チューナーの心に残る厳選のGT-Rを語る【マインズ新倉通蔵代表】
絶対的な速さや、圧倒的なパワーだけでは成し得ないひとつの成果。心に染み入る特別な感情。幾台もの作品を作り上げる中で今も心に残る1台。日本を代表するGT-Rスペシャリストが特別なデモカー秘話を展開する。
日産「R35 GT-R」は走行20万キロオーバー! クラッシュを乗り越え12年半の歩みを一挙公開
(初出:GT-R Magazine 141号)
マインズ設立前の下積み時代を経て
イチ早くエンジン制御の重要性に着目し「コンピュータチューニング」というジャンルを、世の中に広めた人物。それが『マインズ』の新倉通蔵(にいくら・みちぞう)代表だ。特別に電気に強いわけでもない新倉代表は、ごく普通のクルマ好きの少年だった。クルマに携わる仕事がしたくてブリヂストンのタイヤ販売会社に就職。チューナーとしての独立を夢見て日々仕事に励んでいた。
休日にはトムスやTRD、それに東名自動車といったファクトリーに顔を出し、「チューニングに対する考え方や心構えのようなもの」を学んでいたという。
夢が叶ったのは、タイヤ販売会社に従事してから12年後。昭和61(1986)年にマインズは誕生した。当初、トムスの看板を掲げていたほど関係は深く、その流れもあって力を入れていた車種はZ20型トヨタ・ソアラやA70型スープラで、7M-GTと1G-GTエンジンに主軸を置いて展開していた。そんなことからオープン当時は「トヨタの上級車種を扱うショップ」というイメージが強かったそうだ。
「トヨタだけ、というわけではなかったんです。トムスからいろいろとアドバイスをいただいた関係で、最初に力を入れたクルマがトヨタだった。いきなり日産もスバルも、とはいきませんからね」と新倉代表は当時を振り返る。
GT-R以前は新しいジャンルで四苦八苦
オープン当時からすでにエンジンチューニングの必須項目は制御だと主張。しかし、さすがの新倉代表にとっても、そのころはまだメインコンピュータはブラックボックスで、自動車メーカー以外の人間には触ることが許されない未知の領域という認識だった。そこでサブコンの「フューエルハッカー」を開発して燃調を取っていたのだ。
「7M-GTはパーフェクトにコントロールできましたが、1G-GTだとそうはいかなかった。フューエルカットの領域を変化させると点火のタイミングがおかしくなってしまう。どうやっても思うようにコントロールできませんでした」
新倉代表がサブコンの限界を感じた出来事だ。これをきっかけにメインコンピュータでの制御を決断。早くも1988年には当時、禁断と言われていたメインコンピュータに手を入れた「VXロム」を誕生させる。
しかし、最初からうまくはいかなかった。メインコンピュータは制御のスケールが大き過ぎて、想像以上に手強い。そのころには日産車も取り扱っており、第1弾となるR31スカイライン用のVXロムと格闘していた。気の遠くなるような数字の羅列であるデータを何とか理解し、ノーマルタービンでのブーストアップが完璧にこなせるようになった。
だが新倉代表はそれだけでは満足しなかった。GT-Rの復活を予告するかのようなGTS-Rで、VXロムの可能性を追求したのだ。排気量を2.2Lに上げて、タービンは純正のTO4EをからIHIのRX-6 F1に変更。大容量インジェクターを使い、それをメインコンピュータだけで制御する。当時としては斬新で画期的なセッティングに挑んでいた。
谷田部でGTS-Rの最高速に挑戦!
その実力を試すステージとなったのは、当時、茨城県の谷田部にあった日本自動車研究所の高速周回路、通称「谷田部」である。どれだけの速度が出せるのか。「最高速」への挑戦であった。
「比較的手の込んだ仕様の場合、ほかのショップはみんなサブコンとサブインジェクターを使って燃調を取っていました。でもわれわれは困難を承知でVXロムと容量を増やしたメインインジェクターだけの制御に挑みました。これが一発で決まればかっこよかったんですが……」
なかなか決まらなかったと新倉代表。それでもメインコンピュータでの制御に拘った。今でこそサブインジェクターを使っていたら、効率の悪い時代遅れの燃料増量法と判断できるが、当時サブインジェクターはパワーアップの証と捉えられるところがあった。現にサブインジェクターを使って多くのショップは記録を出していた。「奇をてらって話題を取ろうとしても無理だ」という声が新倉代表の耳にも届いた。しかし、いくら無謀だと言われようと諦めなかった。理想は絶対にメインコンピュータでの制御だと確信していたからだ。
「当時、谷田部には月に何度も出向いていました。もちろん取材です。記録が出るように雑誌がチャンスを作ってくれたんです」
それでもチャンスはなかなか生かせなかった。満を持して2台のGTS-Rを用意した谷田部では、あろうことか2台ともエンジンブロー。しかも場所が同じだった。それがきっかけとなって、水温補正が悪さをしていたことを突き止めた。制御の壁となっていた部分だ。壁を乗り越えたことで、やっとF1タービン仕様のGTS-Rはセッティングが決まり、1988年11月に290.556km/hをマーク。新倉代表にとってのターニングポイントとなる記録だ。ここからマインズの快進撃が始まる。
マインズが手掛けたGT-Rデモカーは12台
ついにBNR32型GT-RでGTS-Rでの苦労が実を結ぶ。多くの人たちの念願だった第2世代GT-Rの登場に、VXロムは万全の体制で臨むことができた。
「何しろVXロムだけで最高速は290km/h台、ゼロヨンは11秒台をあっさり叩き出しました。GTS-Rでやり尽くしたことは無駄ではなかったんです」
この衝撃が瞬く間にチューニング好きに知れ渡り、VXロムというコンピュータチューニングに関心が向けられる。同時にマインズの知名度も跳ね上がることとなった。
最初のBNR32のデモカーはガンメタだった。ほとんどノーマルでVXロムの実力をアピールする車両だと言える。その後、NISMO、N1と順番に手を加えていき、合計3台のBNR32がデモカーとして活躍した。続くBCNR33では2台、BNR34では4台、そしてR35では3台、新倉代表はトータルで12台ものGT-Rをデモカーとしてプロデュースしている。
「GT-Rのデモカーでマインズの実力が上手く表現できました。R32はスパルタンで、R33はラグジュアリー、R34はスマート、そしてR35はアダルト。それぞれに味があり、どれもが大切な作品です。コンピュータばかりでなく、クルマ作りそのものを学ばせてもらった、わたしにとっての財産です」と新倉代表。特にR32のデモカーには思い入れが強い。
「何しろ、それまでの努力がすべて反映できた、マインズにとっての出世作みたいなものですからね」
出世作となったBNR32 N1の凄さ
中でもBNR32 N1ベースのデモカーは新倉代表の理想に限りなく近いキャラクターに仕上がっている。マインズはオープン当初からシンプルメイクでスマートなチューニングを心掛けてきた。R32が登場してからは、さらにノーマル風を貫いてきた。もちろんチューニングはしているが、エンジンルームを見ただけでは純正との違いがわからないようなモディファイに拘った。
タービンはノーマルと同じような外観を持つT3の羽根やアクチュエータを加工して、風量やブーストを上げている。450psくらいしか対応できないエアフロは、外観は純正と同じながら600psまで対応できるものを開発。ちなみにほかのショップはZ32用の純正エアフロを二つ使って対応していたが、それよりも全域にわたってキメ細かく制御できるそうだ。それに大容量のインジェクターと強化燃料ポンプ。このセットをVXロムで繊細にコントロールしていく。
この威力が壮絶だった。エンジンルームを見る限りノーマルだから驚く。パワー的には500psちょっと。とにかく扱いやすさを追求した柔軟な特性に仕上げた。谷田部での最高速は305.52km/hをマーク。ゼロヨンは11秒153。10秒台も夢ではない実力だ。時は1992年。四半世紀も前だということを鑑みると、とてつもないポテンシャルということは間違いない。
新倉代表は谷田部でのテストではカジュアルな服装で、データの違う何種類かのロムを持ち込み、クルマのコンディションを確認しながらコンピュータの基盤に差し換えて調子を整えていく。このスタイルが定着した。ツナギを着ないチューナー、それが新倉流だ。
これでもかというほど、エンジンルームにパーツを詰め込んだチューニングカーを尻目に、ノーマル然としたエンジンルームのマインズR32は悠然と圧倒的な速さを実現させる。
「ノーマルであの速さは出せない。インチキだ」という声も聞こえてきた。もちろんノーマルなんかじゃない。ノーマルを装ったチューニングカーなのだ。当時はそれがマインズの作戦であるから、詳細をライバルたちに打ち明けられるはずがない。ノーマルのようでいて、内に秘めた隠しきれない実力がほとばしる。N1ベースのマインズ号は独特の存在感を醸し出していた。
筑波サーキット1分切りの快挙を遂げる
新倉代表はBNR32のN1レースにも携わった。ALTIAファルケンGT-Rを通じてコンピュータの役割や、レーシングマシンの仕立て方といった、ストリートチューニングとは次元の違う世界を知った。これが新たなるステップアップに弾みをつけたのだ。その経験は確実にデモカーにも生かされた。
1995年6月、N1ベースであるR32のデモカーが筑波サーキットで1分切りの快挙を成し遂げる。59秒783。ドライバーは桂 伸一氏が務めた。マインズのクルマを知り尽くしている人物だ。
「もちろんゼロヨンや最高速も偉大ですが、筑波の1分切りはそれらとは別物です。どっちが偉いかなんて決められません。それでもVXロムが、サーキットでも通用することが証明できました。ずっと狙っていたのでうれしかったし、感動もした。でも今、当時を回想していたら、『ホッとした』という言葉がぴったりくるように思います」
N1ベースのR32デモカーはマインズにとって記念すべき1台となった。それまでの苦労、悔しい思いを越えて、結果を出した達成感と安心感は、今でも新倉代表の心に鮮明に残っている。
(この記事は2018年6月1日発売のGT-R Magazine 141号に掲載した記事を元に再編集しています)
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みんなのコメント
すごい時代になったもんだ。