30馬力程度でもスピード感は半端ない
日が暮れて、文章をまとめる手を休める。今回ばかりは思い出し笑いが止まらない。小さなイタリア車を人影の少ない郊外の道で飛ばしたら、素晴らしい印象を残さないわけがない。モータースポーツを強く意識したモデルなら、なおのこと。
【画像】楽しさが凝縮 ジャンニーニ500 TV アバルト695 SS EVの500と最新アバルトも 全91枚
路面へ吸い付くように、流暢に駆け抜けるアバルト695 SS。運転している側としては、そんな実感は余り湧かない。それでも、明らかにベースのフィアット500とはかけ離れた走りで、神経質さは微塵もなかった。
それを追うように、同じくらい小さなジャンニーニ500 TVがカーブへ突っ込んでいく。タイミングと勢いが重要。1度ペースが狂うと、もとに戻るまで短くない時間が掛かる。気遣いも必要になる。
何しろ、ドライバーの後方から放たれるのは30馬力程度しかない。それでもスピード感は半端ない。
タイトコーナーでも、見通しが良ければ殆ど減速する必要はなし。右足をバルクヘッドめがけて踏ん張ったまま、シャープに旋回していく。得もいわれぬ無敵感を抱ける。
丸くて小さな2台のハッチバックは、かつてのイタリアで激しい火花を散らした。一方は国内のアフターマーケット・チューニング市場を席巻し、代表するブランドの1つに登りつめた。もう一方は、その最大のライバルだった。
とはいえ、アバルトは1958年からフィアットと公式に手を結んでいた。ジャンニーニにとっては、少々形勢は不利だった。
戦いへ勝つためのチューニングパーツ
オーストリアに生まれたカルロ・アバルト氏は、自らを表現するマークとしてサソリを選んだ。戦争が終わり、欧州が瓦礫の山から復興に向けて立ち上がった1945年、オートバイレーサーは現役を退いていた。だが、技術者としての才能は揺るがなかった。
サッカー選手でもあったピエロ・デュシオ氏のために、グランプリマシンの制作に招聘されたが、計画はうまく進まずカルロは早々に辞退。自己中心的でもあった彼は、自らのビジネスをスタートさせた。
カルロが何より愛したのが、モータースポーツ。北部のトリノにアバルト&C社を立ち上げ、フィアットやフランスのシムカのために、特別なエグゾーストやマニフォールドなどのチューニングパーツを作り始めた。戦いへ勝つために。
彼は、マーケティングやプロモーションといった販売戦略の重要性を理解していた。ビジネスマンとしての手腕に長けていた。フィアットと直接的に契約を結び、ライバルの追従を許さなかった。
フィアットでレースに勝つ度に、アバルト&Cへ報奨金が支払われた。ベースとなったマシンにはイタリア市民の足、ヌォーヴァ500(2代目500)も含まれていた。
アバルト&Cは1957年の発売当初から、ヌォーヴァ500へチューニングを施していた。最初に提供されたメニューは、479cc空冷直列2気筒エンジンの最高出力、7psを21psへ引き上げる内容だった。
アバルトをライバル視したジャンニーニ
アバルト・チューニングのヌォーヴァ500は、イタリア・モンツァ・サーキットへ姿を現すと、標準モデルとの能力の違いを広くアピールした。意欲的な走りで。
1963年9月には、マイナーチェンジを受けたヌォーヴァ500 Dをベースとした独自モデル、アバルト595を発売。エンジンのストロークは変えず、ボアアップすることで排気量は499ccから593ccへ拡大されていた。
キャブレターはシングル・ウェーバーが標準だったが、ソレックスへ変更。圧縮比が高められ、シリンダーヘッドにも手が入り、最高速度120km/hを実現させた。
半年後の1964年には、さらにチューニングを加え最高出力33ps/5000rpmを達成した595 SSを投入。続いて695 SSとハードコアなアセットコルサも追加され、こちらは690ccから38ps/4900rpmを獲得している。
他方、イタリア中部のローマでアバルト&Cをライバル視していたのが、ジャンニーニ・アウトモビリ。事業が軌道に乗るまで苦労と時間を要し、結果的に海外へ知れ渡ることもなかったが。
小さなチューニングブランドの起源は、1920年代に遡る。ドメニコとアッティリオというジャンニーニ兄弟がローマ北東部のヴィコロ・デッラ・フォンターナ地区に、小さなガレージをオープンさせたのが始まりだった。
自らのための速いクルマを求めた2人は、1940年代後半に高性能な750ccユニットで幾つかの勝利を掴んだ。ミッレ・ミリアではクラス優勝を果たし、専用エンジンの受注へと繋がった。
1950年代に入るとイタリア経済は復調。兄弟のビジネスも順調に成長を果たした。
排気量は499ccのままながら25psを達成
事業拡大の一環として、フィアット・ディーラーも営むようになるが、兄弟の関係性は悪化。アッティリオは息子2人ともに、CMG(コストルツィオーニ・メカニケ・ジャンニーニ)社を設立。ローマ郊外に転居し、新たなガレージを開いた。
一方のドメニコと息子のフランコは、1961年にローマでジャンニーニ・アウトモビリ社を創業。フィアットの量産モデルを販売しながら、アバルトのビジネス展開をなぞろうとした。ところが、専用パーツを製造する設備がなかった。
そこで依頼を受けたのが、独立したCMG社。多くのフィアットと同様に、ヌォーヴァ500もジャンニーニ兄弟の対象になった。
1963年に投入された500 TVでは、排気量は499ccのままながら、ポート加工したヘッドに専用ハイカム、大きなアルミニウム製オイルサンプ、点火タイミングを最適化したディストリビュータ、大型キャブレターなどを採用。5200rpmで25psを叶えた。
続く人気モデルとなったのが、ジャンニーニ590 コルサ。排気量を増やし33psまで高め、アバルトへ立ち向かった。だがライバルとは異なり、視覚的な変化は限定的だった。
1970年代に入ると兄弟はブランドの方向性に悩み、1973年に実業家で株主のヴォルファンゴ・ポルヴェレッリ氏が買収。フィアット・ベースの事業は1987年まで続けられたが、主な仕事は市営バスのメンテナンスへ変わってしまう。
GMC社の専用パーツ製作は、1971年に終了していた。現在のジャンニーニ・アウトモビリ社はカロッツエリアとして政府車両を手掛けつつ、フィアットのアフターサービスへ関わっている。
この続きは後編にて。
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ちょっと「いいな〜」じゃ買えない車ばかりだよ