冷戦時代の東西ドイツをモチーフにした漫画&アニメが大ヒット
2022年に大ブレイクしたアニメといえば『SPY×FAMILY(スパイファミリー)』です。『少年ジャンプ+』で連載中の遠藤達哉氏の漫画が原作で、冷戦時代の東西ドイツ(とイギリス)をモチーフにした世界が舞台の同作ですが、劇中に出てくるクルマもマニアックかつ考証がかなりしっかりしているため、カーマニアからも注目を集めています。
とくにアニメ第1期オープニングでのロイド・フォージャー氏が運転しているシーンをはじめ随所に出現しているレトロな小型車は、見覚えのない人も多いはず。じつはこれ、旧東ドイツの「トラバント」という大衆車で、1957年から1990年まで生産されていたロングセラーなのです。
旧西ドイツの「フォルクスワーゲン」と並ぶ、もうひとつのドイツの「国民車」、トラバントとはどんなクルマだったのか振り返ってみましょう。
じつは旧東ドイツも工業レベルは高かった
第二次世界大戦が終了し敗戦国となったドイツは、戦勝国である米・英・仏と新生・ソビエト連邦によって統治されることが決定。西側は米・英・仏が受け持ち、その一方で東側はソ連が受け持つことになり、結果的に東西に分割されることになりました。
そして東ドイツとして分割されたエリアに誕生した自動車メーカーが、トラバントの生みの親でもある国営企業「VEBザクセンリンク」です。現在のザクセン州ツヴィッカウにあった工場は、歴史を辿っていけば、東西分割以前のドイツにおける民族系の大メーカー・アウトウニオンの高級車、「ホルヒ」の生産工場でした。ですから歴史的にもとても由緒正しい工場であるとともに、当初から自動車生産に関しての工業技術が高かったことは言うまでもありません。
大型のプレステージカーを担当していたホルヒのツヴィッカウ工場でしたが、敗戦国となってしまうと、さすがにそのマーケットは残されていませんでした。そこで戦前にDKWが生み出しヒット商品となっていた「マイスタークラッセF8」と、実質的には変わるところのない「IFA F8」を1949年から生産し、翌1950年には戦後モデルの「F89」に切り替わり、さらに「F9」に移行。アイゼナハの旧BMW工場に生産が移管されて「EMW309」と名を変えた後、「ヴァルトブルク」として進化を続けていくことになります。
一方、IFA F9がアイゼナハに移管された後、ツヴィッカウではその発展モデルとなった「P70」を生産することになりましたが、さらに新たな主力モデルとして開発され1957年に登場したのがトラバントの初代モデル「P50」でした。ここから今回の主役、トラバントのヒストリーが始まっていったのです。
トラバントのボディは「段ボール」ではなく「綿」だった
トラバントP50の最大の特徴は、FRP(繊維強化プラスチック)で成形されたボディを持っていたことです。一部では「ボディは段ボール紙で出来ていた」とも揶揄されていましたが、この表現は間違っています。FRPというのは、当時としては最先端の技術だったのです。
ただ現在の常識では、FRPというとガラス繊維で強化されたプラスチックを思い浮かべるのが一般的ですが、P50に使用されていたFRPは植物性の繊維である綿でフェノール樹脂を強化したものでした。
当時としては先端技術だったFRPを使用することになったのは、軽量化が追求されたため。というのも、開発要件の中に、「家族4人が乗れること」のほか「車重600kg以下」、「燃費は5.5L/100km以下(約18.2km/L以上)」などが挙げられていて、軽量化はもっとも優先順位の高いテーマのひとつだったのです。
結局目標にはわずかに届かず620kgとなってしまいましたが、それでも全長3375mm×全幅1500mm×全高1395mmという、現在の軽自動車ほどのクルマが620kgで仕上がっているのは驚きです。
搭載されていたエンジンは2ストローク500ccの空冷2気筒で、これを横置きに搭載して前輪を駆動するという基本デザインでした。いわばDKWの戦前からあった前輪駆動車「F1」の流れをくむものでしたが、横置きエンジンのFFというスタイルは現在、大多数のクルマで使用されていることを考えるなら、その先見性の確かさには敬意を表するしかありません。
ただし、こうして出来上がったP50ですが、市場からはさらに厳しいリクエストが出されることになりました。もっとパワーを、そしてもっとスペースを。これに応えるように開発が行われ、P50のエンジン排気量を拡大した600ccのユニットを搭載する「トラバント600(P60)」が1962年に投入されました。
シャシーが一新された「P601」は四半世紀以上のロングモデルに
さらに1963年にはシャシーを一新した「トラバント601(P601)」が登場しています。『SPY×FAMILY』の劇中に登場しているのはこのモデルです。最大の変更点はボディサイズの拡大でした。全幅については実質的な拡大はなかったのですが、全長が3375mmから3555mmに180mmも延長されるとともに、全高も1395mmから1440mmへと45mmかさ上げされていて、居住スペースはずいぶん拡げられていました。
1963年に登場したP601は1990年まで、四半世紀以上の長期間にわたって生産が続けられました。総生産台数は280万台を超え、旧東ドイツ国内では日常風景に溶けこむほどポピュラーな存在になっていました。
この間、基本設計が変わることはありませんでしたが、細かな設計変更やアップデートは重ねられていました。エンジンなどはその典型で、排気量も変えられていませんが、P60型からP66型まで7タイプが登場しています。しかし、1980年代から1990年代にかけては世界的にクルマの排気ガス浄化が求められた時代で、その要求に対応するにはシンプルな2ストローク・エンジンでは無理がありました。
そこで1990年に登場したのが「トラバント1.1」でした。これは提携していたVW社から「ポロ」用の4ストロークの水冷1.1L直列4気筒エンジンを調達し搭載したもので、ほかにもフロントブレーキをドラム式からディスク式に変更するとともに、サスペンションにもストラット式が採用されるなどシャシーもアップデートされていました。
ただし、こうした改良によって価格が引き上げられてしまい、旧東ドイツの国内ではあまり多くは販売されず、生産台数も4万台弱にとどまりました。そしてそのほとんどがポーランドとハンガリーに輸出されたのです。
ラリーシーンでも活躍していたトラバント
ちなみにトラバントは、モータースポーツで活躍したことでも記憶されています。P601にはラリー専用車両である「P800RS」が3台製作され、これはエンジン排気量を800cc(正確には771cc)までスープアップし、最高出力も約65psにまで引き上げられていました。実際に1980年代後半の世界ラリー選手権(WRC)でグループA仕様が活躍した記録も残っています。1986年シーズンからスポット参戦でフィンランドの1000湖ラリーに参戦を続けて毎年のように完走し、1989年にはクラス2~4位入賞を果たしています。
ちなみに、トラバントとは「遠い親戚」にあたるヴァルトブルクもグループAで参戦した記録が残っています。東欧諸国のクルマと最先端技術を争うWRCのイメージは、簡単には結び付かないかもしれませんが、チェコのシュコダも含めてじつは古くから、根づいた活動を続けていたんですね。
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