光岡 オロチ のみんなの質問

解決済み
回答数:
7
7
閲覧数:
28,789
0

トヨタ2000GTはヤマハが作った。
と解説される人が多くいますが。

60年代の当時のヤマハにクルマを作る技術があったのですか?

60年代のヤマハてバイクメーカーとしてもまだ未熟だった時代ですよ。
当時はまだヤマハて2ストローク小排気量がメインの会社でDOHCの直列6気筒エンジンを作る技術なんてまだまだの時代ですよ。
ホンダですらクルマ用のエンジンがなんだかまだ理解してなくて、クルマにバイクのエンジンを積んで売っていたような時代ですよ。

そんな時代にエンジンもシャーシもボディもヤマハが作ったて信じがたいのですが。
エンジンはヤマハが作ったというけど。大部分はトヨタが作ったM型エンジンの成果なのでは。
バイク屋がクルマのシャーシの構造を分かっているのですか。バイク屋がボディの作り方を分かっているのですか。

ホンダですらクルマの作り方を理解していなかった時代に、ヤマハが初めて作ったクルマがトヨタ2000GTて信じがたいのですが。
本当の所はトヨタがほとんど開発して製造していたんでしょう。

補足

ぶっちゃけホンダがクルマをまともにクルマを作れるようになったのは90年代以降でしょう。 70年代はバイクのエンジンをクルマに積んでたようなものでしょう。 80年代になってもペラペラの張りぼてのクルマだったでしょう。 90年代になってまともにクルマを作れるようになったでしょう。 どうして同じ二輪メーカーなのにヤマハは60年代にクルマが作れるの? ヤマハの技術はホンダより30年も進んでいたのかって話ですよね。

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

ベストアンサーに選ばれた回答

元々はヤマハが持ち込んだ企画で、当初は日産と共同で制作、試作車も完成しましたが、日産側の都合で頓挫しました。

その後トヨタに打診、提携しますが、設計は共同(ほぼヤマハですが)、エンジンブロックはトヨタ、ツインカムヘッドはヤマハ発動機です。

鈑金・溶接・車体組立・エンジン組立はヤマハ発動機三号館、塗装は楽器の技術を生かした手作業塗装、FRPパーツは新居工場、内装パネル関係は日本楽器製造、ボディのプレス関係は、ヤマハ傘下の北川自動車工業。
ロータスを手本としたXボーンシャーシには、トヨタ系試作プレスメーカーも担当。

戦時中も戦闘機用パーツを製造し、多方面の製造能力を有していたヤマハは、ちょっと前まで町の内燃機屋だった当時のホンダとは、比べるべくも無い会社だったんですよ。

※補足
当時のトヨタの技術力はそれ程でもなく、その後もトヨタはツインカム等をヤマハに委託(2TGや4AGなんかは有名ですね)、後にハイメカツインカムという簡易DOHCを自力で生産できるようになりました。
(因みにディーゼルはダイハツが製造、中型ガソリンは日野、大型ガソリンはシボレーのパクリでしたね)

※追加補足

そもそもヤマハは二輪メーカーじゃありませんし、車の設計の可否で、30年分も技術格差が有るわけでもありません。

光岡は「オロチ」を作れても、ヤマハのジェネシスエンジンは作れないでしょうし、ホンダのRC166は、当時のトヨタには作れなかったでしょう。

ヤマハは単独で車を造れる技術はあったが、認可の困難さ(当時は日本の工業力発展のため、国が企業の業種を統括していた)や販売網などの関係から、自社ブランドでは危険、と考えたのでしょう。

また、80年代のホンダ車が張りぼてなら、トヨタ車も張りぼてです。
本質的には、どちらも40年代のドイツ車にも劣ります。

その他の回答 (6件)

  • トヨタ2000GTのエンジン見れば分かりますよ!
    シリンダーブロックにPOWERED by YAMAHAと入っています!
    当時のトヨタはエンジンを開発・製造する技術が無く
    馬力・トルクを上げる=排気量を上げる程度でした。
    2000GT製造への事の流れは、他の方々に詳しい方が多いので
    そちらを参考にして下さい。
    ホンダは自動車の生産が始った時期で、第一期F1/F2時代ですね!
    空冷エンジンの技術しかなかったので、F1/F2で水冷エンジン技術を勉強中です!
    F2はBRABHAM HONDA BT18が前人未踏のシーズン11連勝!
    F1は2勝しています。RA272とRA300
    その当時、既にテレメタリーシステムを発明・搭載して、エンジンデーターを収集する
    システムを構築!2輪・4輪の量産車開発にも活用していました!
    そして、今現在、車の製造方法として基本になっているサイドパネルボディー工法!
    別名:ホンダ・モヒカン工法とも呼ばれていますが!
    1968年に発明・開発し、1970年に実用化(1300/77)
    大きなサイドパネル左右をルーフで溶接し溶接跡をモールで飾る方法を
    発明・開発したのはホンダです!
    今現在、世界中の全メーカーが採用し自動車製造工法の基本中の基本と
    なっている技術です!
    トヨタは元々、トラックのコピーからスタートし、乗用車も外国車のコピーから
    始まっていますので、トヨタ独自の技術て殆ど無いですよ!
    当然、モノコックボディーも造れない!
    トヨタは2000GTお金出して、丸投げしただけだよ!


    追伸

    あなた、ヤマハの会社名きちんと見て読んだlことある?
    ヤマハ発動機株式会社だよ!
    発動機を開発製造する会社だよ!
    つまり、エンジンを開発製造する会社なの!
    2000GTのエンジンはヤマハ製!
    車体は違うよ!トヨタでもヤマハでもないし!外注だよ!
    2000GT以降、トヨタ車のエンジンはほとんどがヤマハ製!
    もっと、もっと自動車昭和史とか、自動車技術史とか読んで勉強してくれ!
    レベル低過ぎ!無知過ぎる!くだらない偏見持ってるし!
    事実は事実!偏見持たずにトヨタ博物館とホンダコレクションホールで
    実物見てきたらどうだ!
    トヨタ博物館はレプリカばっかりだけどホンダコレクションホールは全部実物だよ!
    当時の技術力てものが、見て分かるよ!
    ジェット機とジェットエンジンもファンファンラボに有るぞ!
    昭和40年にDOHC4バルブで18000~20000rpm回していた
    ホンダの技術は凄いぞ!
    ヤマハは当時、ホンダより4サイクルエンジンでは、20年は遅れていたね!
    ホンダN360・360cc31ps最高速115km/h
    トヨタ/ヤマハ・パブリカ700cc28ps最高速110Km/h
    N360の性能に勝てないトヨタ/ヤマハは排気量を1500ccにアップして対抗!
    カローラが誕生したのは有名な逸話!
    当時の技術は本物・実物観ない事には解んないだろうな!

  • 2000GTについてよく勉強してきましょう

  • ここ数年トヨタ2000GTは色んな所で話題が出る此の頃ですね

    ご質問の回答を正確に詳しく書き込むと可也長くなるのであらすじをご説明します

    当時60年代前半ヤマハは日産との協力体制にあり初代シルビアはヤマハの工場で製作されていました
    この頃の日本のメーカーは殆どが外国メーカーの助けにより生産が可能の時代の中トヨタだけはオンリージャパン
    すべてを国内の協力会社の元で車の生産をしていた国内唯一のメーカーです
    そのトヨタがアメリカへの本格輸出を考えるにアメリカの高速道路を当時のクラウンで走り車の性能の差に唖然としたそうです
    その事から世界に通用する車を作る事が社内で一部の(5名)メンバーに託されたのです野崎氏による基本設計を完成させた
    チームはこの車はトヨタ社内ではライン生産が本格的に始まっていた事で手作りに頼るしかない設計に社内での製作を断念し
    当時日産がプリンスとの吸収合併が本格的になり技術が無い日産としては他社に頼って来た事でプリンスとの合併で技術力の
    心配も無くなりヤマハとの強力体制を破談とし当時開発を進めていた2000CCクラスの車を試作が完成した時期でもあるが
    試作車の引取りをした後にそのモデルの製作には進まずプリンスの持つスカイラインの製作に力を注ぐ事になり後にGT-Rの
    完成を元プリンスの技術者達の努力で完成させ今に至る訳です
    ヤマハとの開発が途中になったままのモデルが在る事でトヨタ2000GTはヤマハの設計とかヤマハ設計し日産に断られたから
    仕方なくトヨタに持ち込んだ等と言ういい加減な噂話の根拠になってしまった訳です
    当時ヤマハと日産が試作していたモデルはトヨタ2000GTとは排気量以外全く似ても似つかない品物でしたエンジンは4気等で
    5人乗りスタイルも全く違うものでした

    ヤマハは当時日産との提携が破談となりパートナーを探していた頃トヨタとの提携にこじつけた事で会社の存続までも可能に
    したのでした1964年の12月の事です僅3ヶ月弱で基本設計を済ませたトヨタのチームはヤマハとの提携に更なる改良をヤマハと
    共に進めて1965年8月には試作車1型機が完成したのですトヨタが設計を始めて10ヶ月後の事です新車開発では異例の短さに
    ヤマハが出来た物をトヨタに持ち込んだと言われる事となりますますおかしな話になるわけですが当時ヤマハ技術が有るものの
    4輪を販売して行くノウハウが無い事で4輪に関しては裏方に徹した訳です


    ご質問に簡単に答えるとヤマハは4輪を作る能力は有るけど売る力が無かった
    トヨタは技術と設計は有るが作る手段が無かったお互いの力を出し合う事でトヨタ2000GTは完成を見たのです
    ヤマハの力が無ければ出来なかった事は言うまでも無く事実ですしかし構想基本設計部品の調達等はトヨタの力によるものです

    当時の開発に掛かった開発費は当時の貨幣価値の下20億円を越えたそうです当時の開発メンバーからの情報ですから
    間違いは無いでしょうその開発費を車両代に全く乗せる事無く製作されたトヨタ2000GTは当時のヤマハがトヨタに収めた
    価格時点で販売価格を上回りトヨタが供給した部品代すら出なかったそうですヤマハもトヨタも作れば作るほど赤字になった
    車だそうです

    全ては当時のトヨタとヤマハの開発製作関係者に直接聞いた話です信じるか信じないかは此れを読んだ方の自由ですが
    裏付けの無い噂話は止めて頂けると大変嬉しく思います


    fukukitaru1717さん

    エンジンをいくら見てもYAMAHAの刻印は有りませんこの事も車を実際に見た事が有るか無いかの判断になりますね
    トヨタ2000GTにはエンジンルーム内にヤマハのプレートが一枚ありますがそれ以外にヤマハの文字は全く存在しません
    前にも書きましたが裏付けの無いいい加減な書き込みは読む人を混乱させるだけです是非控えて下さい


    質問者様

    失礼しました本題から外れましたね

    当時ヤマハはエンジンは作れてもボディーを作る事が出来ませんでした試作は何度かしましたがどれも販売出来る様な物に
    ならずに開発を止めたのですしかし高性能エンジンを作る技術は素晴らしい物が有りそれを生かしてサポート役に徹したのです
    当時のホンダは国内初のツインカムエンジンを搭載した車を(トラック)販売していますそれはトヨタ2000GTの数ヶ月前の事です
    排気量は小さいけど間違いなく日本初のツインカムエンジンの販売をしましたあまり知られていない事です
    この時代はどのメーカーも元気が良かった時代ですね今は・・・?

  • トヨタも元は食器メーカーで息子の道楽で初めた自動車開発と聞きました、

    エンジン機械に関しては、三菱、スバル、ダイハツが戦時中からのメーカーで零戦のエンジンは世界的にも優秀な富士重工製です。

    質問とは関係のない回答ですが。

  • ん~

    甘い甘い。

    お考えが甘いです。


    自動車開発者は自動車のことしか考えているわけではありません。

    自動車メーカーは車の事だけを考えているわけではありません。

    どんな技術が役に立つか分からないので

    あらゆる方向に目を向けて探しているのですよ。

    長い時間と費用がかかって

    それらが集結して一台の車が出来るのです。

  • トヨタが一番欲しがっていたのはヤマハの楽器つくりの
    ノウハウです。
    かのGTは内装に本木目を使っていました、ヤマハは楽器
    つくりにこの木目技術には長けていたので木目加工は担当
    していました。
    ヤマハもバイクは造っていたのでエンジンの設計と製図には
    協力関係にあったようです。
    主導的立場はやはりトヨタでヤマハは協力関係にあったよう
    です。

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。
光岡 オロチ 新型・現行モデル

査定を依頼する

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?

あなたの愛車いまいくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離

※ 掲載しているすべての情報について保証をいたしかねます。新車価格は発売時の価格のため、掲載価格と実際の価格が異なる場合があります。詳細は、メーカーまたは取扱販売店にてお問い合わせください。

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

光岡 オロチのみんなの質問ランキング

あなたにおすすめのサービス

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車いまいくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離