夢のままに終わったスーパーカーたち
大金を投じて超高級車を購入するのであれば、そのクルマには価格相応の「ブランド」を期待するものだ。どんなクルマを買うときでも、ブランドはある程度重視されるものだが、スーパーカーに限って言えば極めて重要なものなのだ。
<span>【画像】脚光を浴びるスーパーカー【ブガッティ、リマック、ケーニグセグなど4車種】 全96枚</span>
過去数十年の間に、スーパーカーを世に送り出そうとして新しいブランドが次々と誕生したが、長く存続した例はほとんどない。数多のスーパーカーブランドが誕生しては消えていった。今回は、そんな失敗作の一部を紹介する。
クルマ自体がどれだけ優れていても、時期や資金、競合、市場、運など、さまざま理由で日の目を見ることなく姿を消すことがある。たまには彼らのことを思い出し、機会があれば会いに行くのもいいだろう。街中ですれ違うことはまずないだろうが、博物館やイベント、レースなどで出会えることもある。
モンテヴェルディ・ハイ(1970年)
高級スーパーカーといえば、モンテヴェルディ・ハイ(Monteverdi Hai)ほどレアなものはない。故ペーター・モンテヴェルディがデザインしたこのクルマは、わずか2台しか製造されなかった。
クライスラーの7.0L V8ヘミエンジンを搭載し、最高出力456ps、最高速度290km/hを発揮するようにチューニングされていた。エアコンやレザートリムなどを装備した豪華なスーパーカーであったが、製造品質が十分ではなかった。
ちなみに車名のハイとは、ドイツ語で「鮫」を意味する。
アーガイルGT(1976年)
1976年、ボブ・ヘンダーソンがスコットランドでスーパーカーを作ろうとしたときは、オイルショックで計画がすぐに頓挫するとは思いもしなかっただろう。プロジェクトが本格的に始動するのは1977年、最初の個体が完成するのは1984年になってからだ。
その頃には、予定されていたV8ツインターボが2664ccのV6ターボに格下げされたため、顧客は興味を失ってしまったのである。
パンサー・シックス(1977年)
1970年代後半、血中ガソリン濃度が高めの少年の部屋には、この狂ったハイパーカーのポスターが貼られていた。6輪のレイアウトとキャデラック製8.2L V8ツインターボを後部に搭載したこのクルマは、まさにクレイジーなモンスターであった。
わずか2台しか製造されず、それぞれが最高速度320km/hの性能を持っていたとされるが、誰もそれを確認することができていない。1台はレストアされて欧州に現存するが、もう1台(モーターショー用)は数年前に姿を消し、中東のどこかに潜んでいると言われている。
童夢・零(1978年)
1978年のジュネーブ・モーターショーで「童夢・零(ドウム・ゼロ)」が公開されたとき、日本のメーカーがどうしてこんな奇抜なものを作れたのかと、誰もが息をのんだ。
カウンタックよりもクレイジーな零は、残念ながら日本でのホモロゲーションテストを受ける余裕がなかった。2.8Lの直列6気筒で145ps程度しか出ないのだから、それほど速くはなかっただろうが、何と言ってもそのルックスが素晴らしい。
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
アストン マーティンがミドエンジンのブルドッグを発表した当初は、25台まで製造するという話があった。電動のガルウィングドア、700psのツインターボV8、そして何ともドラマチックなデザイン(ウィリアム・タウンズの手によるもの)を備えたブルドッグなら、すぐに飼い主を見つけることができただろう。何より、最高速度が320km/h近いことが確認されれば、世界最速の市販車になるはずだった。
しかし、すべての開発作業が終了した頃には、伝統的なアストン マーティンの進むべき道ではないと見なされた。そのため1台しか製造されなかったが、今でも生き残っており、英国の自動車イベントに時々登場している。
ウォルフレース・ソニック(1981年)
ウォルフレース・ソニックはワンオフモデルなので、今回の記事の趣旨とは少しばかりズレてしまうが、注目を集める宣伝用マシンとして製作され、今ではすっかり忘れ去られてしまっていることから、十分紹介するに値するだろう。
ウォルフレース・ホイールの初代オーナーであるバリー・トレーシーの依頼を受け、ニック・バトラーがデザインを担当し、2台のローバー製V8エンジンを搭載した6輪の2シーターを考案した。
10万ポンド(約1500万円)をかけて製作され、ウォルフレース社に大きな宣伝効果をもたらした後に姿を消したが、2015年にスクラップのような状態でオークションサイトのeBayに登場。1万8100ポンド(約280万円)で落札された。
コディアックF1(1983年)
1983年、セルビア人のムラデン・ミトロヴィッチがフランクフルト・モーターショーで発表したスーパーカーは、どこの国のどんなクルマにも負けないと言われていた。
320psのシボレー製5.4L V8を搭載したコディアックF1は、ガルウイングを持つメルセデスのC-111にインスパイアされたもので、1日中270km/hの速度で走ることができ、絶対的な信頼性があると謳われた。後期型には5.6Lのメルセデス製V8が搭載されるはずだったが、後期型の登場は実現しなかった。
イスデラ・インペラートル(1984年)
1978年に発表されたコンセプトカー「CW311」は、6年の歳月をかけて製作されたが、市販化の予定はなかった。そのため、CW311のデザイナーであるエバーハルト・シュルツが、イスデラというブランドを使って自ら生産を開始した。
彼はこのスーパーカーを「インペラートル」と名付け、5.0L、5.6L、6.0LのV8エンジンを搭載し、最高出力390ps、最高速度283km/hを実現した。
生産は1993年にイスデラが倒産するまで続いたが、その間に30台のインペラートルが世に送り出された。今でも時々、40万ポンド(約6000万円)前後で売りに出される。
チゼータV16(1989年)
スーパーカーの極限ともいえるモデル。5995ccの16気筒エンジンを横置きでミドシップ搭載しているのだから、幅が広いのも不思議ではない。
最高出力568psを8000rpmという驚異的な回転数で発揮し、64個のバルブを駆使してフル回転させたときのサウンドは畏敬の念すら抱かせる。V16Tは最高速度328km/hに達すると言われていたが、公式にテストされていないので、誰にもわからない。
1989年にプロトタイプが完成したにもかかわらず、納車が始まったのは1992年、生産が終了したのは2003年だった。
ジオット・キャスピタ(1989年)
1989年にジオットが発表したキャスピタは、「サーキットに行き、レースに出て、そのまま帰宅する、そんな生活ができるクルマ」と謳われていた。
当初はフォーミュラ1用のV12エンジンをデチューンしたものを搭載していたが、1990年にはジオット製のV10を搭載。どちらも320km/h以上のスピードを出すことができるとされたが、顧客の手に届くことはなかった。
ベクターW8(1989年)
1976年に発表されたベクター・エアロモーティブW2は、デザイナーのジェリー・ウィーガート氏が航空技術に夢中になっていたことから生まれたモデルである。W2を市販化すべく開発したのがW8で、1989年にようやく公道走行可能な状態で公開された。当時の価格は45万ドル(約5100万円)であった。
W8の心臓部には、最高出力600psのGM製6.0L V8ターボが搭載され、最高速度は320klm/hに達すると言われていた。その価格にもかかわらず、14台が販売されている。1992年には76万5000ドル(約8700万円)という破格の値段のWX-3が跡を継いだ。
ジャガーXJR-15(1990年)
ジャガーが不運なXJ220プロジェクトに着手したのと同時期、傍らではもう1台のスーパーカー、XJR-15が開発されていた。XJ220にはV12が搭載される予定だったが、代わりにV6ツインターボが採用された。一方、XJR-15は12気筒で450psを発揮し、最高速度307km/hを実現した。
「ジャガー・スポーツ・インターコンチネンタル・チャレンジ」と呼ばれるワンメイクのレースシリーズのために、わずか50台が製造された。市販車としても製造され、その一部は現存している。2004年には、ジャガー・スポーツがAJ-V8エンジンを搭載してXJR-15を復活させる計画だったが、このプロジェクトは始動すらしなかった。
マセラティ・チュバスコ(1990年)
1990年12月に発表されたチュバスコは、「マセラティの新しい顔になる」と謳われていた。堅苦しいビトゥルボの後にミドシップエンジンを搭載して現れたチュバスコは、モータースポーツ界の花形ブランドの1つであるマセラティから、何か刺激的なものがもたらされるはずだった。
パワートレインは、シャマル社製の3.2L V8ツインターボを縦置きに搭載し、最高出力は435psを発揮する。マセラティは、F1レベルのグリップとパフォーマンスを声高に主張し、年間150台のペースで450台以上を製造すると見込んでいた。結局、このプロジェクトは半年後に中止となり、走らないモックアップが作られただけで、1台も製造されなかった。
タトラMTX-4 RS(1990年)
世界経済が破綻する直前の1990年12月に初公開されたタトラMTX-4 RSは、チェコスロバキア初のスーパーカーとして誕生した。リアエンジンのリムジンで知られていたタトラは、鉄のカーテンの崩壊後、新たな道を歩み始め、年間100台以下の生産を目指していた。
デザインはベルトーネが担当し、パワートレインはそれまでのセダンと同じ4.0L空冷V8を搭載する。218psと208psの2種類があり、後者は電子制御式燃料噴射を採用して、最高速度は265km/hとされていた。その後、不況に見舞われなければ実現していただろうか……?
ビッター・タスコ(1991年)
元レーシングドライバーであるエーリッヒ・ビッターの会社は、SCに代表されるオペルのボディを載せ替えたモデルで知られているが、たまにタスコのような奇抜なものも作った。1991年のフランクフルト・モーターショーで発表されたタスコは、MGAディベロップメンツ社との共同開発によるもの。
V8やV12を搭載するように設計されていたが、ヴァイパーのV10が好まれたため、タスコは実物大のモックアップの段階から進展しなかった。
シュパン962CR(1991年)
シュパン962は、タイミングを逸したスーパーカーの1つだった。元レーサーのヴァーン・シュパンが、ポルシェのアイコンである962の公道仕様を作ろうと企画したものだ。3.3Lツインターボ・フラット6を搭載し、最高出力608ps、最高速度は350km/hであった。
50台の製造が予定されていたが、77万ポンド(約1億2000万円)という希望価格では、購入者を見つけるのは容易ではなかった。結局、5台が製造されただけで、1994年末にプロジェクトは終了した。
MCAセンテナーレ(1992年)
まるでミニカーのような不格好なデザインだが、1992年に発表された時の価格は50万ドル(約5700万円)だった。ランボルギーニのV12をミドマウントし、イタリアの名門カスターニャがデザインしたが、モナコでのプレス発表会では誰も運転することができなかった。
6台が製造されたといわれ、1993年のル・マン出場も目指したが、残念な結果に終わった。販売が軌道に乗らなかったため、このプロジェクトはエグザム・メガに売却され、そこでモンテカルロとして再出発したが、販売は同様に困難だった。
シュピースTC522(1992年)
産業用変圧器のメーカーとして知られるドイツのシュピースが、一体どんなクルマを作ったのか?1992年に登場したTC522は、カーボンファイバー製のボディシェルに最高出力500ps超のツインターボ5.7L V8と6速トランスミッションを採用していた。
しかし、シュピースは若いスーパーカーメーカーにつきものの、どうすれば買い手にお金を出してもらえるのかという問題に悩まされていた。TC522の価格は36万2000ポンド(約5600万円)であり、このプロジェクトが途中で頓挫したのは当然のことである。
ヤマハOX99-11(1992年)
スーパーカーの世界では通常、「公道走行可能なレーシングカー」という言葉は、言ってしまえばマーケティングの誇張表現であるが、ヤマハの場合は違った。OX99-11はマクラーレンF1を苦しめることができた数少ないクルマの1つであり、市販化されなかったことは残念でならない。
OX99-11が登場したのは1992年のことで、1990年代初頭のブラバムやジョーダンに搭載されていた425psの3.5L V12エンジンを車体中央に搭載していた。価格は100万ドル(約1億1000万円)と非常に高額だったが、これほどのものが他にあるだろうか。わずか3台のみ製造された。
ダウアー962(1993年)
ヨッヘン・ダウアーは、ポルシェのレースプログラムに密接に関わっていたため、ル・マン24時間レースで成功を収めた962のことをよく知っていた。ダウアーは、純正の962のシャシーに、カーボンファイバーとケブラーを用いたボディを装着し、オリジナルよりも空力特性を向上させている。
最高出力740psのツインターボ3.0Lフラット6を搭載したダウアー962は圧倒的な速さを誇り、新車時の価格は約70万ポンド(約1億円)で、わずか13台しか製造されなかった。
イズデラ・コメンダトーレ112i(1993年)
開発開始から4年後の1993年、コメンダトーレ112iがフランクフルト・モーターショーで発表されたが、このプロジェクトによりイスデラ社は2度目の倒産を余儀なくされ、再び消滅した。その後、1999年に再度登場したものの、またすぐに姿を消してしまった。
50万ポンド(約7700万円)の112iは、420psのメルセデス製6.0L V12を搭載し、最高速度338km/h、0-97km/h加速は4.3秒。さらに調整可能なサスペンションを装備していた。
リスター・ストーム(1993年)
GTマシンとしてよく知られているリスター・ストームは、4台の公道走行用モデルが製造され、そのうち3台が現存している。いずれも7.0Lのジャガー製V12を搭載しており、最高出力553ps、最大トルク80kg-mを発揮するストームは、発売当時、世界最速の市販4シーターと謳われた。
リスターによると、最高速度335km/h、0-97km/h加速4.1秒とされていた。
ジリアート・アエローザ(1994年)
ジリアートは日本の企業ではあるが、英国に拠点を置き、イタリアの老舗デザインハウスに対抗する重要な存在になろうとしていた。1994年には、フォード製の3.0L V6を搭載した魅力的なアエローザを発表している。
ちょっとした工夫で、このエンジンから300psを引き出すことができたが、1995年にはこのプロジェクトはすでに過去のものとなっていたのである。
ベンチュリー400GT(1994年)
フランスの自動車メーカーであるMVSが倒産した後、ベンチュリーとして復活し、同社はV6エンジンをミドマウントしたスポーツグランドツアラーを製造することを使命とした。ベンチュリーの誇る最強モデルは、ツインターボの3.0Lを搭載した400GTで、最高出力412psを誇り、最高速度293km/h、0-100km/hをわずか4.1秒で達成した。公道仕様はわずか10数台が生産されたが、レース向けには数十台が生産された。
ヒメネス・ノヴィア(1995年)
ヒメネス・ノヴィアは、想像を超える複雑なシリンダー構成を採用していた。ヤマハ製の1.0L 4気筒エンジン(FZR1000のバイク用エンジン)を4つ搭載し、シリンダーをW字型に配置して共通のクランクシャフトに収め、558psを発生させた。排気量は4.0Lで、5バルブのシリンダーヘッドを搭載した場合、最高速度350km/hを出すことができたという。
しかし、ノヴィアは生産されず、同じW16エンジンを搭載したオフロード車の計画もコンセプトの段階で終わってしまった。
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みんなのコメント
ちなみに、現在も受注生産可能らしいですが、それであれば新車でリトラが入手出来るということでしょうか。