コレクションを締めくくる究極の1台
フォードGT40やACコブラ、ポルシェ356などのオーナーは、イベントの度に本物なのか尋ねられることへ、慣れているのだろうか。もしかすると、ウンザリされていらっしゃるかも。
【画像】911の貴重な出発点 ポルシェ356 エレクトロモッド版と最新の992型も 全116枚
今日の撮影でも、「素晴らしいクルマですね! ご自身で作られたんですか?」。と通りすがりの人から質問された。もちろん、筆者はこんなに美しいクルマを仕上げることはできない。
そもそも、このポルシェ356/2は、FRPボディをフォルクスワーゲンに被せたような、レプリカとは別次元の趣きを漂わせている。英国に存在する、最古のポルシェなのだ。
製造された場所は、現在の同社が拠点とする、ドイツ・シュツットガルトではない。第二次大戦で疎開していた、オーストリア東北部のグミュント。32番目にラインオフした、超希少な356に当たる。
現在のオーナーは、英国に拠点を置くカーディーラー、DKエンジニアリング社。そのジェームズ・コッティンガム氏は、シリアスなポルシェ・マニアにとっての「ブックエンド」、コレクションを締めくくる究極の1台になるだろうと話す。
この個体は、オリジナル度が極めて高い。歴代のオーナーは、自身の他の356を仕上げる際の参考資料にしてきたとか。約40年前にボディの外側は再塗装を受けているが、車内側は約80年前のままだ。
歴史的な重要性も加味され、32番目の356/2の価値は、約270万ポンド(約5億1840万円)に達すると見込まれている。多くの部品がフォルクスワーゲンから流用されているが、その金額には驚かずにいられない。
若くから有能な技術者として頭角を現していた
ポルシェ家とポルシェ356は、フォルクスワーゲンの歴史と密接な関わりがある。オーストリア・ハンガリー帝国で1875年に生まれたフェルディナント・ポルシェ氏は、若くから有能な技術者として頭角を現していた。影響力も小さくなかった。
同帝国のエスターライヒ・エステ大公と一緒にドライブを楽しむ様子が、1902年の写真に残されている。1910年には、自ら製作したクルマでレースへ挑み始めた。
1914年になると、彼が設計した100馬力の軍用トラクター「フンデルター」をドイツ軍が採用。1920年にはダイムラー・ベンツ(現メルセデス・ベンツ)の技術部長へ就任し、SSとSSKというスポーツカーを開発した。
フェルディナントは、トーションバー・スプリングとラディアスアーム付きスイングアクスルに関する特許を取得。技術者のフリッツ・ノイマイヤー氏とともに、市民向け乗用車の設計も試みるが、プロトタイプが3台作られたところで打ち切りとなった。
この試作モデルでは、星型の水冷5気筒エンジンがシャシー後方へ載っていた。彼のリアエンジンレイアウトに対するコダワリが、その頃から表面化していたといえる。
1931年には、オートバイから事業を拡大するため、小型車の生産を模索していた現在のアウディ、NSUへ協力。フォルクスワーゲン・タイプ1(通称ビートル)の起源といえる、試作車が誕生した。ところが製造コストを理由に、廃案にされてしまう。
ヒトラーへ提案された100km/hの乗用車
この結果を受け、フェルディナントはアドルフ・ヒトラー氏へ接近。100km/hで走れ、燃費が14.0km/L以上の、4・5名乗りの乗用車が提案される。ターゲット層は温かいガレージを持たないため、当時の技術では空冷エンジンが必然となった。
ナチス政権の支援を受けつつ、メルセデス・ベンツによって3台のプロトタイプが完成。ボディの作りは甘く、リアウインドウはなかったが、1936年にはアイデアが現実的なカタチとして仕上がっていた。
この辺りから、フェルディナンドの息子で同じくフェルディナンドの名が与えられた、通称フェリー・ポルシェ氏もクルマ作りへ関わり始める。60台のプロトタイプが用意されると、フェリーの指揮のもと、述べ240万km以上の試験走行が実施された。
一方でフェルディナンドは、自動車の量産システムを学ぶため渡米。3万人の労働者によって年間100万台を提供するという、大規模な計画が練られた。
しかし、不幸な第二次大戦が開戦。ドイツ中北部、ヴォルフスブルクで実際に量産が始まったのは、約5万5000台のキューベルワーゲンだった。水陸両用のシュヴィムワーゲンも、約1万5000台がラインオフした。
フェルディナンドは、終戦まで軍用車両などの設計へ注力。だが連合軍による空爆を恐れ、1943年にワークショップをグミュントの使われなくなった製材工場へ疎開させる。ドイツの敗戦が決まると、ナチ党員としてポルシェ親子はフランス軍に収監された。
プロトタイプはミドシップだった356
半年後に釈放された息子のフェリーは、美しいチシタリア・タイプ360 グランプリマシンを設計。これはレースに参戦しなかったが、充分な報酬が与えられた。父のフェルディナンドは収監が続くが、そこでルノー4CVの設計に携わった。
その後、ポルシェ家によって保釈金が支払われ、フェルディナンドも釈放。グミュントへ戻ると、フェリーが新しい356の設計へ没頭していた。
フォルクスワーゲンの部品を流用しつつ、エンジンはミドシップ。複雑なスペースフレーム・シャシーが特徴といえた。この初期のプロトタイプは、ポルシェが現在も大切に保管している。
そこから量産車へ展開するに当たり、ポルシェ親子は過去の設計に則ったレイアウトへ変更。フォルクスワーゲン由来の水平対向4気筒エンジンとトランスミッションがリアに載る、モノコックシャシーが採用された。かくして、今回の356/2へ至る。
構造は簡潔で安価。実用性も高められ、シートの後方には広い荷室も備わった。
資金難に苦しんでいたオーストリア政府は、外貨獲得のため、輸出を条件としつつ356/2の生産を1948年に認可。ワークショップは手狭で、地元のサプライヤーの協力を得ながら、合計52台がラインオフしている。
その内、クーペは44台。ロードスターも8台が作られた。
ポルシェ親子は1951年にドイツ・シュツットガルトへ戻り、ツッフェンハウゼン工場を準備。月産60台という、356の本格的な量産が始まった。
この続きは、ダイヤの原石:ポルシェ356/2(2)にて。
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