トヨタ センチュリー のみんなの質問

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80年代は日本でドイツ車に並ぶ高級車はなかったのですか?

今はレクサス、クラウンマジェスタ、センチュリー、レジェンド、シーマなど600〜1400万の値付けの高級日本車がありますが80年代は高級車と言えばドイツ車くらいしか選択肢がなかったのですか?
レクサスやアキュラはアメリカ専用だったそうで日本では展開してなかったそうですし。
金持ってる人はドイツ車とか、フェラーリやランボルギーニのようなスーパーカーでしょうか?
セダンやワゴン系となると主にドイツだったのでしょうか?
日本企業がドイツ企業に対抗して高級車に力を入れるようになったのは90年代からですか?
現在レクサス、アキュラ、インフィニティはベンツ、BMW、AUDIと比べてある程度差を縮める事はできたのでしょうか?
80年代の頃のドイツ車ってのは結構故障が多かったのですか?
意外とポンコツだったというような話も聞きますが。
アメ車やイタ車と比べればマシだったでしょうけど。
日本車が丈夫過ぎて壊れなさ過ぎただけでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

その頃はいつかはクラウンってトヨタも謳い文句にしてたから高級車=クラウンだね。

で、シーマが登場して高級車ブームになりトヨタもセルシオを出して馬鹿売れしている。

トヨタセンチュリーと日産インフィニティQ45もそれなりに需要はあったから、高級車部門で米国に拠点を置いて今に至る。

で、話を戻すと国産が高級車に力を入れる前のステータスはやはりBMWやメルセデス。

質問者からのお礼コメント

2016.11.15 12:39

回答ありがとうございます!

その他の回答 (17件)

  • 今も無いけどねぇ・・・輸入車? 今もポンコツだよ? それにも勝てない日本車って・・・

  • 英車もなかなかだったと思いますよ、その頃は赤子でしたけど。

    80年代に入る頃にはトヨタは既に高級車市場への参入を見越して研究・開発していたと思われます。ソアラの件もありますし、レクサス計画もこの頃からだったはずです。それから程なくして、アキュラ、レクサス、インフィニティが相次いで設立され、北米で開業しました。

    事の経緯は下の方も仰るようにプラザ合意や税制改革もありますが、排ガス規制や馬力自主規制など様々な時代の障壁に揉まれ、必然的に行き着いた結果だと思います。LSの登場が世界の「高級車感」を変えた事実は、たとえバブルがあってこそだったとはいえ、日本自動車界に大きな自信を与えた「事件」であった事でしょう。

  • 1980年当時の日本は一億総中流と呼ばれ、
    貧富の差も少なく一部のマニアや大金持ち以外は、
    2000㏄以下の国産車で満足してました。
    クラウン、セドリック、グロリア、フェアレディZなどには、
    2000㏄オーバーのエンジンを積んだグレードもありましたが、
    売れ線は圧倒的に2000㏄以下でした。
    若者に人気のレビン・トレノは130万程度だったかと。
    それに一石を投じたのが、1981年登場のトヨタソアラ。
    2800㏄のDOHCを積んだソアラ2800GTは、一気に人気車に。
    1986年には、二代目にFMC。
    2000DOHC24バルブを積んだ2000GT-L発売。
    これがもう爆発的に売れました。ざっと300万少々だったかな。

    対日貿易赤字だったアメリカと、1985年にプラザ合意。
    1ドル250円が一年少々で150円まで円が上昇。
    大衆車で食っていた国内メーカーは、
    5000ドルで売っていた車を8000ドル以上で売らないと、
    今迄通りに利益が出ない。それじゃあ売れる筈もない。。
    窮余の策として高級車市場に打って出ると共に、
    工場の海外移転の加速でコストダウンを図りました。

    1989年。アメリカは日本の自動車税は非関税障壁だと騒ぎ立て、
    自動車税制を現行のものに変更させました。
    この頃にはドルは130円台に。
    円の価値が上昇した日本で、バブル経済が急激に膨らみます。
    自動車税も下がって、海外から高級外車をドンドン輸入。
    BMW320iは、六本木カローラと呼ばれるほどに。

    この当時の欧米の車は、故障が非常に多かった。
    一つには、欧州の季候は寒冷。AT比率は低い。
    日本は亜熱帯の人も逃げ出す猛暑な夏・・AT比率高い。
    猛暑でオーバーヒート。ついでに電装系もろともパーとか、
    ATが逝って路上でオブジェ化等々。。

    他方、故障しない、燃費が良い日本車は、
    欧米で高級車としての地位を確立。今に至ります。

  • >日本企業がドイツ企業に対抗して高級車に力を入れるようになったのは90年代からですか?

    正確に言うと日本車の走りが世界でも通用するレベルになるのが90年代からです。品質や装備の良さでは80年代から定評がありましたが、走行性能の面ではあまりにも低レベルでした。

    >80年代の頃のドイツ車ってのは結構故障が多かったのですか?

    当時のドイツ車は日本の気候や使い方に全く合っていないので故障は多かったです。ドイツで使う分には全く問題は無かったのですが。その代わり性能面では群を抜いて素晴らしかった時代です。今のドイツ車よりも当時のドイツ車のほうが高性能な面が多々あります。それくらい走りに拘ってコストを投入していたんです。ドイツ車だけでなくヨーロッパ車全体が最も良かった時代です。

    現在は走りが酷かった日本車が走りを良くしてドイツ車に近づき、品質、装備が酷かったドイツ車が豪華装備では日本車を追い越すまでになり、結果として内容的に以前よりはどちらも近い存在になっています。世界が小さくなって個性が無いつまらない時代ですね。

  • イエイエ、有りましたよ。ただ、ステータスとしての外車と言う感じでしたがやはりクラウンやデボネア、センチュリー、プレジデント等の国産高級車は、存在していました。当時は、故障云々というよりもステータスシンボルとしてのドイツ車と言う感じでした。故障してもその修理代もある種のステータスみたいな感じでしたね。
    「これだけ金の掛かる車乗っても問題ないよ」みたいな感じです。
    性能と言うよりは、ブランドだったと思います。
    決して国産車メーカーが作っていなかった訳ではないんですけどね。

  • 80ねん大ならトヨタのクラウンや日産のプレジデント、セドリックなどがありましたが、まだまだドイツのベンツなんかに比べると、安物だなあ?という感じでお金持ちには無視されていましたね。お金持ちはベンツですね。
    ベンツは今でも人気がありますし、知名度がありますね。子供でも名前だけは知ってる。

  • ざっくり言って、おおよそその通りだったと思います。

    ただ、日本車は故障知らずという事であって、丈夫かと言われると、
    構造的には外車より節約された弱いイメ-ジでしたね。

    そういえば、ワ-ゲンと日産提携でサンタナとかいう車を80年代に作ったけど
    売れんかったねえ。

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