今年(2022年)、シビックは生誕五十周年を迎える。日本の自動車産業黎明期に登場し、ともに成長し、一時期日本を離れ、また戻ってきたシビック。今年は11代目となるシビックのe:HEVバージョンとタイプRが発売される。多くのクルマ好きが、それぞれどこか甘酸っぱい想いとともに口にする「シビックとは」。歴代モデルに乗って考えてみた。
文/諸星陽一、写真/諸星陽一、HONDA
青春だった…憧れだった……日本のクルマ好きにとって「シビック」とはどんな存在だったか
■シビックとの思い出
筆者は1963年生まれであるから、初代シビックが登場した1972年当時は9歳である。
免許取得年齢になるころ、自分にはクルマを買う余裕はなったし、家にもクルマはなかった。当時、筆者はまだ学生だったが、同級生のなかには就職した友人も数多くいた。そのうちのひとりが初代シビックを持っていて「平日は使わないから自由に使っていい」とカギを渡してくれたのだった。
初代シビック2ドアハイデラックス
CVCCエンジンを積む前のハイデラックス。4速MTでチューブ式バイアスタイヤ、クーラーなし、人の指くらいの太さのステアリング……今考えると、本当におもちゃのようなクルマだったが、今思い出してもその楽しさは忘れられない。
当時でもかなりショボかった。少しでも速くしたいと思って、先輩が捨てるというGTコイルを付けたらヒューズボックスから煙がモクモク。太いステアリングが欲しかったけど買えないし、昔はハンドルを小径にするとすぐに捕まったので、革のハンドルカバーを巻いて少しでも太くスポーティにした。
そうしているうちに、駅前の写真屋のオヤジが「コレやるよ」といって、RSのCVツインキャブの新品をくれた。オヤジがそれを持っていたのはホンダの研究所に友達がいたかららしい。
なんて思い出のある初代シビック、それもあこがれのRSに乗る機会を得たのである。
ホンダがシビック50周年を記念してジャーナリストに歴代シビックを試乗するというイベントを催してくれた。場所はモビリティリゾートもてぎ(2022年3月にツインリンクもてぎから改名)の北ショートコース。試乗車は同コレクションホールに動体保存されているクルマである。
久しぶりに乗り込む初代シビックの運転席に当時の記憶が甦るが、こいつはRSである。メーターの数がやたらと多い。しかしフニャリとしたクラッチペダルや、やたらストロークの長いシフト、ウッドではあるが現代ではあり得ない細いステアリング。紛れもない初代シビックだ。
初代シビックRS
直線50km/h、コーナー30km/hでという速度指定を受けるが、50km/hに合わせようとしてもスピードメーターの針は平気で10km/h程度上下する。
こんな感じだったなあ、とにかくゆるかったなあ……と感じつつ周回。
当時の彼女と夜通し走って山梨から静岡、やがて湘南に入ったときに海から上がってきた太陽のまぶしさが思い出される。あーアオハル(青春)。そういえば、あれも初秋、骨組みだけになった海の家が寂しげだった。
■セダンこそがシビック
筆者はすべての世代にシビックに乗った経験がある。初代と2代目はすでに新型が発売されたあとで、そのモデルが現役のときではないが、3代目からは現役時代に乗る機会があった。現役時代に乗った最初のシビックが3代目シビック、通称ワンダーシビックだ。
当時、大ヒットモデルとなっていたのがマツダのファミリア。そのころのファミリアはサーファーに人気のクルマで、サーフィンなんてしないのにサーフボードを乗せて走る「陸(おか)サーファー」という現象もあったとされている。
そうしたなか、テレビからルイ・アームストロングのしゃがれ声で『What a Wonderful World』が流れてきた。言わずと知れたワンダーシビックのCMである。
ませガキだった筆者は、子供の頃からルイ・アームストロングが好きで、当時何枚かのLPを持っていたが、この楽曲は知らなかった。しかし、その声を聞けばルイであるとは瞬時にわかる。新鮮な感動とズージャ(ジャズね)な香りが心に響いた。筆者にとってはちょっと背伸びしたクルマという存在がワンダーシビックだった。
今回、試乗したのはセダンであったが、筆者のなかでのワンダーは3ドアのハッチバック。とくにDOHCエンジンを積んだSiはあこがれの的であった。初期のホンダはDOHCエンジンを搭載していたが、1970年代に入ってからはOHCが中心の展開。
1984年のワンダーシビックに搭載されたZC型DOHCはじつに17年ぶりのホンダDOHCだった。当時DOHCエンジンを作っていた国産メーカーはトヨタだけだったこともあり、ホンダのDOHCというだけで気持ちは沸き立ったのである。
さてワンダーの次に記憶に残るシビックといえば、6代目シビックのマイナーチェンジ時である1997年に設定されたシビックタイプRである。
すでにNSXタイプR、インテグラタイプRと2種のタイプRに続くモデルであったが、よりレーシーな印象を与えてくれたのがシビックのタイプRだった。
撮影のために動かしてるだけでも、余計な動きがまったくないピシッと引き締まった動きは、すでにプロダクションカー(改造範囲の少ないレーシングカー)のものだった。こんなもの売っちゃっていいの? というのが初代のシビックタイプRの印象であった。
初代シビックタイプR(1997年)
今回の試乗車はタイプRではなく、セダンのフェリオであった。よくよく考えてみればシビックの元祖はセダンだったのだ。リヤウインドウが垂直近くに配置されるのでハッチバックと思われがちだが、リヤウインドウは開閉せずその下のリッドのみが開閉する、ノッチレスのセダンがシビックの起源。
そう考えればじつはセダンこそがシビックの本流と言えるだろう。歴代のシビックのなかでセダンが設定されなかったのは9代目だけ、そしてその9代目は日本未導入モデルなのだから、より日本にとってのシビックはセダンなのかもしれない。
■シビックの歴史=日本車の足跡
現在、シビックは11代目となった。11代目シビックにもセダンが設定されるが、日本では販売されていない。これがもっとも残念な点でもある。しかし、現在販売されている5ドアハッチバックモデルはトランクが独立していないとはいえ、そのフォルムはセダンに近く落ちついたものとなっている。
シビックのパワーユニットを振り返ると初代でCVCCエンジンを搭載。不可能と言われたマスキー法(当時のアメリカの排ガス規制)を世界で初めてクリアしたクルマでもある。
11代目シビックeHEV(2022年)
CVCCは3代目まで使用され、4代目からはOHCながら4バルブ方式を導入、7代目シビックからはハイブリッドモデルも追加というように、つねに排ガスの清浄化を果たしたきたところも時代の移ろいを感じるモデルだ。
そして、なんといってもわすれちゃいけないのがスポーツモデルの存在。初代ではツインキャブモデルをRSと名付けた。RSといえばだれだってポルシェのRS(レン・シュポルト=レーシング・スポーツ)を思い浮かべるが、当時のお役人を刺激しないためにあえて「ロード・セーリング」の略とした。
3代目ではDOHCのSiが登場、6代目でタイプRを設定と、スポーツモデルも重視したことも特徴だ。 今、シビックの歴史を振り返ってみると、自分がクルマに関わってきた足跡そのものであることに気付く。
そしてこの足跡は「日本車の足跡」にシンクロしているようにも感じる。初代のシビックはアオハル(青春)すぎる小僧ッコ、それがズージャ(ジャズね)で大人びてみたかと思えば、タイプRでガッツリ走りにハマる。
そのうちボディは大きくなって落ちつきのあるセダンに成長……。シビックの流れは、一度は日本から外れたが、その流れが止まったことはない。シビックはこれからも歴史を重ね、日本のクルマを象徴するモデルとして続くのだろう。
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みんなのコメント
それぞれにいい思い出がある私の家族にとっては間違いなく名車です
見栄えもそこそこで、燃費もそこそこ。
ハンドリングも良いし、雪道も大丈夫。
荷物も結構積めて、女性ウケも良い。
F1のHONDAだったし。
現在のシビックは何か勘違いしてるね。