世の中には「珍車」と呼ばれるクルマがある。名車と呼ばれてもおかしくない強烈な個性を持っていたものの、あまりにも個性がブッ飛びすぎていたがゆえに、「珍」に分類されることになったクルマだ。
そんなクルマたちを温故知新してみようじゃないか。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る尽くす当連載。第1回は、世界の珍車中の珍車、フィアット ムルティプラを取り上げる。
今年でアニメ化50周年!! ルパン三世が愛したフィアット500と知られざる「秘話」
文/清水草一
写真/フォッケウルフ
[gallink]
■“世界で最も醜いクルマ”の衝撃的スタイル
お分かりいただけただろうか……。ムルティプラ前期型のフロントフェイスには、顔が上下に2個重なっていたのである!!(キャアアアァァァーーーッ!)
フィアット ムルティプラの前期型は、そのとんでもないルックスのお陰で、「世界で最も醜いクルマランキング」では、常に1位か2位に付けるツワモノである。
外見はズバリ昆虫だ。なにしろ目(ヘッドライト)が上下2個ずつあるのだから、複眼の昆虫を連想しないわけにはいかない。今でこそ日産ジューク(初代モデル)や、シトロエンC3(現行モデル)等で採用され、かなり一般的になった上下複眼的ライトだが、ムルティプラが登場した1998年当時は、驚天動地のブッ飛びデザインだった。
ちなみに4個のヘッドライトは、通常の位置(下側)の2個がロービームで、上の2個はハイビーム。ポジションランプでお茶を濁していないところもスゴイ。
プロポーションも超絶ヘンテコリンだった。正面から見ると、上下に顔が2個重なっているように見え、それだけで夢に出てきそうだ。横から見ると、グラスエリアが非常に広く、いかにもキャビンからの見晴らしがいい。スピード感を捨て、乗員の快適性を最優先していることを実感する。
つまりムルティプラは、ある意味、イタリアの“ダイハツ タント”であった。初代タントは「走る保育所」の雰囲気だったが、ムルティプラは「走る毒毒昆虫」になった。さすがイタリア。
ムルティプラのユニークさはこれにとどまらない。前後2列のシートはどちらも3人掛け。全長は約4mしかなかったが、全幅は1875mmもあった。これは当時としてはかなりのワイドサイズで、取り回しが難題となった。
そもそもムルティプラは、あまりにも珍車であるがゆえに、日本への導入は2003年から。本国の発表からずいぶん遅れた。それまでは雑誌等で、その奇抜すぎる姿を見るしかなかった。私が初めてムルティプラと対面したのは、たしか1999年あたり、現地イタリアでのことだった。
正面から何か、とんでもない物体が近づいてきた。遠くから見ると、まず目に飛び込んでくるのは超個性的なフォルムだ。正面から見ると、グリーンハウスが上にいくにしたがって、逆に幅広くなっているように見えた。それは、『足袋の福助』のキャラクター・福助の頭の形に似ていた。
福助がだんだん近づいてくる。4灯までしっかり視認できるところまで来ると、すべてがあまりにも衝撃的で、もう爆笑するしかなかった。
■車内にも昆虫的造形を発見!
それから数年後、何を血迷ったのか、フィアット日本法人はムルティプラの日本導入を決定。エンジンは1.6L 直4DOHC16バルブのガソリンエンジン(103ps/5750rpm、14.8kgm/4000rpm)のみ、ミッションは5速MTのみ。ただしハンドルはしっかり右。価格は249万円と、今考えるとかなりお安かった。広報車両も用意されたので、ついに私もムルティプラを運転することができた。
乗り込んでまずギョッとするのは、センター部に配置されたインパネだ。「昆虫の巣」と呼べばいいのだろうか。あるいは『風の谷のナウシカ』の王蟲(オーム)の抜け殻か。キノコの群生のようにも見える。「さすがデザイン立国イタリアの実用車!」と言うしかないが、個人的には生理的にキツイ部分もあった。
奇奇怪怪なムルティプラのインパネデザイン。中央部は「昆虫の巣」のように凸凹しており、エアコン吹き出し口には人の顔のようなものまで……
実際に走らせた印象は、見た目に比べると穏やかで一般的。足まわりはフィアット車そのもの。ちょい固めで、飛ばせば安定する高速セッティングだ。なにしろ当時のイタリアの高速道路(アウトストラーダ)は、事実上速度無制限。すべてのクルマがアクセル全開で、最高速で走っているような状態だったから、ムルティプラも小さいパワーを最大限使い切る、スポーティなセッティングがされていた。
都内の路上で、5速MTを駆使して、はいずりまわると、とにかく幅がやけに広くて、しかも運転席が一般的なクルマに比べると右の端っこのドアに近いところに寄っていたので、左側面がとても遠く感じる。しかしそれ以外は、自然とキビキビ走らせたくなるフィアット車のフィーリングだった。
前後3人掛けの独立シートは、日本では非常に使いづらい予感がした。日本では欧州製ミニバンはすべて失敗しているが、最大の原因はこの独立シートにある。日本人は後席で寝転がったりできないとダメなんです。思えば前後3人掛け車は、日産ティーノ、そしてホンダエディックスも商業的に失敗している。
ムルティプラは、MTのみだったこともあって、日本ではファミリーカーとしてはほとんど受け入れられず、ごく一部の変態的カーマニアに喜ばれるにとどまった。地元欧州市場でもヒットには程遠く、「世界一醜いクルマ」に認定されるなど、そっち方面での武勲ばかり輝いていた。
■ムルティプラオーナーの惨劇
そんなムルティプラだが、2016年になって、自分の身近に再登場した。弊社スタッフの安ド二等兵が、自家用車として購入したのである。きっかけは子どもが生まれたこと。前席に親子3人が並んで座れるMT車ということで、白羽の矢が立った。
ただ、昆虫顔の前期型は人気(!)で相場が高かったので(100万円前後)、非常にフツーっぽい顔になった後期型を選択。車両本体価格40万円という、日本一安い個体を、わざわざ都内から中京地区まで遠征して買ってきた。
安ド二等兵が実際に所有していた後期型ムルティプラ。外観は離れて見るかぎり綺麗だったのだが、その後、悲劇が訪れる……(笑)
実物を見ると、顔がフツーでなんだか冴えない。そして室内はかなりヒドイ。この時期のフィアット系(フェラーリを含む)のクルマに共通することだが、内装のプラスティック表面が経年劣化で溶け、ベトベトになっていた。そこにホコリが付着すると取れなくなり、なんとなくゴミ箱の中のようになる。
メカも残念な状態だった。春に購入し、夏になった瞬間にエアコンがほぼ死亡。生まれたばかりの愛息が熱中症になりかけた。その後、オーバーヒートがきっかけで、坂道を転がり落ちるように調子が激悪に。これ以上お金をかけるのはムダという判断により、わずか半年で手放すことになった。まさに安物買いの銭失いである。
あれから約5年。現在のムルティプラの中古車相場を見ると、流通台数はわずか10台。うち7台が昆虫顔の前期型で、相場も80万円前後とあまり変わっていない。後期型なら20万円台から買えるが、流通台数はわずか3台。絶滅も近いだろう。
ムルティプラの価値は、やはりあの強烈な昆虫デザインにあったと言うしかない。いいコンディションで維持していれば、いつか値上がりに転じる可能性もないとは言えないだろう。
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みんなのコメント
住宅街をジグザグに徒歩20分かけて通勤していたとき、ある住宅にムルティプラの前期型をみつけました。
いつもそこあったから通勤には使われていなかったのだろう。
横に広い変顔は愛嬌があって窓も大きくて明るい室内のように思えました。
狭い路地で苦労しそうなところを除けば結構ファミリーカーにぴったりな感じがしましたね。