アサダ作品「日本車ってカッコいい」
text:Kumiko Kato(加藤久美子)
【画像】懐かしの日本車がアメリカを駆け抜ける【追悼ドライブに集まったクルマたち】 全90枚
editor:Taro Ueno(上野太朗)
ホットウィールはアメリカに本社を置く世界最大のおもちゃメーカー、マテル社が1968年に発売したミニカーブランドでこれまで世界60億台以上が販売されている。
トミカと同じ3インチサイズが中心だ。
1978年に大阪で生まれ育ったアサダ氏はオレゴン大学で物理学の学位を取得したあと、超一流自動車デザイナーを数多く輩出してきたアート・センター・カレッジ・オブ・デザイン(カリフォルニア州パサディナにある芸術大学)で自動車デザインを学んだ。
2004年からマテル社のブランドである「マッチボックス」でミニカーのデザインを始め、2013年からは「ホットウィール」でアサダ氏にしかできない、最高にカッコイイ日本車をミニカーに仕立ててきた。
アサダ作品にはアメリカでは「KYU-SHA」(旧車)と呼ばれる80~90年代の日本車が数多く存在する。
どれも、「日本車ってこんなにカッコよかった?」と思わせるデザインだ。ミニカーのみならず日本車(実車)の人気を世界に拡散させる存在にもなっている。
同じクルマで同じサイズであっても、デザイナーの個性を出さず、実車に忠実なデザインで再現するトミカとは大きく異なる。アサダ作品の日本車は日本人が気づいていない魅力をうまく引き出してデザインしている、唯一無二の個性なのだ。
しかし、アサダ氏は4年半の闘病の末、今年3月23日に42歳の若さで旅立った。本当にレジェンドになってしまったのである。
葬儀は4月半ばに日本からご家族が参列されてロサンゼルス近郊でおこなわれ、翌18日にアサダ氏をしのぶ「メモリアル・ドライブ」が開催された。
追悼ドライブ 集まったクルマ120台200名
追悼ドライブを主催したのはカリフォルニア在住の日本車大好きなジャーナリストBEN HSU(ベン・シュー)さんだ。
「japanesenostalgiccar.com」という人気の旧車サイトを運営しており、アメリカの有名自動車メディアにも数多くの寄稿をしている。
追悼ドライブがおこなわれた経緯についてベンさんに聞いてみた。
「リュウの死は、世界中の彼のファンに多大な悲しみと衝撃を与えました。そしてリュウの家族と話し合った後、ファンのために記念ドライブを計画することにしました。リュウの人生とダイキャスト(ミニカー)の世界への貢献を称えるためです」
「最大参加台数は100台でしたが、募集を開始して数日で埋まってしまい最終的には親しい友人や同僚を追加したので、合計120台約200名が参加しました」
「ホットウィールやマッチボックスの同僚やリュウのファンでもある自動車業界の皆さんも参加しました。ホンダ、GReddy、KWサスペンション、スバル・モータースポーツUSA……」
参加車両は、
トヨタ・ランドクルーザーFJ60
スバルSVX
ホンダNSX
ダットサン・ロードスター
ダットサン620
ホンダN600
マツダMX-5ミアータ
ホンダ・プレリュード
ダットサン240Z
ホンダS2000
日産スカイライン
日産ハコスカGTR
ホンダ・シビックEF などなど
25年ルールで輸入されたであろうAZ-1や80スープラの姿も見える。
ミニカーで昇華したアサダ氏のデザインセンス
ミニカーデザイナーとしてアサダ氏はどれくらい凄い人だったのか。
ホットウィールをさらに魅力的な唯一無二の存在に作り上げるカスタマイザーとして、これまた海外にもその名を知られるケン高野氏にデザイナーとしてのアサダ氏について語ってもらった。
「ミニカーやプラモデルを作る際、デザイナーにもっとも強く求められるのはデフォルメのセンスです。ご存知だと思いますが、ミニカーは実車をそのまま縮小したサイズになっているわけではありません」
「各所の絶妙な『縮尺度合い』ですべてが決まるのだと思います。そこにはやはり実車への知識やこだわりが必要で、それらがなければ作品に何の説得力も満足感も得られないでしょう」
「幼少期からプラモデルやラジコンによって刷り込まれたTOYとしてのデザインセンスと、クルマ好きな両親から受けた実車としてのデザインセンスは、ホットウィールというブランドによって昇華し、HWにもっともふさわしいデザイナーを作り上げました」
「リュウさんは本当に知識が豊富でいろいろ教えてもらえて、実車の話もできました」
「何より人となりが素晴らしかったですね。そして本当に強い意志を持った人でした」
「ある日、久しぶりに待ち合わせをして会った瞬間、ダイエットの痩せ方ではないと見てわかる痩せ具合でした」
「わたしが『体調どうですか?』と尋ねたところ『あれ? ケンさんに言ってませんでしたっけ? 僕大腸がんでステージ4なんですよ』って笑顔で」
アメリカにおける日本車ブームの懸け橋に
「話は続き、『放射線治療が自分には合っていて、この病と闘い続けますよ』と非常にポジティブに笑顔で語ってくれました」
「その後も一切弱音を吐かず、僕の癌や死に対するネガティブな考えさえもはねのけて、続々とリュウ・ワールド全開なホットウィールをリリースし続けてくれました」
「このまま生き続けてくれるのではないかと思えるほどパワフルでした」
「リュウさんは大切な友人であり、最後の最後まで戦い続けた素晴らしい、日本が大阪が誇るアメリカンドリームを手に入れた身近な人として、尊敬できるホットウィール・デザイナーであり、カーデザイナーの1人だと思います」
「アメリカにおける日本車ブームの懸け橋となっている存在には間違いありません」
最後に高野氏に数多くのアサダ作品の中からもっとも魅力あるホットウィールを選んでもらった。
2020年に発売された「1998年式ホンダ・プレリュード」である。
「どれも素晴らしいのですが、僕個人はやはりリュウさんの家族の思い出がたくさん詰まったプレリュードですね。彼の人生のすべてが詰まっている1台だと思います」
このプレリュードには大阪ナンバーがついている。
アサダ氏のご両親が実際に所有していたプレリュードと同じナンバーだという。
デザイナーの両親が所有していたクルマと同じナンバーをミニカーにつける……この自由度の高さはさすが、である。
物語とユーモアのあるアサダ作品 未来を笑顔に
ケン高野氏は続ける。
「タミヤのラジコンをオマージュしたシティーターボ、マルイのプラモデル『ノッポ・シリーズ』をオマージュしたMANGATUNERにはこの世界へ誘ってくれたJUN(ジュン・イマイ氏、元ホットウィールのトップデザイナー)へのリスペクトも感じられます」
「また、お世話になったラリーウッドがデザインしたBONE SHAKERをデフォルメしたSKULL SHAKERにはデイブ・ディールのカートゥーンを想像させるドライバーのギミックまで搭載しています」
「HEAD STATERにはホンダ・フリークの彼ならではの視点でホンダの、F1初優勝のRA272のゼッケンロゴのフォントやRA300のエンジンへダースの形に加え、その後活動休止となったRA302の120°のV8を搭載するあたりは本田宗一郎氏へのリスペクトを感じます」
アサダ氏がデザインするミニカーにはいつも物語があり、実車のデフォルメ感のセンスの良さは言うまでもなく、ホットウィールイズムが込められたイマジネーションカー(架空車といわれる実在しないクルマ)には人を笑顔にする魅力があり、多少のなぞなぞのようなユーモアがちりばめられている。
「なぞなぞの答え合わせはもうできませんが、それを楽しみながらリュウさんのデザインしたホットウィールをぜひ手にしてください」
「世界一のホットウィールで日本人デザイナーがリリースしたそのミニカーを」
アサダ作品はこれから2022年まで新作が発売される予定である。彼が生み出したホットウィールは未来永劫、人々を笑顔にし続けるだろう。
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みんなのコメント
たまたまメインに集めていたトミカに無いS15,14欲しさに
手を出したのがきっかけで、その後発売されたワイスピの
黒いNSX-Rがアサダさんの作品だと知ったところから
Hot Wheelsのファンになりました。
これからだというのに思わぬ訃報を知りました
芸術家と言って良いのかわかりませんけど、
才能ある人ほど天に召されるのが早すぎますね
ご冥福をお祈りしつつ、今後の新車にも期待します