念願の北米マーケットへの再参入を果たした新生マセラティ。モンテゼーモロは次なる新プロジェクトとして、伝統的ラインナップの4ドアサルーンであるクアトロポルテを選んだ。フェラーリ傘下で初のゼロから開発を進めるモデルとなった5代目クアトロポルテ、そのコンセプト決定に至る道のりを追う。
生産量が伸び悩んだフェラーリ傘下の新生マセラティ
次に乗り替えるなら、この1台かな──20代のクルマ好きが熱弁!【神谷優太編】
マセラティ 3200GTをベースにF430と起源を同じくするフェラーリ製エンジンを搭載したマセラティ スパイダー&クーペが登場したのは今から20年前のことであった。マセラティのマネージメントを任されたモンテゼーモロのプラン通り、念願の北米マーケットへの再参入となった重要なモデルでもある。久方ぶりに北米市場へと登場したマセラティのニューモデルは、熱心なマセラティファンから好意的に受け止められ、セールスも悪くなかった。北米は古くからマセラティにとって最大のマーケットであり、その顧客層の厚さは圧倒的であったのだ。
しかし、モンテゼーモロはそれに満足している訳ではなかった。フィアットグループを牛耳るアニエッリ家から彼に命ぜられたマセラティ再建の目標は遙かに高いものであり、多額の投資が続いているマセラティの収支を黒字転換することが急務だったのだ。北米市場の動きを見ても解るように、マセラティにはロイヤリティの高いカスタマーが一定数存在することは確かであった。しかし、2001年の年間生産台数は2000台に満たないものであり、車両価格帯も高額なフェラーリの半分にも満たなかった。マセラティが目指したのは、少なくとも年間1万台クラスであったのだ。
モンテゼーモロの戦略とクアトロポルテ・プロジェクトの誕生
そこで、モンテゼーモロは伝統的なマセラティオーナーに加えて、いかに従来のフェラーリオーナーを取り込むかを重要なテーマとした。フェラーリが週末のためのファンカーであるなら、マセラティはディリーユースに耐えうる実用性を兼ね備えたエレガントなスポーティモデルであるべき、と定義した。そうすれば、お互いが競合することなくマーケットを拡大できる。
マセラティの伝統的ラインナップは初代ギブリをはじめとする2ドアモデル、そしてインディなどリアシートの居住性も重視した2ドアの2+2モデル。そしてそれら2ドアモデル由来のハイパワーエンジンが搭載された4ドアサルーンのクアトロポルテという3つの柱から成り立っていた。その中で、モンテゼーモロは次なるマセラティの新プロジェクトとしてクアトロポルテを選んだ。
クアトロポルテはオルシ家時代の1963年に初代が誕生したラグジュアリー・ハイパフォーマンスサルーンだ。ピエトロ・フルアの筆によるスタイリッシュなボディに5000GT譲りのV8エンジンを搭載したモデルで、200km/hを超える高速巡航をも可能とするユニークなモデルであった。超高級サルーンカテゴリーは当時、メルセデスやロールス・ロイスのフラッグシップが圧倒的な存在感を持って君臨しており、アストンマーティンなど幾つかのスポーツカーブランドが参入に挑戦したものの、なかなか成果をあげることが出来なかった。そんな中でマセラティのレースヘリテージを売りにしたこのクアトロポルテは、高い人気を博した、数少ない成功例であった。ちなみにクアトロポルテとはイタリア語で「4ドア」を意味する
マセラティのヒストリーの中で、ユニークな存在であるこのクアトロポルテに、モンテゼーモロが注目したのは理にかなっていた。フェラーリのスポーティなイメージを活かした4ドアモデルであるなら、フェラーリのラインナップと競合することなく、フェラーリオーナーもファミリーカーとして活用しやすい。
フェラーリの4ドアサルーン?
なにより、フェラーリブランドに4ドアモデルはあってはならぬ存在であるという“家訓”もクアトロポルテ導入への大義名分となった。1980年ジュネーブショーに登場したピニンファリーナからの提案である4ドアサルーン、ピニンファリーナ(フェラーリ) ピニンは、当時、市場から好意的に評価されたものの、最終的にエンツォはその提案を受け入れることはなく、市販モデルとして日の目を見ることはなかった。しかし、このピニンにフェラーリバッジが付いていることで分かるように、フェラーリはこの4ドア・フェラーリの開発にアプルーバルを与えていた。モンテゼーモロ自身がこのプロジェクトへの積極的なバックアップを行ったという証言も残されているから、彼の頭の中には“フェラーリの作る4ドアモデル”というアイデアがインプットされていたことは間違いない。
このピニンが市販モデルとならなかったのは、フェラーリとしてのポリシーもあったが、フェラーリには高級サルーンの開発・製造に関するノウハウが不足しているという客観的判断もあったようだ。この判断は至極、合理的なものであると筆者も考える。2ドアモデルと4ドアモデルの間には、単なるドアの数という物理的な違い以上に、大きなフィロソフィーの違いが存在することも確かである。
クアトロポルテのヒストリー
クアトロポルテは前述の初代モデルに続いてシトロエン傘下時代の最後期にシトロエンSMをベースとした2代目の開発が行われた。ベルトーネに属していたガンディーニのデザインによるFFモデルだ。しかし、1975年にシトロエンの経営破綻をきっかけとする騒動により、アレッサンドロ・デ・トマソがマセラティの経営を握ったことで、プロジェクトは消滅してしまった。
そして、1979年になるとイタルデザインを率いるジウジアーロのデザインによるクアトロポルテIII(後にロイヤルと命名)がデビュー。イタリア大統領の公用車に採用されるなどエクスクルーシブなイメージを強めた。続いて1994年にはビトゥルボ系のコンパクトなシャシーをベースとしてクアトロポルテIVが誕生した。スタイリングはガンディーニが担当した。歴代モデルと比較すると全長も4.5mと短く、ショーファードリブンカーというより、純粋なドライバーズカーのカテゴリーに入るものであった。ちなみにこの4代目は北米への輸出は行われていない。
次期クアトロポルテのコンセプトは?
フェラーリ傘下となってはじめてゼロから開発を進めるモデルが5代目クアトロポルテであった。開発もフェラーリのリソースを最大限に活用することになった。しかし、フェラーリにはサルーンの開発経験もなければマーケティングの経験もなかった。しかもフェラーリの各モデルのような少量生産ではなく、製造コストが重要な意味を持つ中規模の量産計画だったから、開発はますますハードルの高いものとなった。
北米マーケットが求めるボディサイズに鑑みるなら、クアトロポルテIIIクラスの大きさが要求されるであろう。とすれば次期モデルは先代のクアトロポルテIVとは大きく異なった車格となる。しかし、ヨーロッパのマーケットも考えたよりコンパクトなモデルを目指すべきであると言う考え方も根強くあり、その両者のせめぎ合いが当初は続いた。
「最初のプランではボディサイズはかなりコンパクトなものでした。ホイールベースは2500~2700mm程度で、BMW M5あたりをターゲットとしたものです。高剛性と軽量を両立したモノコックボディの設計をどうするか大いに悩みました。ランチア テージスのシャシーをベースにする案があったのも覚えていますよ」と、当時、フェラーリからマセラティに移籍してエンジニアリング開発を担当したチェザレッティは証言する。
前述した早期の経済的自立が目標にあったから、何もないところからのスタートなのだし、とのんびり構える訳にもいかなかった。しかし、次世代クアトロポルテのコンセプトは、このようになかなか決まらなかったようだ。(続く)
文・越湖信一 編集・iconic Photo & Text Shinichi Ekko EKKO PROJECT Special Thanks: Maserati S.p.A.
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