「レース界のレジェンド、高橋国光さん(82)逝く」……こんな訃報が届いてから、まだ数日しか経っていない。サーキットではもちろん、コース外でも度々お会いする機会があっただけに、悲しい思いである。
高橋国光さんの輝かしい戦績は枚挙にいとまがない。1958年から二輪のレース活動を始め、1961年は二輪、四輪を含めて日本人初の世界選手権優勝を果たした。マン島での活躍も語り継がれている。
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1965年に四輪へ転向してからも活躍は続いた。1971年にはF1日本グランプリに出場。1995年はル・マン24時間でも優勝など、国内外を問わず、幅広く活躍した。
特徴的なのは、1965年に四輪へ転向したというのに、その後もずっとバイクでの活躍が伝え続けられてきたことだ。幼い丁稚小僧のような、優しい笑顔の青年がホンダのバイクにまたがり、世界の猛者を蹴散らしたのだから、それは語り継がれるのも道理だが、転向後の活躍も輝かしいにもかかわらず、“バイクの高橋国光”が色彩を失わないのである。
二輪から四輪に戦いの場を移したドライバーは少なくない。昭和のモータースポーツ黎明期では、すでにモータースポーツとして成立していた二輪で輝いた有能な才能を、ようやくスタートした四輪が求めたからである。クルマのレースは無かったから、バイクで速いライダーを集めよう、だったのだ。
高橋国光さんはホンダのライダーだったから、その後ホンダが四輪レースへ進出する際に移行するのも道理である。都平健二、星野一義、長谷見昌弘……四輪で活躍したレジェンドレーサーは、こぞって二輪上がりである。
それにしても高橋国光さんが際立っていたのは、その人格だった。雲の上の存在であるにもかかわらず、誰もが「国さん」と親しげに呼ぶ。そして嫌な顔を全くせず接してくれる。
そんな故人のことを悪くいう人は世界中どこにもいなかった。一度も耳にしたことがない。その柔和な表情が物語るように、じつに温厚な人柄だった。
世界の猛者と戦うのだから、驚くほどの闘争心が備わっている。死と隣り合わせの限界ギリギリでライバルと競うのだから、心の中では牙をむいていたと想像する。だとすれば、表情や仕草のどこかにポロリと狂気が滲み出てしまうはずなのだが、高橋国光さんからは一滴の狂気も感じられなかった。
「キノシタくん、ドイツで頑張っているねぇ。活躍を期待していますよ」
はるかに離れた後輩の僕(筆者:木下隆之)などにも敬語で、ポンと肩を叩いて激励してくれるような人だった。
狂気でもなく牙を剥くこともない。だが走ったら速かった。天才とは高橋国光さんのことなのかもしれないと思う。
ご冥福をお祈りします。
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