生涯を通じて最も思い入れのあるクルマとして富田がいつも挙げるのがアルピーヌA108である。何を隠そうこのクルマ=かの有名なA110シリーズの前身、こそが、富田をしてスポーツカーを自ら造りたいという思いと夢、つまりは想像力を与えてくれたクルマなのだった。
富田はアルピーヌA108を独立して3年目くらいに購入している。本当はA110のなかでも最もハイチューンドな1300Sが欲しかった。けれども当時デビューしたばかりの本格派ライトウェイトスポーツカーであるA110 1300Sは輸入台数もまだ少なく、日本で手に入れることはほとんど不可能に近かった。
自動車メーカーになった男──想像力が全ての夢を叶えてくれる。第3回
富田の元へとやってきたのは1963年型のA108ベルリネッタで、地味なシルバーカラーにペイントされていた。スチールホイールに細いタイヤを履き、最新のA110 1300Sのイメージに似せたかったのかフロントバンパーにはいかにも取って付けたようなフォグランプが付いていた。
富田はすぐさま手を入れている。フォグランプを外し、ステアリングホイールとミラーを交換して、太いタイヤを履かせてみた。車高も下げて、キャブレターのジェットも大きくした。少しは富田の気に入る雰囲気の個体になっていた。
軽さは正義だ
けれども所詮はドーフィン用の1リッターエンジンを積んだクルマだ。カタログ馬力至上主義だった当時の富田はさほど期待せずにA108に乗り込み、山へと向かう。
驚いた。想像以上によく走る。しかもヒラリヒラリとコーナーをクリアするしなやかな身のこなしに富田はゾッコンとなった。力強くは決してない。けれどもクルマそのものの軽さを実感できた。馬力のでかいヤツが速くて偉いというそれまでの考えが大間違いだったことに富田は気づく。
クルマにとって軽さは正義。そのとき富田はそれを自ら体感した。そして、その思いが後々のトミーカイラZZのコンセプトへと繋がっていく。
ある時、友人の林みのるとA108に乗って比叡山までドライブにでかけた。琵琶湖へと抜ける峠道の途中でクルマを停めたふたりは車体の隅々までチェックしはじめた。ボンネットやフード、ドア、開くところはすべて開けて、まるで検査官のように細部まで覗き込んでみた。
ふたりの意見は見事に一致する。これくらいのクルマなら自分たちでも造れるんじゃないだろうか?
それから数年が経った。富田はすでにスポーツカー専門店の社長としてひとかどの人物になっていたが、その昔憧れてとうとう買えずじまいだった黄色いアルピーヌA110 1300Sを手に入れる。
想像通り、素晴らしく楽しいクルマだった。アルピーヌを思う富田の心に再び火がついた。よし、フランスで走っているA110をすべて日本に持って来てやろうじゃないか。それぐらいの勢いが当時の富田にはあったのだ。
富田はその頃、縁あって高島屋の外国自動車部顧問を務めていた。パリ高島屋にアルピーヌA110の情報を探ってもらうと、基本的には個人売買でしか出回らず、それも夏場のバカンス前にのみ売りに出るという傾向があるという。
フランス人は7~8月にかけてバカンスに出掛ける。その費用を捻出するために売るか、もしくは、家族を載せるクルマに買い換えるために売るか、そのいずれかが狙い目だというわけだ。富田は6月から7月にかけて『アルピーヌA110の極上車求む!』という広告を、現地の新聞や雑誌に集中的に打つことにした。
名付けて“極上A110捕獲大作戦”である。
A110ブームを興そう!
作戦は見事に的中する。フランスと西ドイツの2つのルートから合計70台以上(!)の売り物を見つけ出したのだ。インターネットどころか海外の最新情報を得る手段でさえほとんどない1970年代の話である。
面白い話がある。フランス語に堪能な日本人の仕入れ担当はフランス人の大口に閉口したという。アルピーヌのオーナーは誰もが「自分のA110が世界一だ」と必ず言うらしい。なかには「無改造の極上だ」と電話で聞いたものだから、片道500キロをすっ飛んで見に行ってみたら、これがオーバーフェンダーにシャコタンのバリバリ改造車で程度も悪かった、なんてこともあった。もっとも、それが正真正銘のラリーカーだったという可能性もなきにしもあらずだけれど……。
結局、富田は程度のいいアルピーヌA110を20台も仕入れている。専門誌の「カーグラフィック」に2頁見開きの広告をうって1頁はすべてA110を掲載した。
日本でちょっとしたA110ブームが起きるのはその直後のことだった。
好きなクルマだけを扱う。自分が一番のクルマ好きだから、自分の気に入ったクルマならクルマ好きがきっと欲しがるに違いない。そう信じて疑わなかった富田は、今回のアルピーヌがそうであったように、海外とのビジネスにひるむことなど全くなかった。次回、富田はいよいよスーパーカーの世界に誘われて、イタリアへと単身旅立つ。1970年代半ばのことである。
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