日産 プリメーラ のみんなの質問

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中3男、日産のことで質問です。
日産は90年台後半に深刻な経営難になりその後ルノーの資本が入ってゴーンが来たというのですが、深刻な経営難になった原因は何ですか?

原因がバブル崩壊というのを聞いたことがありますが、不景気の対策ができていなかったということですか?
個人的にはR34、プリメーラ、セドグロなど当時の車が結構好きです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

直接的には、7代目サニー(1990-1993年)のフルモデルチェンジの失敗です。

この時期のモデルはバブル真っ只中に開発されており、世の中全体がイケイケドンドンの時代です。

今の中学生には想像も出来ないでしょうけれども、この当時は1万円札がティッシュペーパーのように飛び交っていた時代なのです。その日に手持ちのお金を使い切ってしまっても、翌日には新しく数十万円が手に入った時代なのですね。

そんな世相ですから、サニーの開発は高級路線となります。これは、ライバルでもあるトヨタのカローラも例に漏れず、「小さな高級車」というのがキャッチコピーとなっていました。(以後、小さな高級車のコンセプトは、プログレやアルテッツァ/レクサスISへ引き継がれます)

当時は5ナンバー枠に収まる小型のベンツ、コンパクトクラス「190E」(当時500万円/現Cクラスの前身)にどちらのメーカーも触発されていたのです。

ところが、このメーカーの思惑に消費者がついて来なかったのです。カローラやサニーは、どんなに背伸びしても大衆車だろうベンツじゃ無い、そんなのに高い金は出せない…と。

これにより、両車とも販売が爆死します。ここで対応が違ったのがトヨタ、すかさずカローラをコストダウンし価格を元に戻してきます、以後、カローラはプリウス/アクアにその座を奪われる最近まで、年間販売台数トップの座を維持します。

これに対してサニーは、年間15~16万台をピークに1991年以降ジリ貧をたどり、Best10からも姿を消します。ここが、1位トヨタと2位日産の運命の分かれ道となります。

なぜそうなったのかと言うと、これが両社のマーケティング力の差です。トヨタは販売のトヨタと言われるくらいに販売店の発言力が強く、消費者の要望がすぐに開発現場へとフィードバックされ、短期間で消費者の嗜好に合わせて改訂を行うことができました。

ところが日産は、「技術の日産」と言われていたくらいに開発現場の発言力が強いのです。技術者がいいと信じた物、それを消費者は受け入れろという土壌があるのです。このため製品への消費者の意見の反映が遅れ、気がついた時には手遅れとなっていました。

この社内でNOという意見を言えない風通しの悪さが、バブル崩壊以降の変化にトヨタやホンダは対応出来たのに対して、日産が対応出来なかった理由です。

経営陣は社会の変化を読み取り、舵取りを柔軟に変えていく必要性があるのですが、良くも悪くも日産は旧財閥系からの豊富な資産を持っていたために、その含み益で本業の赤字を隠せてしまい、大出血しているにもかかわらず問題の本質に目を向けずに手当が遅れる一因にもなります。

ゴーン社長がやったのは、徹底的なリストラです。ただこれは、今までの仲の良かった取引先さえも切り捨てるという非情な決断、従来からの人では情がからんで到底出来ません。

例えばあなたでも、小さい頃から仲の良かった大親友を、改革のために裏切れますか?足蹴に出来ますか?ということなのです。

しがらみの全く無かったゴーン社長だからこそ出来た、とも言えるのです。その分、恨みも随分と買っています。

質問者からのお礼コメント

2016.7.3 17:28

分かりやすい説明ありがとうございます。

その他の回答 (3件)

  • 経営難になった原因はクルマが売れなかったからです。

    回答の画像
  • まぁ、過去のことですし、記録上はそういうことになっているのでしょうけど、個人的にはもっと根の深いことだったと記憶しています。

    スカイラインの歴史を見るとわかりやすいと思います。

    スカイラインという車は、もともと「プリンス自動車工業」という会社で開発、販売されていた車で、プリンスが日産に吸収合併されたことによって日産ブランドの車になりました。
    日産スカイラインと言えるのは、3代目の通称「箱スカ」からです。

    プリンス自動車工業では、皇室への納入も多くあったようで、日産の中でも「プリンス」ブランドはある種の高級感がありました。

    箱スカは、当時は少ないタイプの車で、ブルーバードよりも少し大きい程度のサイズのボディに6気筒エンジンを搭載し、内装の仕上げなども高級な感じで仕上げていました。
    レースでの積極的な活動と実績もあって、スカイライン=高級で走りの良い車というイメージが定着しました。

    そのスカイラインがフルチェンジして「ケンメリ」になりましたけど、レースの活動も少し下火になり、排ガス規制の問題も出てきていたので、「ケンとメリー」というイメージ戦略に転換しました。
    ただ、内装などの仕上げに関しては、伝統を守っていましたし、走りの水準も低いというわけではなく、かなりヒットしました。

    その次のモデルが「スカイライン・ジャパン」。
    いろんな見方があるでしょうけど、本格的に排ガス規制をクリアした車で(ケンメリの時は、後付けのようなものでしたから)、後期にはターボで武装して走りのイメージも上げた車でした。

    トヨタはその当時、ツインカムエンジンに路線を振っていて「名ばかりのGT達は道をあける」という挑発的なCMが有名でした。
    それに対抗して日産はターボで武装して臨んだのですけど、この辺りですでにトヨタとは大きな差がついていました。

    エンジン本体の開発費をしっかりとかけたトヨタに対して、ターボは既にあるエンジンにポン付けしてもできるような話。
    実際はそんな簡単ではないでしょうけど、新開発エンジンに比べれば安上がりでしょう。
    本当はそこでたくさん儲けて次の車の開発に回したかったのでしょうけど、実際には儲けは多くなかったのでしょう。
    悪く言えば、ターボ以外はカスのような車と言われていましたし。
    また、全車種でターボ化を進めたので、車による差がわかりにくくなったのも事実。

    小型車では「パルサー」という車があったのですけど、「リベルタ」、「ラングレー」とか兄弟車を増やしていたので余計にわかりにくくなってました。
    同じように、兄弟車を増やしたり、やたらに販売チャンネルを増やして失敗したのがマツダと三菱。
    三菱は少し後ですけどね。

    トヨタも、カローラⅡの3兄弟、マークⅡの3兄弟などがありましたけど、販売店は昔からあるお店をうまく使ったり、手の入れ方を大がかりにしてイメージをかなり変えたりして売っていました。
    もともとの販売店の数も多かったですし、そのあたりはトヨタのほうが何枚も上だったわけです。

    1980年ころに出版されていた本に、「同じ車を作って売っても、トヨタのほうが10万円余計に儲けが出る」と言われていました。


    そういうわけでボディブローのように日産は体力を消耗していき、最悪だったのは1981年登場の「R30スカイライン」。
    当初はジャパンのエンジンをそのまま継続して使い、丸テールなんてつまらないものにこだわってしまったために、テールデザインは中途半端。
    ケンメリ、ジャパンに比べると非常に安っぽい仕上げになっていました。
    内装も安っぽいシートに、安ぽいグレーのプラスチックがミエミエのインパネ。
    実は、同じ時代のローレルなども内装は安っぽくなっていました。

    あとでRSが追加になったものの、もともとはキャラバンに搭載されていたタフな4気筒エンジンをベースにして開発されたもので、新設計ではありませんでした。
    さらにターボ化してパワーを上げていったのですけど、世間では若干引き気味だった記憶があります。
    そのころは「鉄仮面」と言われるフロントデザインでしたが、個性的ですけど素直にかっこいいとは思えませんでした。

    その反省なのか、R31がたは元のスカイラインのイメージに戻し、エンジンも新開発のRB20を使ったりしたのですけど、一度地に落ちた信用を回復するのは難しかったようです。

    R32は、個人的にはR30の路線に戻したようにも思えるのですけど、安っぽさを出さないようにする、性能をきちんと押さえる、GT-Rを復活させてイメージを上げる、などの作戦が当たり大ヒット。
    でも、狭い室内のせいで、セダンとしての需要は少なかったようです。

    R33にモデルチェンジしたときは、R32に比べると実用性は上がったのでしょうけどボディは一回り大きくなり、外装も地味になってしまいました。
    で、そのころには開発費をねん出するのも苦労するくらいお金が無くなっていたわけです。
    バブルがはじけたのはきっかけに過ぎないと思います。


    もうひとつ、昔の日産は、プリンスが皇室との取引があったこともあって、国とか役所関係には強かったような感じでした。
    自分が免許を取った40年くらい前は、パトカーはセドリックが多かったですし、スカイラインの覆面パトカーもよく見かけました。

    そういう意識の上に胡坐をかいていて、商売をおろそかにしていた、そういう見方もありました。

  • Wikiの経営危機を参照すればある程度はわかると思いますよ。
    要約すれば、新車が売れない(主にデザインの問題で)
    そして負債(腐った体質も含めて)を処分できないという
    悪循環にハマって自滅しただけと解釈しています。

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