2010年にMotoGPへのフル参戦デビューを果たしたアレイシ・エスパルガロ。当初はプラマックから出場し、アスパー、フォワード・ヤマハと移籍すると、2014年には表彰台を獲得する活躍を見せた。
その後2015年からはスズキに加入し、2017年からはアプリリアに移籍して今に至っている。
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ただエスパルガロは2015年にはスズキではなく、ドゥカティへ移籍する直前まで話が進んでいたとMotoGPのポッドキャストで明らかにした。
彼によるとドゥカティのゼネラルマネージャーであるジジ・ダッリーニャとほぼ合意に達していたのだという。当時はスズキがアンドレア・ドヴィツィオーゾの獲得に興味を示していたため、ドヴィツィオーゾの選択にかかっていたと言える。
「結局は全てなるようになるものだ」とエスパルガロは語る。
「僕は最初、かなり特殊なキャリアを送ってきた。でもMotoGPに来てからは常に懸命に取り組むライダーであることを示してきた」
「フォワードレーシングと契約した1年後、僕はオープンクラスのバイクでランキング7位を達成した時に、スズキと契約したんだ」
「でも僕はドゥカティへ行くために、3週間前にはジジ・ダッリーニャと握手していた。殆ど全て(の交渉)は終わっていたんだけど、その時にドヴィツィオーゾが(スズキに移籍するのではなく)残留することになったんだ」
2015年のエスパルガロはスズキのマシンでランキング11位を獲得。ポールポジションも記録している。しかし2016年はタイヤサプライヤーが変更になったことでその適応に苦戦してしまった。
そして2017年、エスパルガロはスズキに残留することはなく、アプリリアへ移籍した。エスパルガロは当時のチームメイトであるマーベリック・ビニャーレスが、自分よりも遥かに競争力があったと回顧している。
「当時僕にはチャンピオンシップでも強力なふたつのファクトリーチームに入るチャンスがあった。そして最終的にスズキに加入したんだ」
「スズキとは良い1年目を過ごせた。そして2年目はブリヂストン からミシュランへのタイヤ変更に多くの努力が必要だった。でも言い訳にはならないね。マーベリックはレースで優勝したし、僕よりもずっと競争力があったんだ」
「トップ5やトップ6といった多くの結果を残しているから、悪い年ではなかったと思う。でもマーベリックのレベルではなかった。それが現実だ」
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