最初のステージで2番手タイムを記録
ツインエンジンのフォルクスワーゲン・シロッコ GTIでラリーを戦った、キム・マザー氏。頬を緩ませながら、当時を振り返る。
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「シロッコを組み上げている途中に悩んで、知り合いがいるフォルクスワーゲンのワークスチームへ電話したこともあります。内容を説明すると、どうして秘密だったツインエンジンの計画を知っているのか、逆に聞き返されましたけどね」
「悪くないアイデアだったと思います。初戦になった1985年のウェールズ・ラリーでは、シロッコを見て多くの人が冷笑していました。でも、最初のステージでいきなり2番手のタイムを叩き出せたんです」
デビュー戦は、もちろん問題が起きなかったわけではなかった。「ラジエターへ外気が当たっていないことに気付いていませんでした。リアに流れ込んだ空気はエンジンの上へ回って、ラジエーターの後ろ側で排出されていたんです」
「エアインテークも不十分で、エアフィルターはすぐに砂埃で詰まりました。結果的に、フロント・エンジンだけでそのラリーを終えました」
「帰宅してラジエターとエアスクープの位置を改め、パイプ類を追加。ロードタイヤで走った次のラリーでは、初戦より良い結果を残しています。それから、フロント側もATからMTへ交換しました」
2基のMTは、リア用のリンケージが新しく設計され、1本のシフトレバーで変速された。ミスシフトを避けるため、強固に作られたリンケージの動きには一切の無駄が排除されたという。
速さはグループBのMGメトロ 6R4並み
癖のある操縦特性も、キムが直面した課題だった。「改善で良くなることは見えていましたが、コーナリング時に問題がありました。コーナーへ侵入すると姿勢が大きく変化し、酷いオーバーステア状態になるんです」
「説明しにくいのですが、常に左右に振られていました。サスペンションを再設計し、コントロールアームの位置を下げたり、試行錯誤しています。それが、大きな違いに結びつきました」
4気筒エンジンには、スーパーチャージャーが載せられた。「当初はフロントへリアより50%高いブースト圧をかけました。既製品を取り付けただけに近かったですが、うまく機能したと思います」
「最高出力はリアで122ps以上、フロントで107ps以上。前後の重量配分は45:55で、進入時はアンダーステア。グリップが安定するとオーバーステアへ転じます。ハリケーンのような走りから、リトルハリーというあだ名を付けました」
「結果として、大金を投じずに仕上げたシロッコで勝利できました。それが1番の誇りですね。ターマック上では、グループBマシンのMGメトロ 6R4並みに速かったんです」
キムは、1985年のウォリントン・モータークラブ・シリーズラリーで優勝。1987年には妻のイヴォンヌ・マザー氏をコ・ドライバーとして座らせ、再び優勝を掴んだ。
前年の1986年には、ノースウェスタン・カークラブ・ステージラリーで総合優勝。1987年も10ステージで勝利し、その座を守った。それ以外にも3シーズンで5つのタイトルを獲得した彼はメディアの目に留まり、スポンサーも獲得できたそうだ。
ルール変更で出番が奪われたシロッコ
ところが、キムの圧倒的な強さにラリー主催者側が反発。ルールが変更され、ツインエンジン・シロッコの出番は奪われてしまう。「新しい規定が1987年の末に導入され、すべてのラリーカーには走行内容を記す公式のログブックが必要になったんです」
「もちろん自分も申し込みましたが、届きませんでした。どうにもなりませんでしたね。1989年に再び規定が変わり、本来のクルマにはないエンジンを搭載することがNGに。これによって、わたし以外の多くのマシンも出場できなくなったようです」
「シロッコ最後の公式イベントになったのは、1988年にマージーサイド州ウォラシーで開かれたスプリントラリーです。ここでも、多くの出場者がクルマに対して不満を口にしましたけれど」
それ以降、ツインエンジン・シロッコは公に姿を見せることはなかった。「敷地の外に停めっぱなし。やがてボディがサビ出したのでワークショップの中へ入れましたが、そのまま手つかずでした」
「地元で開かれるプロムナード・ステージズ・ラリーで、デモ走行を頼まれたのが2000年。再始動させるまでに、かなり苦労しました。他の人と同じく無茶なことをして、リアのエンジンをブローさせる始末。そのデモラン以降、また乗る機会はなかったですが」
400馬力くらいは問題なく出せる
しかし、近年になって状況が変わった。「2019年にCOVID-19が流行し、自由な時間が増えたんです。仲間は歳をとって病気がちで、クルマの再始動を考えていた頃でした」
時期を同じくして、彼が以前ラリーを戦ったロータス・サンビームも発見され、ランデブー走行を目指したレストア計画がスタートした。「ほぼ20年ぶりでしたが、すべての部品が残っていたので難しくありませんでした。資金繰りは難しかったですが」
「実は、可能な限り状態は保っていたんです。フロント側のツイン・アンチロールバーは、シングルの22mmに交換するなど、幾つか改良も施しました」
「現在はメルセデス・ベンツSLK用のスーパーチャージャーが載っています。32mmの吸気リストリクターを付けた状態で。ガスケットがスチール製なので、400馬力は問題なく出ますが、そこまでする必要はないでしょう」
2022年に再始動を果たしたツインエンジン・シロッコだったが、目指していたグッドウッド・フェスティバルでも、規定の縛りに1つの機会が奪われた。「彼らはタイムアタックさせてくれませんでした」。と、キムが残念そうに漏らす。
「車検の担当者と話すのは、時間の無駄でした。シートもシートベルトも、ロールケージも、すべて1980年代のもの。ひと目見ただけで、一蹴されていたでしょう」。苦々しい笑みを浮かべるキムの隣で、シロッコは今でも意欲的な容姿のままだ。
「このシロッコは、1980年代当時に使える部品で組み上げています。今なら、デュアルクラッチATに気筒毎のスロットルボディ、電子制御システムなどを使いたいですね」
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