遠藤イヅルが自身のイラストともに1980年代以降の趣味車、いわゆる"ヤングタイマー"なクルマを振り返るという『ボクらのヤングタイマー列伝』です。今回はイタリア車を……ということで、まだこの連載で登場していないあのマイナーブランドにしました! というわけで、アウトビアンキY10ですヨ!
ボクらのヤングタイマー列伝第50回『シトロエン・ヴィザ』の記事はコチラから
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1985年デビューのY10は、イタリアンモダンデザインの塊のようなクルマでした!
ヤングタイマーの中には、メジャーな車種とそうじゃない車種がありますが、『アウトビアンキ』を例にとれば、A112は残存数も多く比較的その車名が知られている一方で、後継車『Y10』はマイナー車種扱いの状況です(涙)。でもY10は、日本への正規輸入も行われ、エントリーインポートカーとして、当時は常に候補にあがるモデルでした。
1960年代から延々と作られたA112と異なり、1985年デビューのY10は、イタリアンモダンデザインの塊のようなクルマでした。その数年前に出たフィアット・ウーノも傑出したモダンさでしたが、Y10ではさらに輪をかけたように大胆なデザインに。ボディカラーに関係なく黒く塗られたテールゲートはほぼ垂直で、側窓のグラフィックも単純ながら美しさがありました。
でもY10の新骨頂はメカニズム面でした。ウーノやパンダでおなじみのFIREエンジン、そしてオメガアームのリアサスをいち早く搭載していたのです。思い出してみてください。パンダの最初の頃は、FIREエンジンでもオメガアームでもなかったことを!(オオゲサ)
このように、Y10には親会社フィアットの先行開発的要素が垣間見られるのですが、実はこれ、アウトビアンキ各車におおむね当てはまります。同社は1950年代以降にフィアットと深い関係になりましたが、1964年のプリムラでは、エンジンとミッションを同軸に置く横置きFFのジアコーザ式を初採用しています。ジアコーザ式の始祖はフィアット128ではなく、プリムラが先。フィアットは未知の技術には慎重だったため、門下のアウトビアンキの車種で試したのです。実はA112もフィアット127のパイロットモデルだったりしますし、同様にA111なるセダンも存在しました。本家フィアットが124セダンで堅実なFRを採用したのに対し、A111はプリムラ譲りのFFで誕生していたのです。
ここでY10の説明に戻りましょう。エンジンは前述の999ccFIREのほか、A112から引き継いだ1049ccOHV、それにターボを乗せた高性能版が用意されました。1989年のマイチェンではターボの代わりにFIREの1.3リッターを導入し、1992年にはさらに改良を受け、前後のデザインを大きく変更しています。
なおY10は仕向地によってはランチア・ブランドで売られており、後継のY(イプシロン)が発売された頃には、アウトビアンキ・ブランドが廃止されたため、Yではランチアのみを冠することに。Y10の"ウーノよりも高級"というキャラクターは、Yにもしっかりと引き継がれていくのでした。
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みんなのコメント
最初の車がこのY10の赤でした。
いきなり左ハンドルのミッションという組み合わせで、予約してから少し後悔しましたが、いざ乗ってみるととても楽しい車で、高速を使った長距離も問題なくこなしてくれました。内装もコンパクトカーとは思えないほど豪華でしたが、後付けのクーラーはあまり利きが良くなく、雨の日は窓ガラスが雲って大変でした。ただ、周りからはアルトビアンキと揶揄されていましたが、ワタシは自身は気に入っていました。細かい故障は多田あり、多少のことは気にならなくなりました。ただ、大きな故障は特に無かったと思います。その後のカーライフで車は壊れる物と言う変な確信ができ、故障とも普通に付き合える様になったのはこの車のお陰かも知れません。
1.3GTに乗っていましたが、フロントが重くて重ステだった以外は相当乗りやすかったです。
1.1のツーリングに乗せてもらった時は、パワステのようにステアリング操作が軽くてびっくりしました。
後ろの席へのアクセスや後席の折りたたみ方、後席シートベルトクリップなど、小さいけどかなり合理的に作られていて感心しました。
後継のイプシロンはもっとわかりやすい特徴がありましたが、Y10・同世代のウノなどFiat系の小型車は健康的で元気がありましたね!