成功への道筋を作ったクルマ
自動車に対するユーザーの評価は厳しい。顧客を満足させるのが最も難しい業界とも言われており、少しでも的を外せばブーイングが殺到するだろう。たまには厳しすぎることもあるが、このフィードバックこそが次期型を開発する自動車メーカーの適正な判断を助けているともいえる。
イマイチなデザイン、ハードウエア、粗末な品質、そして残念な運動性能を持つクルマたちをご紹介しよう。これらのクルマの存在により、そのメーカーは目を覚まして改善へとつながったのだ。
スコダ105/120(1976年)
チェコスロバキアに本拠をおくスコダは、1980年代においてもラインナップのモダン化が遅れていた。同社のクルマは東欧が主なターゲットであり、フォルクスワーゲン、ルノー、フォードなどとの競争には晒されていなかった。
しかし、当時特に時代遅れになっていた105/120をアップデートしたのだった。西欧諸国の自動車メーカーは1970年代にはより経済的なフロントエンジン・フロントドライブへと移行を進めており、スコダも追随したということだ。
1983年にはチェコ政府の承認を受けてベルトーネによるデザインのファヴォリットの開発を始めたが、その生産は1987年まで開始されなかった。これが完成すると、英国、フランス、ドイツなどのライバルを上回る優れたクルマとなった。スコダは東欧が誇れるクルマを作ったのだ。
このクルマがなければ、トラバントやヴァルトブルク同様、冷戦終結後にはスコダは姿を消していたかもしれない。ファボリットはスコダの技術力を示し、フォルクスワーゲンにその企業価値を示すしたのであった。2019年現在はその傘下に入り、東欧を中心に多くを売り上げている。
ヒュンダイ・エクセル(1986年)
北米への進出を志したヒュンダイは、1986に初の北米向けモデルであるエクセルを発売した。しかし、信頼性に関する問題が頻発し、新参者であるヒュンダイは敬遠されるようになった。チープすぎるエクセルはユーゴに対する韓国からの回答を最悪の形で示すことになった。
高い勉強代を払うことになったヒュンダイ経営陣は、より信頼性が高く作りも良いクルマを作る努力をした。手厚い保証に加え、無料のメンテナンスパックを付加することにより、ユーザーの信頼を獲得したのだ。この努力により、1990年代には米国で受け入れられるようになり、2000年代にはそのシェアが4倍にまで拡大した。2018年には67万台を販売した。
フェラーリ348(1989年)
348はエンツォ・フェラーリの死後最初に登場したモデルだ。308をベースに開発された328の後継車だが、急ピッチで開発が進められ、予定よりも速く世に出ることになった。この背景には、1990年代のスーパーカー需要の高まりに対応しようというフェラーリの目論見があった。
しかしこのクルマはフェラーリの歴史において存在感の薄いモデルとなってしまった。ロードテスターらは、安定感のないハンドリングや、エルゴノミクスを無視したインテリアに苦言を呈した。一方のホンダ/アキュラNSXは同等のパフォーマンス、より良いハンドリング、そして使いやすいインテリアを持っていた。
しかしフェラーリはすぐに動いた。348の問題点を解決した355を1995年に発売したのだ。よりパワフルで空力も良く、快適かつ装備も充実していた。
ロータス・エラン(1989年)
エラン(M100)はロータス史上最もコストをかけて開発されたモデルだ。ゼネラル・モーターズによる資金援助を受け、より大規模かつ収益性の高い企業への成長を目指していた。くさび形のボディがロータスとしては珍しいFFレイアウトをうまく隠していた。フロントヘビーなコンバーチブルとしては良く走ったが、ロータス車らしい活発さはなかった。
ロータスは拡大志向が適切ではなかったと結論づけた。エランのデザインをキアに売却し、ミドエンジン・リアドライブのエリーゼを1996年に発売した。
フォード・エスコート(1990年)
1980年代後半、フォードにおいてエスコートという名称の価値ははかりしれないものであった。英国を含む多くの史上において販売が絶好調であり、この5代目への期待も大きかった。しかしその実態は醜いデザインと鈍いハンドリングで、先代からの向上はほとんど感じられなかった。
当然のごとく売り上げは落ち込み、英国ではより小型のフィエスタの方が売れるようになった。そこで1992年には新デザインと92psのエンジンが与えられ、多くの改良が加えられた。その年エスコートは再びセールスチャートの上位に躍り出た。
さらに重要なことに、この経験からフォードはハンドリングに重点をおくようになり、1993年型モンデオや1998年型フォーカスに反映された。
メルセデス・ベンツEクラス(1995年)
W210型Eクラスを見れば、1990年代にレクサスがメルセデス・ベンツにどれほど肉薄したかがわかるだろう。レクサスは同等のクルマをより安価に販売していたのだ。メルセデスはこれに対抗すべくコスト削減を図り、それに伴って品質も低下した。
W210は1970年代のイタリア車のようなトラブルに悩まされ、電気系統の故障の頻発によりメルセデス車に対する信頼が揺らぐこととなった。2002年に登場した後継車であるW211型Eクラスでは、初期型こそ電気系統トラブルが発生したものの全体としては大きく改善していた。
シトロエン・クサラ(1997年)
シトロエンはクサラの開発に際し、シトロエンらしい癖を排除してしまった。ZXの後継車として開発されたこのモデルは、内外装ともに面白みのないデザインであった。クサラでのWRC参戦にともない、よりホットなVTSというグレードを設定したものの、大きく売り上げを伸ばすことはなかった。
この後継となったC4はより愛らしいデザインを与えられた。これを機にシトロエンの一風変わったデザインが復活したのだ。
フォルクスワーゲン・ゴルフIV GTI(1997年)
4代目ゴルフはフォルクスワーゲンが上級志向へと移行して以来初のモデルであった。ブランドにとって重要なクルマであったにもかかわらず、そのGTIの実態は期待に沿うものではなかった。先代までのようなルックスや走りが与えられていなかったのだ。
クルマ好きだけでなくプレスもGTIを忌避したが、フォルクスワーゲン帝国のトップからもダメ出しをくらったのだ。当時のVWグループ会長であったベルント・ピシェッツリーダーは2004年のインタビューにおいて、「あのクルマは遅く、平凡すぎました。GTIとは言えません。マーケティングの失敗の良い例でしょう」と語っている。
5代目GTIは2004年に欧州史上向けに発売され、初代GTIを彷彿とさせる走りが持ち味のホットハッチとなった。AUTOCARとしても最高のGTIはMk5だと考えている。
ジャガーXタイプ(2001年)
AUTOCARはこのXタイプが2001年に発売された当時、「ジャガー史上最も重要なモデル」と評した。英国や米国においてBMW3シリーズやメルセデス・ベンツCクラスに対抗しうる小型かつスポーティなモデルというコンセプトを持っていたからだ。ジャガーは開発およびマーケティングに巨額の費用を投じ、年間10万台程度の売り上げを見込んでいた。
当時ジャガーの親会社であったフォードは、エンジニアらに対しモンデオのシャシーを流用することを勧めた。この結果、ジャガー初の前輪駆動車が誕生したのだ。運動性能におけるディスアドバンテージは問題にならないと考えたが、そうはいかなかったようだ。最終的な売り上げは8年間に35万台程度にとどまった。
Xタイプをすぐに置き換えることはせず、後継車であるXEは2014年に登場した。このモデルは後輪駆動が標準で、品質や信頼性が大きく向上している。
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