クリスプカットデザインが特徴的だったシルビア
1950年代から1960年代にかけての国産車と言えば、ボクシーな4ドア/2ドアセダンが圧倒的な多数派を占めていました。ですが、1960年代の半ばからはスタイリッシュなモデルも見られるようになったのです。その典型が、1965年に日産がリリースした初代シルビア。今回はスタイリッシュなグランツーリスモ、シルビアを振り返ります。
最初はなんと「フェアレデー」! まもなく新型発売の「Z」の知られざるご先祖様
数多くのロードスターやスポーツカー登場させていた日産初のGTクーペ
日産は古くから、いくつものスポーツカーやロードスターをリリースしてきました。ただし、その多くは幌付きのオープントップでしたが、1964年に開催された第11回東京モーターショーに市販を前提としたコンセプトモデルのダットサン・クーペ1500を出展。
翌1965年の4月に日産シルビアとして市販にこぎつけています。スカイラインのスペシャリティモデルだったスカイライン・スポーツにも4座の2ドア・クーペがラインアップされていました。これはまだプリンス自動車工業がまだ日産自動車に吸収合併される以前の話で、日産としての初のクーペモデルは、この初代シルビア、ということになります。
スカイライン・スポーツをはじめとして、他社ではイタリアのカーデザイナーやカロッツェリアにデザインを依頼するケースが増えていました。しかし、シルビアのエクステリアは日産の社内で、日本人デザイナーの木村一男さんが手掛けています。
当時の日産は、ドイツ人のインダストリアル・デザイナーであるアルブレヒト・フォン・ゲルツとアドバイザリー契約を交わしていて、彼が契約期間中に日産の造形部でクレイモデルを見ながらアドバイスをした、とされています。アドバイスをしたのは事実でしょうが、しかしゲルツは、初代シルビアは自らのデザインだと主張(吹聴)していたようです。
彼が、どういった意図でそう話していたのかは、彼が亡くなった今となっては確かめようがありませんが、それはともかく、初代シルビアのデザイン自体は木村さんが手掛けたことは間違いないようです。
エクステリアのデザインは“クリスプカット”と名付けられていて、シャープなキャラクターラインを多用していくつもの面で形成。とくにサイドビューは特徴的で、ショルダーラインは2本のキャラクターラインで挟まれた逆Rの凹面で構成されていました。
そのショルダーラインの下、ドアハンドルの高さにも1本のキャラクターラインが走っていて、まるで宝石の多面カットを思わせるデザインでした。また外板パネルの繋ぎ目を極力減らすなど、デザインを活かすための工夫も多く見られます。
そのために製作はハンドメイドに近いものがあり、日産自動車本体ではなく協力工場で架装メーカーでもあるトノックス(当時は殿内工業)で生産されていました。また内装も、ステアリングホイールはグリップ部分がウッドでスポークはクロームメッキ、シートの表皮に本革を使用するなど上質に仕上げられています。
兄弟モデルとされていた2代目フェアレディ(1500/1600ccエンジンを搭載したS310系)は、ライトウェイトでオープン2シーターのスポーツカーを目指しました。しかし初代シルビアは、そんなフェアレディとは目指したベクトルの方向が異なっていて、スポーツカーというよりもコンパクトながらも豪華なグランツーリスモを目指していたようです。
ブルーバードやフェアレディと3兄弟に
初代シルビアはS310系フェアレディのシャシーを転用したもの。基本的には310型ブルーバードのそれをベースにしたラダー形状のフレームでしたが、前後サスペンションの取り付け部分にX字型に補強メンバーを追加したもので、剛性が一層引き上げられていました。
サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンをコイルで吊った独立懸架で、リヤはリーフスプリングでアクスルを吊ったリジッド式を採用。搭載されていたエンジンは、1964年のモーターショー時点ではフェアレディ1500から転用したG型エンジン(1488ccの直4プッシュロッドで、最高出力は71ps)でした。
市販モデルが登場した1965年には、フェアレディも1600ccにコンバートされることが決まっていたために、4月に登場した初代シルビアは、フェアレディよりも1カ月早くR型エンジン(1595ccの直4プッシュロッド。最高出力は90ps)を搭載してデビューを果たしていました。ちなみに、このR型エンジンは2代目の410型に生まれ変わっていたブルーバードのホットモデルでサファリ・ラリーなどでも大活躍する、1600SSSにも搭載されています。
つまりダットサン・フェアレディ1600(SP311型)と日産シルビア(CSP310)、そしてダットサン・ブルーバード1600SSS(R411)の3車は共通のエンジンを搭載していました。さらにR411型のひと世代前、初代のダットサン・ブルーバードとフェアレディ&シルビアは、シャシー(のベースデザインを)を共有しており、3車の関係は深いのです。
ただしブルーバードは、初代の310型から2代目の410型に移行する際に、より軽量なモノコックフレームにコンバートされていました。その関係性は幾分薄められていましたが、サスペンションは、フロントがコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式独立懸架、リヤはリーフでアクスルを吊ったリジッド式を採用。
またブレーキもフロントに日産車として初めてディスクブレーキが装着されたのも、この3車の共通項でした。もう少し正確に言うと1965年の4月に登場した初代シルビアが日産初の装着となり、1965年5月に登場したフェアレディ1600と1966年4月のブルーバード・シリーズがマイナーチェンジを受けた際に追加設定されたブルーバード1600SSSは、厳密には日産で最初、とは言えませんね。いずれこの3兄弟がほかの日産車に先駆けてディスクブレーキを採用したことには間違いありません。
初代シルビアに話を戻すと、サイズ的には全長×全幅×全高が3985mm×1510mm×1275mmでホイールベースは2280mmでした。車両重量は980kgでエンジンとシャシーがほぼ共通のフェアレディ1600(SP311型で車重は920kg)や、エンジンが共通のブルーバード1600SSS(2代目のDR411型で車重は930kg)と比べて少し重くなっていたのですが、最高速は165km/hでフェアレディと同じです。
豪華なグランツーリスモで、フェアレディほどにはタフでハードでもストイックでもなく、またルックスも素晴らしいし、充分なパフォーマンスを備えていた初代シルビアは、発売と同時に飛ぶように売れる……はずでした。
現実的には554台が生産されただけで3年余りの短いモデルライフを終えてしまいました。販売が伸び悩んだ最大の理由はやはり価格設定。ブルーバードの1600SSSが72万円、フェアレディ1600でも93万円だったところがこの初代シルビアは桁違いの120万円。当時の社会背景を考えると、やはり飛ぶように売れるはずはなかった。もっともハンドメイドに近かったから、そんなに売れても困ったかもしれないのですが……。
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みんなのコメント
当時の日本人デザイナーは、海外でデザインを見てくるか、洋本を見るぐらいしか最新デザインに触れるチャンスが無かったから。
ヤマハ2000GTもそうですが、残念ながら日本人のオリジナルデザインは当時は不可能で、絶対にお手本がありました。
インダストリアルデザインは一朝一夕には生まれないのです。
斬新で人目を引き付けるデザインで、その新聞広告を自分の部屋の襖に貼り付け毎日眺めてた。 高校生の時で将来こんな車に乗りたいと思った。
それから半世紀以上過ぎたがまだそんな車には乗れていない。
技術の日産がデザインの日産にも成るのだと感じたが・・・。