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「津波で流された車にまた乗りたい」 トヨタセールスマンが被災地で見た人とクルマの絆 #あれから私は

 2011年3月11日14時46分、未曽有の災害と言われた東日本大震災が発生する。

 人々の生活を大きく変えた震災は、被災した人とクルマのつながりをも、大きく変えてしまった。宮城県に居住し、トヨタのディーラーマンとして被災地で新車を売り続けた経験もある筆者が、震災から10年の節目に、東日本大震災の経験を振り返る。

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文/佐々木亘 写真/TOYOTA、佐々木亘

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想像がつかなかった津波の恐ろしさ

震災から10年。写真は津波が遡上して大きな被害を出した名取川を海のほうへ向かって撮影したもの。現在は堤防を高くする工事が行われいる(2021年3月筆者撮影)

 私は宮城県に生まれ、幼少期から現在まで宮城で育った。東日本大震災で津波の被害に遭った地域には、生まれ故郷もあり、被災地には何度も足を運び、微力ながら復興のお手伝いをさせてもらっている。

 2011年3月、筆者は当時、銀行に勤務していた。仙台市中心部にある銀行の支店で、15時の閉店へ向けて準備をしている最中、ガタガタと音を立てて地面が揺れ始める。途端に立っていられないほどの強い揺れを感じた。

 何度も何度も波のように押し寄せる大きな地震、窓ガラスが割れ、ビルは今にも倒壊しそうだった。

 あっという間に地震発生から1時間余りが経過する。ラジオで情報を取っていた同僚から発せられた言葉の意味を、私はよく理解できなかった。「仙台空港が海のようになっている」この時、東北地方の沿岸部を大津波が襲っていたのである。

 私は翌日に、愛車のカーナビを新しくする予定を組んでいた。当時お付き合いしていた、お店は宮城県多賀城市にある。多賀城市に到達した津波は4m以上で、お店は丸ごと使えなくなり、もちろん取り付け予定のナビも津波に流された。

 仮設店舗で、ナビを実際に交換できたのは、その年の夏から秋にかけてだったと記憶している。

流されたクルマに「また乗りたい」

震災発生から1年後。筆者がディーラーマンとして仕事を始めたばかりだった時にやってきたユーザーが“以前”乗っていたのが、写真のアイシスだったという(同車は2017年に生産を終了)

 翌年から、私はトヨタ販売店で仕事を始める。地震発生から丸一年が経過しても、津波の被害を受けた被災地にとって、復興とは名ばかりの状態だった。

 ある日、受付スタッフから「お客様が来た」と呼ばれる(このお客様を仮にAさんとする)。当時、新人営業マンの私は、転勤や定年退職で担当が不在となったスタッフから管理顧客を引き継ぎ、販売活動を行っていた。引き継ぎ客のAさんと私は初対面だ。

 前任担当が異動になった旨を伝え挨拶し、Aさんと話をした。顧客情報を調べると、Aさんの保有車両はトヨタ アイシス。メモ欄には「津波で被災し、アイシスは廃車になった」と書かれていた。

 震災当日、Aさんはクルマで沿岸部へ仕事に出ていた。大きな揺れの後、大津波警報が発令され、近くの鉄筋コンクリートのビルへ避難し、そこを大津波が襲ったのだという。

 その時、Aさんのアイシスは津波に流され、行方が分からなくなった。クルマを見つけたのは1か月後、その姿は変わり果てたものだったという。

 アイシスを発見したときのことをAさんはこう語る。「周囲のクルマは大きく潰れ、原形をとどめていないものばかりだったのに、アイシスはクルマの形が残っていたから、すぐにわかった」と言うのだ。

 私も地震から1週間あまりで津波被災の現地に何度も入った。いたるところに、変形したクルマが何台も転がっていたのを覚えている。その多くは、何の車種だったのかわからないくらい、損傷が激しいものだった。

 しかし、特徴的なBピラーをもつアイシスは、すぐに車種の判別がついた。一見すると助手席側にBピラーが存在せず、衝撃に弱く見えるデザインだが、アイシスのキャビンスペースは変形せずに残っていることが多かった。潰れたクルマが多いなか、アイシスは一目で見分けることができたのだ。

 被災後、Aさんは、とりあえずの移動手段として、中古のセダンを購入した。しかし、地震から1年半近くが経過した今、またあの頃のアイシスに乗りたいと、相談しに来てくれたのだ。

 新車での購入は難しいので、中古車を探してほしいという。あの頃と、できるだけ同じクルマに家族と乗りたいと伝えられ、私もその想いに心打たれた。

 流されてしまったアイシスの特徴を詳しく伺い、ボディカラーはブラック、グレードはプラタナで、私とAさんのアイシス探しが始まった。

「愛車の面影を求めて」全国から探した想い出のアイシス

後に転身したレクサスセールスマン時代、納車式での筆者(=写真右端)。震災当時の写真は手元にない。その理由を「当時、被災地ではシャッターを切ることができなかったのだと思います」と語る

 震災後、新車も中古車も供給不足だったが、1年半が経過した当時も、中古車の在庫はそれほど多くなかった。アイシスは店頭在庫が1台しかなく、その1台も条件に合うものではない。

 そこで、宮城県外のトヨタ販売店にあるアイシスを探した。条件に合うアイシスを、Aさんとパソコンの画面を見ながら1時間以上探した。すると、当時の面影が残るアイシスを発見する。九州の販売店にある在庫車だった。

 県外から取り寄せる中古車は、自社在庫と違い、値引きができない。現車確認もパソコンの画面上だけで、輸送費なども別途必要となる。

 Aさんにとって負担が増える旨を伝えると、Aさんは「かまわないよ、一緒にここまで探してくれてありがとう」笑顔で答えてくれた。クルマの存在が、人の生活の中で、単なる移動手段以上に、大きな役割を果たしていることを、私はこの時ほど大きく感じたことはない。

 契約から1か月後、納車の日。奥様とお子様二人、家族4人で来店されたAさん。九州からやってきたアイシスとは、この日が初対面だ。

 さっそく、アイシスと対面してもらう。お子様二人は「アイシスだ」と嬉しそうにクルマに駆け寄る、Aさんは柔らかな表情で、アイシスを見つめていた。また、この家族のもとでアイシスが活躍してくれる姿が想像でき、私も嬉しくなった。

 このクルマを探し、販売できたことで、Aさんとアイシスが再スタートを切る。このアイシスも、またAさん家族と共に、多くの想い出を作ってくれることだろう。

名取市にある東日本大震災慰霊碑(2021年3月筆者撮影)

 東日本大震災で被災したクルマは岩手、宮城、福島の3県で少なくとも24万台にのぼる。

 一瞬にしてその思いを奪い去っていく地震と津波。

 被災地で見つけた泥まみれでボロボロになり横たわったクルマたち、その一つ一つに、オーナーとの楽しい思い出があったはずだ。

 震災から10年という節目を迎える。私は改めて、人とクルマが強い絆で結ばれていることを感じた。クルマを通じて人々が笑顔になり、被災地に元気を与える姿を、私はこれからも数多く見ていきたい。

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