9歳のときに脊髄腫瘍を発症。その後、車いすテニスと出会い、並外れた才能と人一倍の努力によって国内外で圧倒的な強さと前人未到の記録を築き上げてきた国枝慎吾氏。同じ年にすべてのメジャーオープンで優勝する年間グランドスラムを5度達成し、パラリンピックで4個の金メダルを獲得。また、シングルスで107連勝という大記録を打ち立てるなど、高い技術と不屈の精神力で、文字どおり世界最強のプレイヤーとして君臨した。そして2023年1月、世界ランキング1位のまま長い競技生活に終止符を打つ。国枝氏は競技にかけてきた自身の思いや、自分を支えてきた言葉、そしてクルマとの関係について語った。この出演の後日、「パラスポーツの社会的認知度の拡大、スポーツの発展に極めて顕著な貢献をし、広く国民に夢や感動を、社会に明るい希望や勇気を与えた」として、国民栄誉賞の授与が決まる。
国枝さんの活躍によって、車いすテニスをはじめパラスポーツの認知度が大きく高まりました。車いすテニスとの出会いはどのようなものでしたか? テニスとの出会いは家の近くにあるテニスクラブで、10歳くらいのときに初めてテニスラケットを握ったときのことは今でも鮮明に覚えています。でもそのときはまさか活躍して皆さんの前でお話をするようなプレイヤーになれるなどとは思いませんでした。僕自身は 小さい時から活動的で、車いすに乗る前はずっと野球をやっていました。また漫画のスラムダンクが大好き。とくに登場人物の三井くんが好きでして(笑)、バスケットボールをしたかったですね。でもテニスが好きな母の勧めで近くのクラブに行くことになりました。民間のクラブでしたが、その当時から車いすテニスをやっていたのには驚きました。当時はテニスはといえば伊達公子選手が活躍されていて、自分にとっては女性のスポーツというイメージがありました。 正直あまり乗り気ではなかったのですが、実際にプレイを目にすると、車いすテニスがこんなに激しい競技だとは思いもしませんでした。そして、そこで車いすの人とも人生で初めて出会いました。テニスをプレイすることもそうですが、何より衝撃だったのは、「車いすに乗ってもこういった運動ができ、またひとりで生活をして、クルマを運転してテニスクラブに通うことだって可能である」というのを目の当たりにしたことです。そこで出会った人たちは、自力で車いすから降りて、それをクルマに乗せて運転し、また下ろして、とすべて自分でされていました。それを見て「車いすでもひとりで生きていけるではないか」と強く思い、大きく励まされました。 今になって思うと、それは自分にとって、テニス以上に大切な学びであったのかもしれません。
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長年にわたり、世界のトップで活躍されましたが、ご自身を支えられてきたものとは何だったのでしょうか? 自分は普通の車いすに乗っても、活発に動きまわっていたので、競技用の車いすを初めて使ってもすぐに上手に動けました。しかしラケットの扱いにはなかなか慣れず、 最初はホームランのような球ばかり打っていました。しかし、日々着実に進化していくプレーを自ら感じて、どんどんおもしろくなっていきました。それを日々続けてトップにたどり着くのですが、もはやだれの背中を追いかけることがなくなってからも、「自身がどれだけ上達し進化していけるのか」ということに、現役の最後まで楽しみを見出すことができました。自分自身でモチベーションを高め、努力していきました。それこそがスポーツの素晴らしさであると思います。
プロ選手になることを意識されたのはいつでしたか? 高校生になるとクラブの理事長から「一度、海外に行ってみてはどうか」と言われました。その当時は国内に自分よりも強い人がたくさんいたので、あまり乗り気ではありませんでしたがとにかく行ってみました。
驚きでしたね。海外のトッププロたちを見て、彼らの「ラケット1本で生きている」という姿に衝撃を覚えました。試合はエネルギーにあふれた真剣勝負で、あまり褒められたことではありませんが、ミスをしたりすればラケットを地面に叩きつけたりと、感情を思いっきりぶつけ合うものでした。そのスタイルは最後まで真似することはできませんでしたが(笑)。「テニスで生きている」、そういった生活もあるのだとすごいインパクトを受けて帰国しました。その後、より一層、テニスに打ち込み、どうしたらパラアスリートになれるのかという確固たる課題と目標もできました。
国枝さんには、ご自身を支えられてきた言葉があるとのことですが はい、ありますね。競技を始めてから順調にキャリアを積んでいくのですが、2006年当時までの数年間は世界ランク10位前後で留まって、それより上に行くことができないでいました。そんなときにパット・キャッシュやパトリック・ラフターといったトッププレーヤーのコーチを務めたオーストラリアのメンタルトレーナー、アン・クイン女史にカウンセリングを受けることになりました。僕のプレイを見てもらった後、「自分は世界ナンバーワンになれるだろうか」とストレートに尋ねました。すると彼女は、「よく聞いて慎吾、これからはナンバーワンになる! と断言をしなさい、そこからすべてが始まるのよ」とアドバイスしてくれました。その言葉を現実のものとするため、それから毎朝鏡の中の自分に向かって、「俺は最強だ!」と叫び、自身を鼓舞しました。またテニスラケットにもその言葉を貼り付けて試合に臨みました。最初は半信半疑でしたが、3カ月も経つと、いきなりグランドスラムに優勝してしまいました。テニスをされた方はわかっていただけると思いますが、テニスというのは非常にメンタルなスポーツで、サーブをするときにも「ダブルフォルトしそう」などと弱気が頭をかすめることが多々あります。そしてそのまま打つと、不思議なことにみんなダブルフォルトしてしまうのです。そんなときにラケットに貼ってある「俺は最強だ!」の言葉を見ると、自信を持って振り抜けるのです。試合に勝ち、結果がついてくるとますます自信が深まりました。そしてその年末には世界ランキングも1位になっていました。もちろん、その言葉だけでなく、日々の練習もあっての結果なのですが、その練習時間すらも、このポジティブな言葉のおかげでクオリティが格段に上がっていったのを実感しました。言葉とは裏腹に、実際には自分はメンタルが弱いので、それを振り払うために「俺は最強だ!」と必死に繰り返していました。今でもメンタルが強くなったなと思うことは一度たりともありません。
引退をどのように決意されたのですか? 引退を決意したのは東京のパラリンピックです。東京開催が2013年に決まってからコロナで1年延びて、開催までに8年かかりました。8年分の想いがこもったのがあの舞台だったので、金メダルを取れて自分も燃え尽き症候群を経験しました。ですが、そのあとでウィンブルドンが残っている状況だったので、「なんとかそこまでは」という気持ちで頑張りました。ウィンブルドンは新たに加わったグランドスラムで自分はまだ優勝したことがなかったので、優勝を決めたときに「もうこれで引退だな」と自然と口に出ました。十分やり切ったと言えるテニス人生だったと思います。
周囲の方の反応はいかがでしたか? アスリートというのはやはり野心を持っていないといけないと思いますが、それが僕のなかから消えてしまったのです。妻に相談をすると「もう十分にやったから引退していいでしょう。私も疲れた(笑)」と言われました。周囲の人もねぎらいの言葉をかけてくれました。それでも引退届けを出す直前まで、自分のなかでは揺れ動きましたが、 引退した後は新しいことへ挑戦したいという気持ちが芽生えてきました。いまは新たにチャレンジすることを探していて、車いすバスケや車いすバトミントンなどにも挑戦しています。
引退してから何か生活で変わったことはありますか? 引退してから大きく変わったのは、現役中は、まず朝起きてから「腰が痛くないか」など体のチェックを行うことが日課となっていましたが、それをしなくなりました。また、リラックスしてよく眠れるようにもなりました。現役生活21年のなかで、ほぼ1日たりとも休むことなく競技のために生活をしていたので、大会が近づくとストレスでなかなか眠れないことがよくありました。また、食事についても、朝遅くまで寝ているときなどは朝食を取らなくてもいいかなと思うこともあります。現役中は食べることも大切な仕事のひとつでしたから。筋肉量も落ち食事量も減ることで、痩せてきました。でも、何よりも変わったのは、自分自身にもう「俺は最強だ!」と言うことがなくなったことですね(笑)。
国枝さんはご自身でクルマを運転することはありますか? はい。18歳になるとすぐに免許を取りました。とにかく自分自身で動くことができるという環境を必要としていました。当時、まだ電車は、階段やエレベーターなど、どなたか人の手を借りなければ利用できないものでした。バリアフリーが進んだとはいえ現在でも、エレベーターに乗るためには遠まわりをしたり、車いす利用者は雨の日には傘をさせずレインコートを着る必要があったりと何かと不便です。やはりクルマで移動することが多いですね。クルマは車いすを使う人にとってはまさに必需品です。僕はホンダのオデッセイを3台乗り継いでいますが、車内で好きな音楽を聴きながら歌うのが大好きな時間です。オデッセイはサイズやスタイル、乗り込みやすさもとても気に入っています。いま通うテニスクラブには車いす仕様車用の駐車スペースが10台分ありますが、オデッセイが4台も並んでいる日があるほど高い人気です。また販売されると嬉しいですね。この会場はテックマチックシステムが搭載されたフィットが展示されていますが、とても便利で快適そうです。移動先などでレンタカーを借りることがありますが、自分にはかっこよさよりもスペースが大切なので、コンパクトカーのなかではフィットを選ぶことが多いです。レンタカーにテックマチック仕様車は無いのですが、携帯用のアイテムを取り付けて運転することができます。
世界に向かって挑戦し続けるホンダは 同じく、グローバルなフィールドで戦い続けてきた国枝さんをスポンサーとしてサポートしてきましたが、ホンダとの出会いはどのようなものでしたか? 2007年頃だったと思いますが、とある番組にて僕がプライベートでオデッセイを運転している姿が放映されました。ホンダの役員の方がそれを見てくださったのだと思います。お声掛けいただきスポンサーになってもらえました。
第六回 国枝慎吾(くにえだしんご)氏 「俺は最強だ!」を座右の銘に世界を相手に戦い続けてきた車いすテニスの鉄人。20年を超える競技生活のなかで数々の記録を打ち立て、障害者スポーツ全体の普及発展に大きく貢献する。2023年1月に現役を引退。3月に国民栄誉賞の授与が決まる。
車いすテニスプロプレイヤー 国枝慎吾 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
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