モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2004年の全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスを戦った『フェラーリ550GTSマラネロ』です。
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『ホンダ・プレリュード(BA1型)』グループAレースを戦った“デートカー”【忘れがたき銘車たち】
2000年代前半の全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスは、現在のSUPER GT GT500クラスと同じく、ニッサン、トヨタ、ホンダという3メーカーのワークスマシンたちが、毎戦開発競争を繰り広げてチャンピオンを争っており、そこに他メーカーの入り込む余地などないほどであった。
だが、そんな時代ではあったものの、有力と思われる外国車をGT500クラスに投入していたプライベーターもいた。
そのプライベーターのひとつが一ツ山レーシングで、一ツ山は2003年までイエローコーンカラーのマクラーレンF1 GTRを走らせていたが、2004年より新たなマシンを投入した。それがフェラーリ550GTSマラネロだった。
そもそもこの550GTSマラネロをGTマシンに仕立てたのは、スバル・レガシィやスバル・インプレッサ555といったグループAラリーカーなどを製作して、数多くの勝利を得てきたイギリスのプロドライブだった。
このプロドライブ製の550GTSマラネロはFIA-GT規定をもとに作られていて、2003年にはFIA-GT選手権でチャンピオンを獲得していたほか、2002、2003年とル・マン24時間レースにおいてクラスポールポジションを獲得するなどの実績をJGTC投入より前にすでに残していた。
一ツ山では、この550GTSマラネロをプロドライブより購入。タイヤハウスの拡大など、JGTC用のモディファイは施したが、基本的にはFIA-GT選手権仕様のまま、日本のレースを戦い始めた。
JGTCでは2003年より車両規定が大きく変わり、バルクヘッド前後のパイプフレーム化が可能となるなど、よりレーシングカー化が進んでいた時期だったが、この550GTSマラネロは基本的にノーマルのフレームを活かしたつくりになっていた。
そのため、空力的に有利な長いフロントオーバーハングや、5.8リッターV12という強力なエンジンと搭載するなどの武器もあったが、3メーカーのGT500マシンたちを前に苦戦。2004年はノーポイントでシーズンを終えることになった。
翌2005年のSUPER GT初年度にも参戦したが目立った戦績は残せず。その後、一ツ山の550GTSマラネロはGTではなく、ベースが長距離レースを想定していたマシンであったことも活かして、全日本スポーツカー耐久選手権(ジャパン・ル・マン・チャレンジ)において、その本領を発揮することになる。
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みんなのコメント
本当に出来の悪いスープラやZ
はたまた赤色じゃなくBL系のMGやローバーなんてエンブレムが付いて丁度良いくらい
アンダーステイトメントで
デザインの良いアルファ
エンジン屋で車体は二の次ぬフェラーリ
が復権したなの象徴だった。
マセラティMC12 とかも検討したけど、出なかったからな………