源流をたどると、R31スカイラインGTS-Rに行き着く
時代が求めたスマートなチューニングを実践!
「80’s Tuning Memoirs/マインズ代表・新倉通蔵」CPチューンの先駆けとなったVX-ROM誕生秘話【チューナー列伝】
デモカーとして2台のGTS-Rを仕様違いで擁し、谷田部最高速テストに没頭していた1980年代後半。のちにマインズを代表するパーツとなる純正書き替えECU、『VX-ROM』はGTS-Rとともに谷田部で鍛え上げられた。30年前、新倉氏はすでに“来たるべき時代”を見据えていたのだ。
今でこそごく当たり前のメニューとなったCPチューン。見方を変えれば、電子制御が複雑化する中でさらに重要度を増し、クルマをイジる上で避けては通れない大きな砦と言った方が正しいかもしれない。
そんなCPチューンをいち早く手がけたのがマインズ代表の新倉氏。スカイラインで言うとR30の時代にECUの解析を始め、R31でのちに続くVX-ROMの商品化にこぎつけたのである。
1980年代半ば、燃料供給装置がキャブからインジェクションへ、点火装置も機械的なディストリビューターからイグニッションコイルへと切り替わるなど、エンジンの制御方法は大きな転換期を迎えていた。
しかし、当時はCPチューンという概念そのものがなく、純正ECUはブラックボックスとして扱われていたのだ。
「その頃、パワーアップを図る際にクリアしなければならなかったのは、ブースト圧が設定値を超えると介入してくる燃料カット。それを解除するには疑似信号でごまかすフューエルハッカーを使うのが一般的だった。ところがR31の時代、ホットワイヤ式エアフロが採用されたエンジンにフューエルハッカーを使うと、点火時期がうまくいかなくなるという問題が出てきてね。それを解消してパーフェクトにやるなら、純正ECUをイジるしかないと思ったんだ」と、新倉氏はCPチューンを手がけるようになったきっかけを語る。
当時、マインズが所有していたデモカーは、グループAホモロゲモデルとして800台(実際はそれ以上と言われる)限定モデルのR31GTS-R。それもブーストアップ仕様と、最終的に排気量を2.2Lまで拡大し、IHI製RHC6を装着することになるフルタービン仕様の2台体制だった。どちらも外装はノーマル。純粋にエンジンチューンだけで何km/h出るか? それを試すため足繁く谷田部に通い、そこがVX-ROMを開発する主たる場となっていくのである。
「純正ECUを完全解析して、メーカーがコントロールしているのと同じことをやろうと決めたんだ。だから、朝から晩までひたすらデータを見てたね。0から3FFFまでが並んだ16進法のマップ。今思えば、最新ECUに対して48分の1ほどの容量しかなかったけど、おかげでGTS-Rのアドレスに関してはどこになにがあるか、何も見なくてもすべてわかるようになったんだ」
ROMデータの変更によって燃料カットを解除し、オーバーブースト時やインジェクターを大容量化した際の燃調、点火時期についてはリミッターカットの他、マップ領域の拡大およびリセッティングを実施。また、レブリミッターはCPチューンで外す必要があるが、スピードリミッターは後付けの電子パーツで疑似信号を入れても特に問題はないなど、新倉氏はトライ&エラーを繰り返しながらCPチューンへの理解を深め、知識を蓄えていった。
同時に経験値やセンスに加え、チューナーにはデータ解析力も求められるようになった。新倉氏が先鞭をつけたCPチューンがチューニング業界に大きな一石を投じたことは間違いない。
「それまでチューニングには常に油臭いイメージが付きまとっていた。汚れたツナギを着て、手を真っ黒にしてエンジンをイジるみたいな。もちろん、それも今に続くチューニングの一面ではあるけど、ボクはもっとスマートなチューニングを目指していたんだ。CPチューンが、まさにそれ。普通に街乗りできて、でもアクセルを踏み込めばとんでもなく速い。それまでのチューニングでは考えられなかったことが、CPチューンによって可能になったわけだね」
VX-ROMの開発を兼ねたGTS-Rでの谷田部最高速アタックは1988~89年のこと。ブースト圧やマフラー、CPセッティングを変えては週イチペースで通っていた。ROMをソケット式にして、セッティングが異なる数種類のROMを用意。現場で差し替えては最高速を含めた各種データを収集した。マインズではこの頃、すでに堀場製作所の空燃比計を使ってCPセッティングを行ない、谷田部では無線を使ってアタック中の車両情報を確認できるテレメトリーシステムまで導入していたというから驚きである。
当時のOPTION誌の最高速ランキングによると、ブーストアップ仕様で266.67km/hを記録。ノーマルが228.65km/hだから、吸排気+CPチューンだけで約40km/hもアップしたことになる。一方、もう1台のデモカーである2.2L+RHC6仕様は292.00km/hをマークした。
「ブーストアップ仕様は1.4~1.5kg/cm2くらい。純正のTO4EだからA/Rもおとなしいタイプだったけど、強烈な加速感と上での伸びはよく覚えてるよ。ギャレット製タービンの勉強にもなったし。2.2L仕様の方はOPTIONで連載企画をやってたHKSのGTS-Rがライバルだったな。最初は勝ったり負けたりしてたけど、そのうち向こうは2.4LにTO4Sで300km/h以上出してた。ウチのも最終的にはブーストを1.8kg/cm2かけたけど300km/hには届かなかったんだ。排気量の差があるにせよ、悔しかったね」
新倉氏には谷田部で忘れられない光景がある。270~280km/hでバンクを出てストレートに入ってきたGTS-Rは、明らかにフロントが浮き気味だったということ。前後に純正スポイラーを装着していたが、リヤのダウンフォースが効きすぎていたのである。これも外装ノーマルにこだわっていたからこそわかった空力面の事実と言える。
マインズのデモカーが谷田部で好記録を出したことで、800台の限定モデルだったが、GTS-R用VX-ROMはよく売れた。朝、新倉氏が店に行くとGTS-Rばかり15台ほど並んでいることもあったという。“スカイラインのマインズ”と呼ばれるようになったのはこの時からである。
VX-ROMが一気に広まったのはBNR32時代だが、それはR31で盤石にした下地があったからこそ。マインズの歴史をたどっていくと、GTS-Rに行き着くのである。
●取材協力:マインズ TEL:046-857-3313
PHOTO:小林克好(Katsuyoshi KOBAYASHI)/TEXT:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)
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