日産 スカイライン のみんなの質問

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日産は横浜発祥の企業と言うより多摩発祥、立川市や府中市や武蔵村山市から発展した企業ですか?

日産は大昔にプリンスと合併しましたが、プリンスは前身が立川飛行機で名前も多摩から取り、たま電気自動車で府中市に工場があったとウィキペディアに書いてありました。日産との合併でプリンスは消滅しましたが、日産の代表車種はフェアレディでしたが、プリンスの代表車種のスカイラインやグロリアの方がメーカー内でも重要視されたり、フェアレディよりスカイラインの方が格上の存在とされていて売れていて、数々の主力商品も出自は日産ではなく旧プリンスの商品が多く、合併後もプリンスの方が力関係が上だったように思えます。
その主力商品のスカイラインも追浜工場では製造されず、栃木工場もシーマやR34のGTRだけで、R32やR33以前などの数々の伝説を作った時期のスカイラインは武蔵村山でしか生産されていなかったと聞きますし、現在もスカイラインGTR発祥の地は栃木ではなく武蔵村山に記念碑があります。
日産は追浜工場のイメージや神奈川県発祥の企業のイメージがありますが、武蔵村山工場こそが主力商品を生産している中核の工場だったように思えます。また、立川市や武蔵村山市周辺は日産のディーラーが多く、立川にある日産の中古車のくるまの広場などでかい場所があるのは多摩に密着した自動車メーカーで覇権を取っていた名残からですか?
自分も小学校の頃、社会科見学で武蔵村山の日産工場に行ってバンパーの素材からリサイクルされた定規をもらいました。

実際には日産とプリンスどちらの方が力が上だったのか?(現在も)
横浜と多摩、どちらに馴染みが深く発展してきた企業と言えるのでしょうか、当時の歴史に詳しい方お願いいたします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

歴史を遡れば 日産自動車→満州重工業→日本産業→久原鉱業 ですから
大阪の会社って事になりますか。

トヨタやホンダが町工場だったときに、満州を拠点にする重工業=いわゆる日本の国策企業ですね。
GHQに解体されるまでは、日立や,新日石、日本水産等々と同じグループで、プリンスとの合併も、当時の通産省主導の官製合併です。

ルノーに買収させたのは、日産は航空宇宙産業や兵器産業も担う複合企業で、日本の企業ではシガラミが強く、日産の兵器部門をリストラできなかったためですね。

日本産業は、時代に合わせて 大きく姿を変えるので、20年後には、かつては自動車を製造していた、と言われるようになってるかもしれませんね。

その他の回答 (1件)

  • 資本面や企業規模の面では、大手の日産に中堅のプリンスが吸収された形で、旧プリンス系は販売網も弱く、スカイラインやグロリアの販売台数がブルーバード、セドリックに敵わなかったこともあって、旧プリンス出身者は肩身が狭く、立場も弱かったそうです。合併当初は、スカイラインがブルーバードと車格が重複するというので、ブルーバードに一本化してスカイラインを消滅させるプランもあったくらいです。

    日本車初のターボエンジンだったL20ETも、当初はスカイラインに搭載して華々しく登場させる予定だったのに、日産系の営業サイドに押し切られてセドリックから搭載されることになったと、プリンス出身の櫻井眞一郎氏(スカイラインの名物開発主査)が語ってたこともありました。

    プリンス虎の子のS20エンジンをZ432のために供出させられたこともあったし、商用車は日産系に統合されちゃったし、日産の創業の地である横浜工場は今も残って日産の登記上の本店にもなってるけど、旧プリンスの村山工場は廃止になってるし、荻窪の開発拠点も閉鎖されて、厚木の日産テクニカルセンターに統合された格好になってます。

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