光岡 リューギ のみんなの質問

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過去日本の上級車種ってGMビュイックの物まねがほとんどだったのでしょうか?スタイルデザインについて、

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ベストアンサーに選ばれた回答

日本車が先生をどこにするのか変わったのはオイルショック後の
昭和55年('80)あたりです。

以前はアメリカの御三家に倣っていたため、デザインディテールや乗り心地
ハンドリングに至るまでアメリカを向いていましたが、根本的な大きさが
違いすぎていたため真似すらしきれていませんでした。
そのためいくら真似しても大きく叩かれることもなかったわけです。
一方で当時からデザインを外発する場合は欧州のデザイン事務所に
してたわけで、今でもクラシックカーとして評価されてる国産旧車は
欧州デザインのものが多いです。

80年ごろからデザイン面では当時ヨーロッパで流行り始めた
ポストモダンの流れにいっしょに乗りました。
自動車デザインにおけるポストモダンはイタルデザインや
ベルトーネなどイタリアが中心でした。

一方ハンドリング等触感的な部分はドイツをお手本とするようになりました。

出来栄えはともかく最新のポストモダンの流儀でデザインされた車は
時期的にも欧州と同時リリースだったためこれもあまり叩かれることはありませんでしたが
大きさ的にも欧州車に近い日本車は発売が一歩後手に回ると
出来の悪いコピーと揶揄されるようになりました。

質問者からのお礼コメント

2017.3.26 13:07

皆様貴重なご回答ありがとうございました。!

その他の回答 (1件)

  • もともと、敗戦以降アメリカナイズされたので、80年代まではアメリカ指向でした。
    その頃はヨーロッパ車でポピュラーな車と言えば、英国車全般、ドイツ車はポルシェ、ワーゲン位のもので、メルセデスは今ほどポピュラーではなかったですね。
    BMWにおいても人気はなかったし、アウディなどは見る機会少なく、質の悪い無骨な車にしか見えなかった。

    90年代の国産車は、ヨーロッパ調のデザインを取り入れて行きました。
    もっとも車格が似たようなものですから、似せるのも比較的容易だったと思います。
    ただし、クラウンやグロリアなどの高級車の足回りは相変わらずアメリカ調でした。

    今はどこかのマネではなく、色々ミキシングした結果の日本調だと思います。

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