東西ドイツが統一され、ソビエト連邦もなくなってから早30余年だが、冷戦時代の東欧は、西側にはないとびきり個性的なクルマの王国だった!? 今回は、その代表格であるトラバントと東欧の仲間たちを紹介する。
文/長谷川 敦、写真/FavCars.com、Newspress UK、Adobe Stock、アイキャッチ画像/Neppomudobe Stock
ボディは段ボールってマジか? 作りがぶっ飛んでる東ヨーロッパの国民車たちに泣ける
【画像ギャラリー】旧東欧諸国には個性派モデルをもっと見て!!(12枚)
■東欧のクルマが独自路線を走ったワケ
トラバント P601。写真は1985年製造の個体で、トラバントにはP50&60、P601の型式があるが、基本設計に変化はなく、マイナーチェンジにとどまっている
かつて世界は資本主義国家の西側と共産圏の東側に分断されていた。
もちろん、物理的に地続きの国も多かったが、西側に所属していた国の人間には、東ヨーロッパ(東欧)は“鉄のカーテン”の向こう側にあり、その情報もあまり入ってこなかった。
当然それは東側の国々にとっても同様で、ほとんど交流のない国の情報を得られず、クルマをはじめとする工業製品は必然的に独自の進化の道を辿ることになった。
時代の激動によって東西ドイツを分けるベルリンの壁が1989年に崩壊すると、東側のクルマも西側に入ってくるようになり、とある東ドイツ(東独)製のモデルが西側の人間を驚かせた。
そのクルマこそが今回の主役、トラバントなのだ。
■トラバントってどんなクルマ?
第二次世界大戦終了後、ドイツは西と東に分断され、東ドイツは共産主義国の一員になった。
そして1949年に、元々ドイツのアウトウニオン(現アウディの前身)が所有していた工場施設を利用して国営自動車メーカーのVEBザクセンリンクが誕生した。
ちなみに共産主義国家では、基本的にすべての企業が国営になる。
VEBザクセンリンクは、発足後しばらくはアウトウニオン関連のモデルを製造していたが、新たな主力となるモデルの必要に迫られて新設計のクルマを開発することになり、1958年に初代トラバントのP50が完成した。
以降、トラバントは大きく姿を変えることなく1991年まで製造が続けられることになる。
トラバントは新たな世代の大衆車として企画され、車体サイズも全長3.5m、全幅1.5mとコンパクトなもので、初期に搭載されたエンジンは500ccの空冷2気筒2サイクルだった。
つまりサイズ感的には日本の軽自動車に近く、車重も約600kgと軽量に仕上げられている。
車重が軽いのは、ボディの素材に金属ではなく強化プラスチック(FRP)を使っていたのも理由のひとつ。
戦後の東ドイツでは金属の確保が難しい状態であり、強度が必要なフレームには金属を使用し、ボディは強化プラスチックにするという手法はいわば必然といえた。
通常、FRPといえばプラスチックをガラス繊維で強化したものを指すが、トラバントに使われていた繊維はなんと綿!
トラバントには、自国とソビエト連邦から入手した綿にフェノール樹脂を浸み込ませてヒートプレス加工で完成させたFRPボディが装備されていた。
トラバントP50は、完成した1958年の時点でも1930年代の基本構成を引き継いだレトロなクルマだったが、資本主義社会と違って競合メーカーの存在しない共産圏では市場競争による進化への淘汰圧がかからず、それが30年以上もほぼ同じ姿を保った理由になっている。
■面白くてちょっと悲しいトラバントの逸話
ここからはトラバントに関する逸話を紹介していくが、なかには事実ではない話もある。
しかし、そうした“都市伝説”が生まれてしまうのにも仕方ない事情はあった。
●納車まで10年かかった?
ライバルが存在しないので当然ではあるが、トラバントは東ドイツ国内では大人気車となり、注文から納車まで10年以上かかったというケースもあった。
これは国策として東ドイツ国内よりも他の共産主義国家への輸出が優先されていたのも関係している。
共産圏でのトラバント人気はそれほど高く、まるで東独のカローラと呼べるほどのものだった。
●ボディは段ボール製?
東西自由化が成し遂げられると、東側から走ってきたトラバントが西側の道路でも見られるようになるが、樹脂製のため表面に凹凸のあるトラバントのボディを見た人から「あのクルマのボディは段ボール紙でできている」とウワサされるようになった。
もちろんこれはデマで、トラバントのボディは先に説明したとおりFRPであり、それが段ボールに変更されたという事実はない。
このウワサには、東西自由化直前の東側経済は冷え切っていて、ボディ素材の調達にも苦労していたのではないか? と西側の人に思われていたという悲しい背景があった。
●西側とのあまりの違いにみんな困惑
旧西ドイツは自動車産業が盛んで、それは現在にも続いている。
そして東西自由化によるドイツの統合後は、当時最新の西ドイツ車と、30年以上その姿を変えていないトラバントが同じ道を走ることになった。
当然クルマの見た目や性能は圧倒的に旧西側が進んでいて、トラバントに乗って旧東側からやってきた人々はその違いに大いに驚かされたという。
こうして東側で圧倒的なシェアを誇ったトラバントの時代はいきなり終わりを迎えることになる。
東西ドイツ統一後もトラバントの生産は続けられたものの、安価で高性能な西側の中古車が東側に大量流入したこともあり、競争力の劣るトラバントは、1991年にその歴史に幕を閉じた。
■トラバント以外にも個性派揃い。東欧の変わったクルマたち
見た目のインパクトでいえば歴史上に登場したクルマのなかでもかなり上位に位置するタトラ T603。チェコでは高級車で、所有できる人は限られていたとか
●タトラ T603(チェコ)
1956年にチェコ(当時はチェコスロバキア)の自動車メーカー・タトラから発売された高級車がT603。
T603は造形の特異さが際立つが、特にヘッドライトの配置は独特であり、一度見ると忘れられない印象を残す。
車種としての寿命は長く、1956年から1975年まで製造されていた。
●ラーダ 2101(ロシア)
ソビエト連邦で1970~1988年に150万台以上が作られたという同国を代表する4ドアセダン。
製造はアフトヴァース(現ラーダ)だが、イタリア・フィアット 124のライセンス生産車であり、外見は124によく似ている。
しかし、国内の道路事情を考慮してエンジンはフィアット製からNAMI製になり、フレームを強化するとともにサスペンションのセッティングも見直されている。
●ザポロージェッツ ZAZ-965A(ウクライナ)
ウクライナがソビエト連邦の一員だった1960年に製造されたクルマがZAZ-965で、965Aはその改良版。
イタリアのフィアット 600を模倣したモデルであるが、車体とエンジンはすべて自社製であり、887ccのV4エンジンが搭載されていた。
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そして2022年、ロシアはウクライナへの全面侵攻を開始。
ウクライナは これに対抗し、比喩でなしに 機体のボディが段ボール紙製、その紙製ボディにワックスを浸透させて補強して造られ レシプロエンジンで飛行する、1機/数十万円程度という紙製の攻撃用自爆型無人機の供与を受け、これを使用し ロシア領内の空軍基地を攻撃し、ロシア軍の 数十億円は下らないと思われる戦闘攻撃機などの破壊にも成功している、とのこと。
この段ボール製ボディの亜音速・攻撃用ドローンの接近を、ロシア空軍は結果的に阻止する事ができず、その低価格の兵器によって 数十億円以上はする戦闘攻撃機と空軍の施設にも損害を受けたとされている。
まるでウソのようなホントの噺。
見た目も、子供が描いた車の画をそんまんまデザインして作ったような・・・