ずいぶん昔のことになるが、故徳大寺有恒氏がポルシェに関し、こういった表現を用いていたことを記憶している。
「ポルシェというクルマは、そこへ行きたいと思ったときには、もうそこにいるクルマだ」。
なにか雑誌での評論だったのか、エッセイだったのか、書籍の中においてであったのか、残念ながらボクの記憶は定かではない。
それでもボクがその言葉を覚えているのは、その意味を「考えさせられた」からだ。当時、ボクはポルシェに乗っていなかったし、まさか自分がポルシェに乗ることになろうとは考えもしないほどの赤貧状態にあった。
そして、「そこへ行こう」と思ったと同時に「そこにいる」ことは物理的に不可能であり、それはなにかの比喩なのだろうと考えた。たとえばポルシェの優れた加速か何かを表現するためのものであろう、と。
自分がポルシェに乗ることになって、はじめてその意味が理解できることに
その後、ボクは幸いなことにポルシェを所有できる身分になった。ひとことで言うと「ポルシェは楽しいクルマ」だ。
たとえば高速道路を走っていて、自分が思い描いたラインの通りに走ることができる。右車線に出てホンダ・オデッセイを抜く。そしてもとの車線に戻ってフォルクスワーゲン・ゴルフを追い抜いてからその前に出る。
「走る、曲がる、止まる」ということにおいて、これほど操作に対して忠実な挙動を示すクルマをボクは他に知らない(ボクは年間で50台ほどを試乗している)。
アクセルペダルを踏めば踏んだだけ加速し、ステアリングホイールを切れば切っただけ曲がり、ブレーキペダルを踏めば踏んだだけ速度が落ちる。
ほとんどのクルマは、アクセルペダルを踏んでも思うように加速しない。期待したようなスピードを出せなかったり、加速するまでのタイムラグがあったり(ターボラグだったりエンジン回転数が上がるのを待ったり)、もしくは思ったよりも急激に加速したりする。
ハンドリングについても同じだ。ステアリングホイールを回す角度に対して曲がりすぎたり、もしくは曲がらなかったり…。そのたびにボクは修正舵をあてることになる。
ブレーキはこの中では最も顕著な例だと言っていい。多くのクルマは一定の速度を超えると思ったような制動力を発揮できない。しかも、つんのめるように車体が前に傾いているのに、だ。
ポルシェは、「走る、曲がる、止まる」という普通のことが普通にできる数少ないクルマのひとつであり、それはあまりに「普通すぎて」気づかないことが多い。だから、多くの人ははじめてポルシェを運転すると、「なんだ、普通のクルマじゃないか」と言う。
だが、ポルシェでひとしきり走り、その後に自分のクルマに乗り換えて同じ道を、同じように走ってみるといい。そのとき、きっとこう感じるはずだ。自分のクルマがなぜか思うように加速しないし、思ったとおりに曲がらないし、思ったように止まらない、と。
そのときはじめてボクらは「ポルシェは凄さを気づかせないほど凄いクルマだったんだ」と認識するはずだ。
ポルシェは行きたいところへどこでも行ける
それでも、ボクはポルシェを自分のものとして所有したときも、まだ「ポルシェというクルマは、そこへ行きたいと思ったときには、もうそこにいるクルマだ」という意味がわからなかった。
ただ楽しいクルマだということはわかったが、あまりに挙動が自然すぎたからだ。
だが、ポルシェを降りた今、かつてポルシェで走ったのと同じ道を走っていて思うことがある。
「ポルシェだったら、あのクルマとあのクルマとの間に滑り込めるのに」。
ポルシェのリニアな加速、正確なステアリングをもってすれば、どんなところにだって(ほかのクルマに迷惑をかけずに)入ることができる。
車線変更をしようとウインカーを出しても加速ができず、後ろのクルマをイライラさせることだってない。先行するクルマにも、後ろを行くクルマにもストレスや不安を与えずに、すっと移動することができる。
そのとき、ボクはようやく気づいた。ポルシェを運転しているときは自然すぎて気づかなかったが、まるで自分の体と同じようにクルマが動く。人は、自分の足で道を歩く時、ほとんど意識せずに(自分の足の速さや方向転換の速度、立ち止まる距離を考えず)動いているはずだ。その無意識と同じような感覚がポルシェにはある。
そして、意識しなくともそこへ行けるという意味において、「ポルシェというクルマは、そこへ行きたいと思ったときには、もうそこにいるクルマだ」ということにようやくボクの理解が及ぶことになった。これはけしてポルシェの「加速」を指した比喩的表現ではなく、ポルシェというクルマそのものを端的に示している。
そして、ポルシェを「着る」という表現もよく知られているが、自分の体にぴったりとフィットし意識すること無く動けるクルマ、それがポルシェだ。
[ライター・撮影/JUN MASUDA]
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