日本の自動車シーンに今なお大きな影響を与えているスーパーカーブームの頃、京都の北野にとある有名なスポーツカー専門ショップがあった。
東のシーサイドモータースと並び称された、西のトミタオート。富田義一率いるトミタオートは、後にオリジナルスポーツカーのトミーカイラZZを製造する伝説のカーショップだ。
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小さい頃からクルマやバイクに親しんだ富田は18歳でメカニックとして京都の国産ディーラーに就職すると、持ち前の知識と経験、センスですぐさま頭角をあらわす。なけなしの給料をはたいては、いろんなスポーツカーを弄って楽しんだ。けれどもある日、街で出会ったポルシェ356が彼の人生を180度変えることになる。
このままサラリーマンを続けても一生ポルシェなんて買えない。そう悟った富田は、いきなり自分の店をもつことを思いつく……。
トミタオート誕生
大好きなスポーツカーを乗りまくる。その早道はスポーツカーを専門に扱う店を自分で持つこと。23歳になっていた富田は、ポルシェ356と街で出会ってすぐにそう決断した。1960年代も終わろうとした頃だった。
京都・北野天満宮の近くに“トミタオート商会”を設立。資金はまるでなかった。たまたま今出川通りを挟んだ真向かいに国民金融公庫があって、足しげく通ってみれば、何とか60万円ほどの資金を調達することができた。本当は工場を持ちたかったけれど、資金的にまるで手が届かない。まずはクルマを売って利益が出してから。そう新たな夢を掲げて自分の店をスタートしたのだった。
設立当時のトミタオートの写真を見ると、HONDAの看板が掛かっているのが見える。ホンダの特約店も兼ねていたのだ。新車のホンダN360とともに、3台のスポーツカーが店舗に並んでいた。ホンダS600、トヨタS800、そしてオースチンヒーレースプライト。いずれも富田が独立前に親しんだ大好きなスポーツカーばかり。
当時はまだスポーツカー専門店などほかになかった。物珍しさと京都人の新しい物好きとが相まって、たちまち評判に。経営は順風満帆にいくかに思われた。事実、京都中のスポーツカーを買いあさっているとみるみるクルマが面白いように集まるようになり、よく売れた。
サラリーマン時代の最後にもらった給料が1万8000円だったというのに、創業2年目には月収が30万円を超えるようになっていた。
スポーツカー専門店トミタオートの名前は京都で一躍有名になった。ところが、それまでスポーツカーなどに見向きもしなかった資金力のある業者が次々と富田流を真似し始めた。さすがに、万事休す。そう思われたが、根っからの挑戦者である富田はこの逆境を機に違うアイデアを思いつく。
「輸入車専門店をやろう!」。この決断が後のスーパーカーブームへと繋がっていくのだが、それは少し先のハナシ。
国内で仕入れた外車を扱うようになったものの、客層の悪さには苦労した。わざとクルマを壊しては、「どうしてくれる?」、「金でカタを付けようじゃないか」、「クルマを換えろ」、などと脅しに掛かってくる輩ばかりだった。ガイシャを乗り回すなんてろくでもない連中に違いない。そう思われた時代、つまりは本当にそういう時代だったのだ。
トミタオートに続けと独立した若手の経営者はみな、そんなろくでもない連中につぶされていった。富田だけが生き残れたのは、独立前に築いた幅広い交友関係もさることながら、ひたむきにスポーツカーを愛する気持ちが強かったからにほかならない。
富田にはスポーツカーしかなかった。見栄やハッタリでクルマに乗るヤツなんか相手にするか! クルマ好きやスポーツカー好きだけを相手にクルマを売っていこう。苦境をバネに富田は、自分の好きなクルマだけを扱うという創業時のコンセプトをいっそう強めていくことになる。
東名をガイシャで往復する日々
最初の転機は創業5年目ごろにやってきた。独立前にアドバイスをくれた人物が、東京の自動車販売協同組合に特例で招いてくれたのだった。一瞬にして東京にたくさんの取引先ができた。逆に東京の人からすれば京都に便利な知り合いができたことになる。
毎月多くの取引先が、ポルシェやアルファ ロメオに乗って京都観光にやってくる。もちろん、それらのクルマは富田が仕入れることになっていた。富田にしてみれば関西ではなかなか見つけることのできないクルマを仕入れることができるし、東京の業者にとってはクルマを売った利益で遊んで帰れる。たいていのクルマは京都まで自走でやってきたから、調子も程度もまたよかった。
その逆のパターンももちろんあった。富田も東京の業者から頼まれた国産車を安く仕入れては東京まで走って運び、頼んでおいたお気に入りのガイシャを買っては東名高速を自ら駆って楽しみながら京都へと戻った。ランチを済ましてトンボ帰りがしょっちゅう。手に入れたクルマを一刻も早く試してみたかったからだった。
当初の扱いはやはり、憧れのポルシェが多かった。なかでも富田の印象に残っているのがナローだ。
最初に乗ったのは912で、356C用の4気筒エンジンを積む911だった。まるで誂えたジャケットを着ているかのようなフィット感のある乗り心地に魅了された富田は、すぐさま69年式の911Sを探す。これがポルシェを着てゆったりと楽しむような912とはまるで異なるマシンだった。レーシングカーの如きメカニカルノイズが富田の脳を刺激した。生涯初めての感覚に興奮し、とんでもなく早くに京都に着いていた。
その後も富田とポルシェとの縁は続く。後にナローの最高峰というべきカレラRSも何台か販売したが、なかでも2.9リッターに排気量アップした個体は恐ろしく速かった。それを買った客は、毎週、東京まで行き来したというが、片道に要した時間はわずかに3時間! ブレーキパッドは3カ月ごとに交換していたという。
富田とポルシェとの数々の出会いのなかでも最も象徴的な個体といえば、やはり904GTSに尽きるだろう。そう、第2回の日本グランプリで生沢徹の駆るスカイラインGTと一瞬だけバトルを演じた式場壮一の駆る904GTSそのものを、後に富田は手に入れるのだった。(つづく)
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