A110伝説の源流、アルピーヌ・ルノー A110ベルリネット
間もなくその歴史の幕を閉じようとしている現行アルピーヌ「A110」が登場する以前から、そのオリジナル版であるアルピーヌ・ルノー「A110」はフランス製スポーツカーの雄として、日本を含む全世界で憧れの的。とくに、近年の国際クラシックカー・マーケットにおける高騰ぶりには、目をみはらせるものがあります。2025年2月にボナムズ社がパリ「レトロモビル」に付随して開催した大規模オークション「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS(パリに集う世界の偉大なブランドたち)」では、かつてラリー車として活躍した経歴のあるアルピーヌ・ルノー「A110 1600S」が出品されました。今回はそのあらましと、注目のオークション結果についてお伝えします。
元祖アルピーヌ「A110」は意外と快適。もちろん徹底的にナチュラルなコーナーワークは感動ものでした【旧車ソムリエ】
今いちど振り返る、アルピーヌ A110ってどんなクルマ?
1955年、南仏ディエップのルノー販売代理店主ジャン・レデレが、ルノーの庇護のもと興したアルピーヌが、それから7年後の1962年にデビューさせたアルピーヌ・ルノー「A110」は、同名のオマージュ版が現代に登場するほどにアイコニックな、フランス製スポーツカーの歴史的名作である。
アルピーヌ・ルノーの歴史はルノー「4CV」をベースとする「A106 ミッレ・ミリア」に始まり、後継車「ドーフィン」をベースとする「A108」へと継承。そしてA110は、革新的なリアエンジン後輪駆動ベルリーヌ「ルノー8(R8)」用の前後サスペンションと4輪ディスクブレーキを、自社製のバックボーン式フレームと美しいFRPボディに組み合わせた。
そんなA110の名声を決定的なものとしたのは、極上のラリーマシンとしての資質に間違いあるまい。1965年、「A110 1100ゴルディーニ(1100G)」からスタートしたアルピーヌと、魔術師と呼ばれた伝説のチューナー、アメデ・ゴルディーニのコラボレーションは、ラリー活動で一気に開花することになる。
1971年シーズンには初の全欧タイトルを獲得
生来、イタリアのミッレ・ミリアなどの長距離ロードレース用GTレースカーから発展してきたA110が、じつはラリーマシンとして非凡な資質を持っていることに気づいていたレデレとゴルディーニは、1100Gよりさらに高性能な「A110 1300S」を開発。まずは国内ラリーから本格的に総合優勝を目指して参戦して、予想どおりの好成績を挙げる。
しかし、ポルシェ「911」など強力なライバルが居並ぶ国際ラリーに打って出るには、依然としてパワー不足であることが露呈、そこでゴルディーニ製1.6Lユニットを搭載した「1600S(1600VB)」を製作しWRCの前身である欧州ラリー選手権(ERC)に投入することになった。
そして、最低400台の生産が要求される「グループ4」(改造GT)および1000台以上の生産が必要な「グループ3」(GT)の双方でFIA(国際自動車連盟)ホモロゲートを取得。グループ4ではワークスおよび有力プライベーター、グループ3では主にアマチュアのラリーストたちによって実戦投入されてゆく。
アルピーヌとゴルディーニの目論見はみごとに効を奏し、素晴らしい速さと耐久性を兼ね備えたグループ4仕様のA110は、1971年シーズンにはERCで初の全欧タイトルを獲得。さらに1973年シーズンには伝統の「モンテカルロ・ラリー」優勝を皮切りに、この年から開幕したWRC選手権製造者部門でワールドタイトルを制覇。ついに、世界ラリー界の頂点を極めるに至ったのだ。
ラリーマシン上がりのA110
クラシック・アルピーヌの履歴を管理する「アルピーヌ・レジスター」によると、このほどボナムズ「LES GRANDES MARQUES DU MONDE À PARIS 2025」オークションに出品されたアルピーヌ・ルノー A110 1600S、シャシーナンバー「17808」は1972年にディエップ本社工場から出荷され、その時からもっともアイコニックなカラーである「ブルー・アルピーヌ・メタリゼ(Bleu Alpine Métallisé)」で仕上げられていた。
最初の仕向け地であるイタリアに輸出される以前の段階から「FIAグループ3」仕様に仕上げられ、さまざまなナンバープレート(当時は県が変わるたびに登録が変更された)を付けて、さまざまなコンペティションに参戦したことが記されている。
「エストラッティ・クロノロジチ(Estratti Cronologici:オーナー履歴書)」によると、最初のオーナーはフィレンツェのアリージ・ペルッチで、その後、パルマのブルーノ・ボッコニ、ミラノのジャンカルロ・モレッティ、ペルージャ近郊フォリーノのクラウディオ・アントニーニ、ペルージャ近郊カンナーラのロモロ・ファルチネッリ、コモとモデナの双方に本拠を置くガエターノ・アフェッティが続いたと記録されている。そして1979年9月以降、このA110は同じナンバープレートのまま、モデナに登録されている。
特筆すべきは、前述のオーナーのほとんどが、このクルマでモータースポーツに参戦していることである。その戦歴はここでは紹介しきれないほどおびただしいものながら、競技歴のハイライトは、1972年にファーストオーナーが獲得した9回以上のクラス1位。これには「ボルミオ・ステルヴィオ」、「コッパ・アルペ・ネヴェガル」、「コッパ・デル・キャンティ」など、当時の人気国内イベントが含まれる。
さらにこのアルピーヌは、1978年まで毎シーズンのようにラリーに参戦。デビューから5年を経ていた旧式マシンにもかかわらず、マジオーネ・サーキットではグループ3カテゴリーで2位入賞している。これらの戦歴の大部分は、イタリアのモータースポーツ雑誌「Autosprint」に記録されているほか、1989年発行の「ACI/CSAIレポート」にも証明されている。また、イタリアの雑誌に長い特集記事が掲載されたこともあるという。
2回のレストアが施された1台
くわえてこの個体は、少なくとも2回のレストアが施されている。ひとつは2000年以前にエンジンのオーバーホールから、ギアボックス、インテリア、キャブレター、ボディ、ブレーキ、ステアリングなどの修復。その作業工賃は現在のユーロではなく、当時のイタリア・リラで支払われたことが、インボイスで明らかになっている。
さらに2011年末には、イタリア・マルケ州アスコリ・ピチェーノにあるファビオ・タルクィーニの工房にて、外装をラリーカー時代のイエローからオリジナルの「ブルー・アルピーヌ・メタリゼ」に戻している。このときロールバーは残されたものの、約40年ぶりにほぼロードバージョンのスペックに戻すレストアを受けている。
このアルピーヌ・ルノー A110 1600Sについて、歴代オーナーがすべて判明している確かなキャリア、1970年代の華々しいコンペティション歴、美しいレストアが施されていることなどのストロングポイントを鑑みたボナムズ社は、現オーナーとの協議の結果として10万ユーロ~13万ユーロ(邦貨換算約1600万円~2080万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして迎えた競売ではビッド(入札)が順調に進み、終わってみればエスティメートのほぼ中央値である11万2125ユーロ、日本円に換算すれば約1800万円で競売人の掌中のハンマーが鳴らされることになった。
今回の落札価格は円安のため、日本円に換算してしまうとなかなかの高額に映るかたわらで、現役時代のラリーヒストリーに富んだA110 1600Sであることを思えば、比較的リーズナブルだったのでは……? とも感じられるハンマープライスだったのである。
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
申込み最短3時間後に最大20社から
愛車の査定結果をWebでお知らせ!
店舗に行かずにお家でカンタン新車見積り。まずはネットで地域や希望車種を入力!
みんなのコメント