岸田政権は10月28日の臨時閣議で、世界経済の下振れリスクや物価高騰に対応するため、2022年度第2次補正予算を含む総額39兆円の財政支出する総合経済対策を決めた。世界的なエネルギー価格高騰による物価高対策として、家庭の電力使用量や都市ガス使用量に応じて支援する。内閣府によると、総合経済対策による負担軽減策で、消費者物価の上昇率を1.2%程度抑える効果があると試算している。
エネルギー価格や食品などの値上げが相次ぐ中、物価高騰によるインフレ対策として実施する経済対策だが、補正予算では11月中に予算が枯渇すると想定されていた電気自動車(EV)などクリーンエネルギー車の購入補助金や、EV用充電設備の設置に対する補助金が盛り込まれた。
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一方で、今年1月から実施しているガソリンなどの燃料価格を抑制するための石油元売りに対する補助金も今年末で終了する予定だったが、23年度前半までの延長を決めた。高騰するガソリン価格、電気・ガス料金を抑えるための補助金は、化石燃料の使用を助長することになり、対策が強く求められているカーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)に逆行するとの意見もある。
幅広い視点でのインフレ対策として、自国経済が有利になるよう、そしてカーボンニュートラルも同時に進める大胆な政策を打ち出した国がある。米国バイデン政権による「インフレ抑制(IRA)法」だ。
IRA法は気候変動とインフレ、エネルギー安全保障に関する総額3690億ドル(約51兆7千億円)を投じる経済対策の法律だ。この中で23年1月から10年間、EV、プラグインハイブリッド車(PHV)、燃料電池車(FCV)の購入に対する補助金を定めている。すべての要件を満たした場合、1台当たり最大で1万1千ドル(約150万円)の税額控除が受けられる。従来のEVに対する補助金制度と大きく異なるのは、保護主義の要素を盛り込んでいることだ。税額控除の対象となるのは北米で生産された車両のみ。さらに、EVの心臓部である電池に関しても、部材は北米での生産・組立の比率に応じてインセンティブが設定されている。リチウム、ニッケル、黒鉛などの電池の重要鉱物についても、米国または自由貿易協定(FTA)を締結している国からの調達割合に応じてインセンティブが付与される。
つまり税額控除を満額で受けるためには、最低でも米国またはFTA締結国から調達した重要鉱物を使用し、北米で製造した電池を搭載したEVが、北米で生産された場合のみとなる。米国とFTAを締結している韓国政府はIRA法が世界貿易機関(WTO)のルールやFTAに違反している可能性があるとして提訴を検討するなど、日本政府を含めて一部の国や地域から新制度に対する反発が広がっている。
ただ、批判とは裏腹に自動車メーカーや電池メーカーはIRA法を見据えた対応を本格化している。ホンダは8月下旬、韓国のLGエナジーソリューションズと、EV用電池を合弁生産する工場の新設を決めたのに続いて、10月にはオハイオ州にある工場に7億ドル(約980億円)を投じてEV生産のハブ拠点に刷新することを決めた。ホンダとソニーグループのEV合弁会社ソニー・ホンダモビリティも北米にあるホンダの生産拠点でEVを生産する。
BMWは10月、サウスカロライナ州で、17億ドル(約2380億円)を投じてEVと電池を生産する工場の新設を発表した。電池セルは、日産自動車が出資するエンビジョンAESCが同州に新設する工場から調達する。エンビジョンAESCは今年4月、米ケンタッキー州にEV用電池を製造する拠点の新設を決定したばかり。IRA法によって米国製電池需要の拡大を予想して投資を拡大している。
トヨタ自動車は米ノースカロライナ州に建設する電池工場について今年8月、25億ドル(約3500億円)を追加投資し、電池生産能力の増強を決めた。ほかにも韓国の現代自動車は米国ジョージア州に新設するEVと電池の工場の生産開始時期を25年としていたが、24年中に操業を前倒しすることを模索している。
電池や車の開発・量産では先を進んだが… 自動車メーカー、電池メーカーが「バイ・アメリカン」の要素の強いIRA法に対応して米国での投資を本格化しているのは、米政府の支援があることも大きい。IRA法では、米国で生産する電池セルとモジュールの組み立てに対して1キロワット時当たり45ドル、正極材・負極材の加工コストの10%、精製コスト10%の税控除が受けられる。米国内での電池製造に巨額の補助金が用意されていることが、巨額投資に向けて各社の背中を押す。
米国市場が稼ぎ頭のスバルは今年5月、2500億円を投じて23年以降、日本でEVの生産体制を整えると公表したが、今後、再検討を迫られる可能性は高い。IRA法は経済安全保障上、重要な「電池」に関して、中国依存からの脱却を狙った保護主義的な性格の強い制度なのは明らかだが、EV関連産業の集積化に関しては、米政府の目論見通りに進んでいる。
旭化成の名誉フェローでノーベル化学賞を受賞した日本人の吉野彰博士がリチウムイオン電池を開発し、世界で初めてリチウムイオン電池を商業化したのはソニー、そして世界で初めて量産型のEVを市販したのも日本の自動車メーカーだ。にもかかわらず、EVでも、将来のモビリティのキーデバイスであるリチウムイオン電池でも日系企業は出遅れている。
今から7年前の15年、車載用リチウムイオン電池市場で、シェアトップはパナソニックだった。それが21年は中国の寧徳時代新能源科技(CATL)が世界トップ、2位が韓国のLGエナジーで、パナソニックは3位に転落した。今年に入ってからパナソニックは中国の比亜迪(BYD)にも抜かれてシェア4位にまで落ちている。EV・PHVの世界販売でもトップは中国のBYD、2位が米国のテスラ、3位が上海通用五菱汽車を含むゼネラル・モーターズ(GM)、4位がフォルクスワーゲン(VW)、5位がBMWなど、トップ10に日本の自動車メーカーは1社も入っていない。
米国のIRA法だけではない。中国も補助金の支給などで、官民挙げてEVの普及を推進している。35年にハイブリッド車を含む内燃機関を搭載した自動車の新車販売禁止を決めた欧州連合(EU)でも電池工場の新増設に対して、巨額の助成制度が用意されている。スウェーデンのノースボルトやフランスのACCなど、欧州電池メーカーだけではなく、中国のCATLや韓国のサムスンSDI、LGエナジーなど、中国・韓国の電池メーカーが欧州域内で電池工場の新・増設を加速している。
欧米や中国の新車市場でEVの販売比率が急上昇している。EVやリチウムイオン電池に強いメーカーの存在感が高まっており、これらの市場ではすでに「ゲームチェンジ」が始まっているが、日本は取り残されている。
日本政府が立ち上げた「蓄電池産業戦略検討官民会議」では、車載用電池市場での日系のシェア低下を懸念、遅くとも30年までに国内で150ギガワット時の生産体制を整えるとともに、グローバルで日本企業全体で600ギガワット時の生産能力を確保する目標を掲げた。しかし、日本の電池・材料メーカーや自動車・部品メーカーなど、約120社が加盟する電池サプライチェーン協議会では「国内150キロワット時を実現するには、民間企業の(工場1ケ所当たりの)投資を米国や中国並みに抑える必要があり、そのためには(日本の)政府の補助金が現在の3倍は必要」と訴える。
日本政府の総合経済対策では、電池工場に対する補助金は盛り込まれていない。ガソリン価格を抑制して化石燃料の使用を促進しながら、補助金でEV購入を促進するという、脱炭素社会に向けては矛盾ともとれる政策はあっても、補助するEVや電池は、国産に限るなどの政策も打ち出されていない。EV販売比率の低いタイでも22年から、EV購入補助金の対象とするためには、25年までにEVを規定の台数を現地生産することが条件になっている。
自動車業界はEVシフトに向けて大きく舵を切っている。その現実を直視し、国の基幹産業である自動車業界が世界で戦えるような政策が求められる。
(編集委員 野元 政宏)
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