バンケル型ロータリーエンジン(RE)を搭載した市販車は、マツダ製以外にもいくつかあった。そのどれもが短命だったり成功作とは言えなかったりしたが、確かに「未来」を夢見させてくれたモデルたちであった。
■なかなかうまくいかなかったRE車
1972年東京モーターショーに出展された幻の日産ロータリー車「NISSAN ROTARY」開発秘話
1)世界初のRE搭載市販車
NSU WANKEL SPIDER(西ドイツ)~1964年~
世界初のRE搭載市販車は、本家NSUより1964年に発売されたバンケルスパイダーである。車体は同社製プリンツをベースとし、後部に搭載したシングルローターREで後輪を駆動。軽い車体も相まって、スポーツカーとしてかなり高い走行性能を見せた。総生産台数は2375台とされ、日本国内には少なくとも2台現存する。
バンケルスパイダーの500ccシングルローターエンジン。同車の発売によりNSUはRE提唱者としての「面目」を保った。だが、RE自体の耐久性については根本的な解決がなされておらず、トラブルも少なからず発生したという。
RRレイアウトで、エンジンが最後部でトランスミッションが前方にマウントされる。エンジン本体が非常に小型なため、エンジンルーム上部にフタをして浅いながらもトランクスペースを設けることができた。
2)NSUブランド最後のモデルに
NSU Ro80(西ドイツ)~1967年~
2ローターRE車の発売で日本の東洋工業(マツダ)に先を越されたNSUは1967年、Ro80という名の4ドアセダンを発売する。バンケルスパイダーのエンジンを基本に2ローター化し、トルコン併用の3速ミッションを組み合わせて180km/hの最高速を発揮した。だがこの時点でもNSU製REは未熟でトラブルが続出し、エンジン載せ替えなど巨額の対策費が経営を圧迫。最終的にはアウディに吸収される形となり、同車はNSUブランド最後のモデルとなった。REで一躍脚光を浴び、REで消滅するとは皮肉と言うほかない。なお、同車は日本でもごく短期間、輸入および販売がなされ現存する個体もあるようだ。
3)車名は“2ローター”を意味する
Citroen GS Birotor(フランス)~1972年~
1970年に発表されたシトロエンのGSシリーズは、小型車アミと上級車DSの中間を埋めるクラスとして設定。それに1000cc/107psの2ローターREを搭載したのがGSビロトールだ。車名の”ビロトール”とは、フランス語で「ふたつのローター」を意味する。シトロエンはNSUとタッグを組み、1967年にルクセンブルクにコモトール社を設立し、同時にREのライセンスを取得した。ここで開発した2ローターREを同車に搭載したのである。2年間での総生産台数は847台とされる。
■バイクにもあったRE車
4)世界で2番目にライセンスを取得
HERCULES W2000(西ドイツ)~1973年~
西ドイツのフィヒテル・ウント・ザックス(1960年12月にREライセンス取得。これは世界で2番目になる)が開発したシングルローター、303ccの汎用の強制空冷RE(KM914型)をベースに、BMW製二輪車に使われていた4速ミッションを組み合わせて搭載。1973年に発売されたのがハーキュレスW2000である。車体が軽量なため、かなりキビキビした走りを見せた。車名の「W」はバンケルの頭文字で、「2000」は2000年という未来を見据えて採られたとされる。総生産台数1784台。
フィヒテル・ウント・ザックス製の強制空冷RE。W2000生産時には設計が改められ、294cc仕様のKC27型として搭載された。
5)日本で唯一の市販RE二輪車
SUZUKI RE5(日本)~1974年~
日本製で唯一の市販RE二輪車(輸出専用)。日本らしく、真面目にREのネガを消していったら補機類の塊のようになってしまい、車重が増大して乾燥で230kgにもなってしまった。この数値は当時の750~900ccクラスに相当し、REパワーの恩恵を薄めてしまった。初期型(写真)はジョルジェット・ジウジアーロによる特異なデザインで、後期になると同社製GT750と共通のメーター/テールまわりに変更され少し普通になった。総生産台数は6000台ほどと公式には言われる。
〈日本の試作車たち〉
●ヤマハRZ201
東京モーターショーで大々的に発表し、市販直前までこぎつけながら、オイルショックの影響で中止となったヤマハのRZ201。吸気にオイルを混合するCCRシステム採用の2ローターREは、ヤンマーディーゼル(マツダと同じ1961年2月にライセンス締結)との共同開発で330cc×2。
●カワサキの試作車
カワサキは1972年からREの開発に着手し、同年10月にNSUとライセンス締結。448cc×2の試作2ローターREを1974年4月に完成させた。早々に目標値の85psをクリアし、11月に実車に搭載して最高速テストなども行ったが翌年に開発を中止。写真の試作車は現存する。
●ホンダの試作車
ホンダはNSUとライセンス締結せず、あくまで研究として1972年にREを試作した。125ccクラスのA16、50ccクラスのA24の2種類のREを試作し、A16は同社製CB125に搭載して試験まで行った(写真の車両)。だが、いずれも「メリットに乏しい」と判断して開発を中止した。
6)世界初の2ローターRE二輪車
Van Veen OCR1000(オランダ)~1977年~
オランダ人ヘンドリック・バンビーン(現地発音ではファンフィーンに近い)が設立したバンビーン社は1973年、RE二輪車の開発に着手する。イタリア・モトグッチの車体にマツダ10Aを搭載した車両など数種を試作し、その後生産拠点を西ドイツに構え1977年に市販化。同車は世界初の市販2ローターRE二輪車となった。車名にもある1000ccの2ローターREは、シトロエンのGSビロトールに搭載されたコモトール製で、装備で車重330kgの巨漢ながら走りはなかなかに強烈だった。だが高価だったため40台内外の生産のみで終了。マンガ「熱風の虎」に出てきたため、その数の割には有名にモデルである。日本国内には2台現存する。
7)REの開発にこだわりを見せた
NORTON CLASSIC & F1(イギリス)~1988年~
マツダの次に、REに固執したのがイギリスのノートンだったと言える(謎に包まれたロシアのメーカーを除いて、だが)。西独フィヒテル・ウント・ザックスの生産設備を引き継ぎ、2ローターREを開発してまずは1980年代前半に警察車両のインターポールに搭載。同車の総排気量は294cc×2の588ccで、1ローターあたりがハーキュレスW2000と同一であることがわかる。その後1988年に市販化したのが、写真のクラシックである。このクラシックをベースに、フルカウリングモデルとしたコマンダーも存在する。
588ccの2ローターREを水冷化し、レーサー的な車体に搭載したのが1991年のF1である。1989年のTT-F1で優勝したノートンワークスのREレーサー、RCW588のJPSカラーが与えられ、95psという高出力で強力な走りを見せた。なお、ミッションの設計変更によりシャフト1本を追加、空冷時代とはエンジンの回転方向が逆になっている(タイヤの回転方向と逆)。当時国内では450万円(!)で販売され、現存車両もある。
〈2020年3月30日発売:マツダ ロータリーの神々(八重洲出版)より〉
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これ当時のモーターサイクリストでもロン.ハスラムがテストライダーで記事になってたと思うが、これでTT-F1参戦する開発意図あったと思う。