを男の魅力のひとつとして選択していた。そりゃ男の側としちゃ、いいクルマに乗りたくなるってもんだ。
私は慶大生時代、バブル期前の1982年ですが、買ったばかりの父の初代ソアラでサークルの練習に乗り付けたところ、女子部員たちが「乗せて乗せて~」と群がり、4人満載してそこらを1周したことがある。
これはアッシー君ではないが、そういう時代だった。
実際には、そこら中にアッシー君がいたわけではない。ごく一部に存在したアッシー君を、当時の雑誌がおもしろおかしく取り上げ、話を大きくした面がある。ある種の都市伝説である。
それでも、夜、六本木で遊んでいた彼女が、彼や彼氏候補に「迎えに来て~」と電話するようなことはよくあったわけで、その時彼の愛車がイケてる国産スポーツクーペならカッコいいわぁ、という憧れは誰しも抱いていた。
男も、そんなシーンにさっそうとソアラに乗って現れることに憧れたのである。すべては一瞬の夏でした。
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