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【MotoGPライダーの足跡】中上貴晶選手、9歳の転機。「カートは危ないから、2輪がいい」

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【MotoGPライダーの足跡】中上貴晶選手、9歳の転機。「カートは危ないから、2輪がいい」

9歳で迎えた、人生の分かれ道

「4歳の誕生日に、両親からポケバイをプレゼントしてもらった……というか、されたというか。それがバイクに乗ったスタートです」

【画像】MotoGPライダー、中上選手の足跡を見る(6枚)

 2024年シーズンのMotoGPクラスに参戦する唯一の日本人ライダー、中上貴晶選手(イデミツ・ホンダLCR)は、キャリアの最初である「バイクに乗り始めたきっかけ」について、そう語りました。

 現在の多くのMotoGPライダーのように、幼い頃にポケバイに乗り始めたという中上選手ですが、当時は自分の意思というよりも、モータースポーツ好きのご両親の影響が大きかったと言います。じつは、ご両親はむしろ、4輪の方に傾倒していたのでした。

「たぶん、4歳、5歳の子供が乗るようなカートがあったと思うんですけど、乗ってもあまり意味がない、(中上選手が)大きくなるまでポケバイに乗ればいいんじゃない、ということだったみたいです。元々、親としては2輪ではなく4輪を希望していたんですよ。母親は『男の子が生まれたらF1レーサーにしたい』と言っていたそうです」

 ポケバイで走るようになり、練習場にも行き、乗る機会がどんどん増えていきました。そして9歳のある日、大きな転機が訪れます。「2輪にいくのか、4輪にいくのか、どちらかを選んでほしい」と、ご両親に決断を迫られたのです。まだ少年と言える年齢ですが、すでに大きな人生の分かれ道を迎えたのでした。

「すごく覚えていますね。午前中はバイクに乗って、午後にカートに乗りました。カートに乗ったとき、怖かったのをよく覚えています。すでに4年近くポケバイに乗っていたので慣れもあったと思うんですけど、(カートは)目線やスピードも違ったので」

 走り終えた中上少年はこう言いました。「カートは危ないから、2輪がいい」と。

「すごく鮮明に覚えています。みんなから『それは逆だ』と言われたし、僕も、今思うと『逆だよなあ』と思うんですけどね。でも、当時はポケバイに慣れていたことの方が強かったし、ポケバイで結果も出していたので、2輪の方が乗り慣れて楽しかったんです。それが、決断した一番の理由ですね」

 この日の決断が、「MotoGPライダー、中上貴晶」を生んだと言っても過言ではないでしょう。もし、カートを選んでいたら……? 歴史にタラレバはありません。けれど、いくつもの小さな、あるいは大きな決断の積み重ねもまた、今の「MotoGPライダー、中上貴晶」を形づくっているのだと思えるエピソードです。

日本GPで見た、プロフェッショナルライダーたちに心を決めた

「プロのレーシングライダーになる」と決めたのもまた、この頃でした。

「夏にミニバイクの全国大会があって、それを獲ったくらいから、一気に(気持ちが)固まった感じでした。調子良く結果を残していたというのが、一番の要因ではあるんですけど」

 そしてまた、先輩たちから刺激を受けたこともひとつの要因でした。バイク雑誌の企画で、WGP日本GPを訪れ、当時参戦していた多くの日本人ライダーと交流を持つことができたのです。中上選手にとって初めて感じた、プロフェッショナルの世界。「世界という舞台」でした。

「(ポケバイレースの)中野真矢杯に参戦していたので、(中野)真矢さんはポケバイのときから交流があったんですが、普段は自分がレースをしている状態。でも、日本GPでは逆ですよね。僕が現場にいて、真矢さんが走っている。すごく衝撃でした」

「そのときは(加藤)大治郎さんにも会いました。企画でじゃんけんをして、僕が勝った景品として、大治郎さんのブーツをもらったんです。そのブーツはすごく大切にしています」

 世界で戦うレーシングライダーとの交流から刺激を受け、中上選手の心は固まっていきました。

「みんな、すごく輝いていました。『僕もここで戦いたい。将来、世界最高峰の舞台で日本人として走りたいな』と思ったのは、すごく覚えています」

中上貴晶選手の原点

 もちろん、中上選手が歩んだ道のりは、平坦ではなかったでしょう。なぜ、強いモチベーションを維持できたのでしょうか。中上選手を支え続けたのは、幼い頃の決意だったのです。

「9歳、10歳で(レーシングライダーになることを)決断して、まだ日本人が達成していない最高峰クラスの世界チャンピオンに、自分がなりたいと強く思ったんです。それが全てだと思っています」

「そこが、原点なんです。それしかなかったかもしれません。諦めるのも放り投げるのも簡単だけど、それで得られるものはないから。苦しくても『何のためにここまで頑張って来たんだろう』と考えたとき、ぽんと出てくるのは、小さい頃に『世界チャンピオンになるんだ』と思ったこと。それだけなんです」

 中上選手のキャリアを語るうえで大きな出来事のひとつとして、2008年から2009年にかけてロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦したものの、結果を残せずにシートを失ったことがありました。

 2010年、2011年は全日本ロードレース選手権に参戦しました。当時は、一度世界から日本に戻ると、再び世界選手権に参戦することは難しいだろう、と考えられていました。それは、中上選手のレースキャリアにとって、とても大きなターニング・ポイントでした。

 中上選手は、2011年にJ-GP2のチャンピオンを獲得して、2012年から再び世界選手権の舞台に戻るのです。あるいはそのときも、その原点が中上選手を支えていたのかもしれません。

「もし、レーシングライダーになっていなかったら?」

 最後に、「もし、レーシングライダーになっていなかったら?」と尋ねました。

 中上選手は「バイクで走ることしかしてこなかったから、昔は考えられなかったんですよね……。環境的にほかの職業を知る機会も見る機会もなかったから、答えるのが難しかった。今でも難しいですけど……」と、しばし悩みます。

 脇目もふらず、レースのために全てを懸けてきた、そして今も生活のほとんどをレースのために費やすレーシングライダーだからこそ、「もしも」だとしても難しい質問なのでしょう。苦笑いをしながら考え込む中上選手を見て、そう感じました。

 中上選手は悩みながらも、こう答えてくれました。

「ここ4、5年はテニスが好きです。テニスも厳しい世界ではありますけど、スポーツが好きなので、テニスプレイヤーは、唯一、候補として挙げられるかな……。メカニックはだめ。プラモデルも作れないんですよ!」

「あとは、4輪ドライバーも興味ありますね。今は年に一度、オフシーズン中、時間があるときに遊びでカートに乗っているんです。パソコンとかはだめ。体を動かす方が好きです。人生でいろいろ経験していったものが、つながっているのかもしれないですね」

 9歳の決断から、23年。その道は「MotoGPライダー」につながっていました。

■中上貴晶(なかがみ たかあき)選手/イデミツ・ホンダLCR/#301992年2月9日生まれ2004年(12歳):ロードレースデビュー2006年(14歳):全日本ロードレース選手権GP125クラスで全戦優勝。最年少チャンピオンを獲得2007年(15歳):CEV Bucklerに参戦。また、MotoGP125ccクラス最終戦バレンシアGPに参戦2008年(16歳):MotoGP125ccクラスにフル参戦2009年(17歳):MotoGP125ccクラスにフル参戦2010年(18歳):全日本ロードレース選手権ST600クラスに参戦。2011年(19歳):全日本ロードレース選手権J-GP2クラスに参戦。チャンピオン獲得2012年(20歳):Moto2クラスにフル参戦2018年(26歳):MotoGPクラスにステップアップ2021年(29歳):アラゴンGPで、日本人ライダーでは最多のロードレース世界選手権として通算200戦出走を達成

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みんなのコメント

14件
  • g********
    幼少期から天才だった。今の苦労が報われる日が来て欲しい。
  • nbd********
    幼少期からバイク与えられてレース人生の軌道に乗ってレースやってる人と
    高校卒業してから0から免許取ってバイク買ってトランポ買ってレースしている人とのハンディって当たり前だけど大差あるよなぁ
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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