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エディ・ジョーダン追悼コラム:最大の取り引きをまとめ上げて逝った、究極の交渉人

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エディ・ジョーダン追悼コラム:最大の取り引きをまとめ上げて逝った、究極の交渉人

F1チーム、ジョーダン・グランプリの創設者で、優勝を達成し、何人ものドライバーを世に出すなど、F1に大きな足跡を残したエディ・ジョーダンが、病気のため、2025年3月20日に76歳で死去した。長年F1を取材しているベテランジャーナリスト、ルイス・バスコンセロス氏が、極めて個性的な人物だった“EJ”を、いくつかのエピソードを通して振り返った。

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『ジョーダン・グランプリ』創設者のエディ・ジョーダンが死去。享年76

「彼はエスキモーに冷凍庫を売ることができる」という表現が、“EJ”と呼ばれたエドマンド・パトリック・ジョーダンにぴったり当てはまる言葉だ。

会計士の息子である彼は、若い頃のある時点で自分は司祭になるべきだと考えたこともあったが、20代前半に銀行員になった。しかしジャージー島への夏の旅行がきっかけでカートに出会い、それ以降、エディの計画にはただひとつのことだけが描かれるようになった。それが、レースだった。

遅咲きのEJは、23歳でアイルランドのカート選手権を制覇し、その後ようやくイギリスに移り、フォーミュラ3とフォーミュラ・アトランティックでいくつかかなり良い結果を収めた。彼がフォーミュラ2で1回限りのレースを行った時にはすでに31歳。マールボロの支援を受けてマクラーレンF1チームのテストに何度か参加したものの、自身がF1で成功する才能がないことを悟っていた彼は、ブリティッシュ・フォーミュラ3の新しいチームを立ち上げた。

ジョーダンの意欲の強さと型破りなやり方は、いくつかの逸話によってよく知られている。ステファン・ヨハンソンはかつて、次のような話をしてくれた。

「私たちはチームメイトだったが、毎レースごとに新しいタイヤを買う余裕はなかった。だから、あるレースでは私が予選用の新しいタイヤを使い、次のレースではEJがそれを使うというようにしていた。しかし、私が新しいタイヤを装着するためにピットに入った時、新しいタイヤがなかったことがあった。なぜなら、もちろん、彼が私の前にピットインして、メカニックに私の新しいタイヤを渡すよう指示したからだ……」


■ドライバーキャリア後、チーム運営で手腕を発揮

レースを引退した後、EJはフォーミュラ3チームの運営に専念し、当初から資金が豊富で速いドライバーに目を付けた。初年度からレースでの勝利を収めたが、エディ・ジョーダン・レーシングがその名を知られるようになったのは、マーティン・ブランドルがラルトを操り、選手権の最終戦までアイルトン・セナと激しい戦いを繰り広げた時だ。

その後3回のランキング2位はEJにとって挫折を感じさせる結果だったが、1987年にジョニー・ハーバートを採用し、共にタイトルを獲得して、フォーミュラ3000にステップアップした。ジョーダンはこの新しいカテゴリーに、ドライバーが予算を確保できた時だけ参戦していたが、ハーバートは逸材であると考えたため、大きなスポンサーがなくても走らせることにした。

もちろん彼には計画があった。ジョニーはこう説明している。

「EJと私はほとんど何も持っていなかった。彼は無料でレイナードのシャシーを提供された。レイナードはフォーミュラ3000に新たに参入し、競争力のあるチームを求めていたのだ。彼には数台のトラックがあり、トールマンのアレックス・ホークリッジがエンジンを提供してくれたが、スポンサーはいなかった。保険会社のTLクロウズがついていたものの、それが唯一車に貼られていたステッカーだった。非常に良いテストを何度か行った後、そういう状態で我々は初戦が行われるヘレスに向かった」

「私はポールポジションを獲得し、エディはキャメルのスポンサーシップを担当していたダンカン・リーに電話をかけ、彼に関与するべきだと言った。『ハーバートは大物スターになるドライバーだ。いずれF1に進む』と主張したのだ」

「しかし、ダンカンは、F1の複数のチームやフォーミュラ3000のピエルルイジ・マルティニと契約を結んでいるから、1988年の資金はもうないと言った。それでもエディはあきらめず、レースで私が勝利すれば、レース後の火曜日に話し合いをするという約束を取り付けた。ダンカンは資金がないと言い続けたが、エディはあきらめなかったんだ」

「もちろん、EJはそこで終わらなかった。土曜日の夜遅く、彼はピエルルイジのチームに行き、キャメルの予備のステッカーがあるか尋ねた。彼らは彼を正気じゃないと思ったに違いない。エディはステッカーを2枚持ち帰り、それを私の車のサイドポッドに貼り付けた」

「その後、私はレースに勝利し、彼はダンカンに電話してミーティングを行い、シーズン残りの契約をまとめた。あの契約を成し遂げることができたのは、エディだけだ。彼に感謝している」

フォーミュラ3000での成功は、EJのF1への夢を現実のものにした。スポンサーを1社も確保していない状態で、彼は1991年をその実現の年にすると決意した。その後の詳細については、ゲイリー・アンダーソンが次のように説明している。

「もちろん、私はフォーミュラ3やフォーミュラ3000でのエディを知っていた。そして彼は自分の新しいF1チームで働くよう、しつこく私に頼み続けた。しかし、私は彼の売り込んでいたものには乗り気になれなかったんだ!」

「私はレイナードで満足していた。2人の優秀な若いエンジニアと共に仕事をしており、フォーミュラ3000で非常に良い成績を収め、支配的な状態だったからだ。1988年の選手権ではモレノのタイトルをサポートした。一方で私は、F1への進出にも強い関心を持っていた」

「EJは、資金は十分あり、シルバーストンに新しいファクトリーもあるなどと言ったので、最終的に私は彼のチームに参加した」

「しかし“ファクトリー”に到着した時、そこには何もなかったのだ! あるのは壁だけだった。そこでチームでの私の最初の仕事は、アンドリュー・グリーン、マーク・スミスとともに1991年の車の設計を開始できるように、大工としてデスクや引き出し、製図台を作ることだった」


■ニューウェイとアストンマーティンの契約という大仕事を成し遂げる

駆け引きや取り引きはジョーダンの得意分野だったが、彼がいなければジャン・アレジやエディ・アーバインらがF1にたどり着くことは決してなかっただろう。もちろん、ジョーダンは、彼にお金を貸していると主張する多くの人々に追い回されており、そのほとんどが事実だったが、彼に対して長く怒り続けることができる者はいなかった。

アイルランド出身の彼の特徴は、対話をせずに休みなく話し続けるというもので、彼が話すほとんどの文章は支離滅裂で、内容は完結しなかった。しかしジョーダンは、普通の人々なら乗り越えられない難題があると考えるところに取り引きのチャンスを見いだすことができる人物だった。

エイドリアン・ニューウェイがジョーダンを信頼して自身のマネージャーとして雇い、EJはモーターレース史上エンジニアとして最大の契約を取り付けてみせた。それが彼の能力を示している。ニューウェイのアストンマーティン入りは、ジョーダンが長きにわたって秘密裡に進めた後にまとめた、彼のキャリアのなかでも最高の取り引きだった。そしてこの契約は、アストンマーティンとホンダがF1でより大きな成功を収めるための触媒のような働きをするかもしれないものだ。

[オートスポーツweb 2025年03月21日]

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みんなのコメント

1件
  • エガちゃんねらー
    壊し屋チェザリス、と古舘氏に不名誉なあだ名を
    つけられていた(ただし実績からすると仕方ない)が
    それを覆して91年シーズンは人が変わった様に
    ジョーダンをコンスタントに走らせるようになり
    全然チェザリらないね(日本だとオリドる、かw)
    と変に感心したのが懐かしいな
    とにかくこのチームはインパクトがあった
    合掌
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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