昨年の冬。例年にない強烈な寒波は、東京においては首都高を麻痺させ、日本海側では数日にわたって数百台も立ち往生させた。今年の東京は今のところそれほど厳しい冬ではなかったが、いつなんどきあのようなパニックが再び起こらないとも限らない。そこで、自動車の可能性と極限状況における人間力を確かめるべく、われわれはフェラーリとレンジローバーで稚内に向けて出発した。REPORT◉高平高輝(TAKAHIRA Koki) PHOTO◉小林邦寿(KOBAYASHI Kunihisa)※本記事は『GENROQ』2018年4月号の記事を再編集・再構成したものです。
東京に雪が降ってきた!
セリカXXがスープラに! 国によって名前が変えられたクルマたち
久々に都心に積もった雪で首都圏が大混乱していたその日の昼、私たちは道央道・深川IC近くのラーメン屋で、女将さんと一緒にその混乱ぶりを伝える午後のワイドショーを見ていた。女将さんは決して馬鹿にしている風ではなく、心同情しているような口ぶりだった。おそらくまるで理解しがたいのだろう。店の外は1m以上の積雪で、間もなく解除されたが一時的に深川ICから先の旭川方面の道央道は通行止めになっていたほど吹雪いていたのである。それが冬の日常の生活である北国の人たちには、ほんのわずかな積雪でお祭りのように大騒ぎしている都会の様子が分からない。
同じように都会で暮らす人たちには本当の雪国の生活を想像するのは難しい。冬になれば雪上試乗会として氷上特設コースでのクルマの性能を紹介する記事が多数掲載されるけど、雪国のドライバーは日々、当たり前のようにスノードライビングをこなしている。本当の雪道は現場にしか存在しないのだ。というわけで我々が目指していたのは北海道のてっぺん、宗谷岬である。その途中にはきれいに整えられた箱庭的なコースではなく、本当の北国のリアルで厳しい雪道が待ち構えていた。
すっかり夜になってから辿り着いた稚内は正しく吹雪と呼んでいい天気だった。駐車場が雪に埋もれて分からず、どこに停めればいいのかと訊ねたANAホテルのフロントマンの顔には「本当に来たの!?」と書いてあった。ヘロヘロになりながらもせっかくだからと出かけた近所の居酒屋の女将さんにも「あんたたち、運がよかったねえ。今度はそんな無理しちゃだめだよ」とたしなめられた。「私らも帰れなくなるから今日は早じまい、そろそろ帰りな」と言われて外を覗いたら外はしっかり吹雪いていた。ホテルから500mもない店から帰るのにタクシーを勧められたぐらいだ。宗谷本線も運行しておらず、空港も閉鎖されていたこの日の晩に本州から稚内入りしたのはおそらく私達だけだったろう。
言い訳ではないが、旭川を過ぎる頃は天塩山地がきれいに遠望できたし、名寄辺りまでは時折り夕陽が射すぐらいの、まあ穏やかな天候だった。冬の北国の天気は雪山と同じぐらい急変するのが当たり前なのだが、日が落ちてから稚内までの約200kmの道のりは、これまでに経験がないぐらい、本当に全力を要求される厳しいコンディションだった。そこまでも不真面目に運転してきたわけではないが、それぐらいの集中力が必要だったのである。ともに4WDで最新のスタッドレスタイヤを履くレンジローバー・オートバイオグラフィとフェラーリGTC4ルッソのトラクション性能などに問題があったわけではない。冬道を走る際の最大の問題はいつも視界である。
前が見えない時にどうするか
降りしきる雪も厄介だが、本当に恐ろしいのはいわゆる地吹雪である。強風で積もった軽い雪が巻き上げられて白く濃いカーテンとなって視界を塞ぐ。見通しがいいからと安心していると、森を抜けた瞬間に目の前に白く渦巻く雪が現れて何も見えなくなるということが当たり前に出現する。そんな時にはだいたい路面にも雪が吹き溜まってフカフカになっており、真っ直ぐ進路を維持することも難しい。ということは、常に路面やあたりの風景に神経を配って何が起こってもいいように準備しておかなければならない。集落を抜ける時や森の中ならば比較的安心だが、そこを通り抜けて(といっても夜なのではっきりとは分からないが)開けた場所に出た瞬間、吹き寄せられた深い雪にステアリングを取られたり、一瞬で視界が閉ざされることが何度も何度も実際に繰り返されるのだ。そんな場合はどうするか?
視界が閉ざされた場合のひとつの手段は上を見ることだ。濃い地吹雪が舞う地表近くではなく、上を見れば木立との濃淡の差で道の方向がうっすらと分かる時がある。かつてポール・フレール本人から聞いたことがあるが、ル・マンの雨の夜、あるいは霧が出た夜のユノディエールを走る時、上を見てうっすらと夜空に浮かぶ並木の樹幹を手掛かりにしたのだという。もともと視界が悪い時の目印は、雪国の道路脇に立てられた路肩を示す矢印サインだけ、最近はLEDで矢印が自発光するタイプが多く、さらに稚内に近くなると矢印サインから下向きにLED照明が雪面を照らすものもあった。実に心強く、頼もしい目印ながら、すぐ目の前にあるはずのそれすら雪煙の中に消える瞬間もある。そんな時はゆっくりとスピードを落として視界が回復するのを我慢して待つしかない。
また吹き溜まりの雪に乗り入れた場合も同じく、たとえ4WDでも砂のような柔らかな雪の中ではほとんど操舵が効かない。ある程度以上のスピードで突っ込んだら運を天に任せるしかないので、事前の状況判断と速度コントロールが重要だ。さらに状況が悪くなったら、もう走るのを諦めるしかない。冒険と言ったら日々雪を相手に暮らしている人たちに怒られるだろうが、リスクを伴う行動には撤退する時期を見極める判断力が欠かせないのである。
自然相手に定石はない
「こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪」とは太宰治が津軽の雪として「津軽」(昭和19年刊)の冒頭に記した7種類の雪である。今さらだが、日本は世界有数の豪雪国である。観測された積雪深の世界記録は滋賀県の伊吹山(11.8m)で、ある程度以上の人口地域での積雪量は酸ヶ湯温泉を抱える青森市が一番ではないかと言われている。アジア・モンスーン気候帯の東の端に位置する日本は降水量が多く水に恵まれている。モンスーンとは季節風のことで、冬期は大陸からの北西風が日本海を渡る間に暖流の対馬海流からの水分を含み、脊梁山脈に当たって大雪となるのである。さらに国土が縦に長く、山地が多い日本はその地形的な特徴によって降る雪も積雪状態も地域によって千差万別、日本の雪は太宰が記したように多種多様であり、あらゆる雪道が存在すると言ってもいい。
豪雪地帯とは大量に雪が降る地域のことだが、漠然としたイメージの問題ではなく、日本では「豪雪地帯対策特別措置法」という法律で指定されている。実は日本の国土の約半分が豪雪地帯であり(人口比では約15%)、その中で「積雪の度が特に高く(中略)住民の生活に著しい支障を生ずる地域」は特別豪雪地帯(国土の約2割、人口比で約2.5%)と別に定められている。何しろ除雪費用も生半可なものではなく、たとえば今年青森県の除雪費は40億円を超えるのではないかと見られている。国土の半分が豪雪地帯である日本では、かつては冬の間は交通手段が断たれ、春の雪解けまで孤立したまま、いわゆる陸の孤島となる集落が珍しくなかった。今でこそそんな地域はなくなったが、今年のように記録的と言われるほどの降雪に見舞われると、生活に支障を生ずるだけでなく、救急車や消防車が出動できないといった事態も起こる。ちなみに北海道は全域豪雪地帯、宗谷地方は特別豪雪地帯に指定されている。
だが、雪は災いであると同時に恵みでもある。日本のほとんどの地域が豊かで上質な水に恵まれているのも大量の雪が降るからだ。積もった雪は徐々に融けることで、洪水にならず山地の中に貯水され、森林や作物の恵みとなるのである。さらに今や日本の雪は観光資源でもある。北海道のニセコや長野県白馬のスキー場に詰めかける観光客の大半は今やでは外国からの旅行客だというが、彼らが口々に賞賛するのはサラサラの粉雪、「Jパウダー」と言うらしい。フランク・シナトラはじめ多くの歌手が歌っているように、美しく輝く白銀の世界を素晴らしいと表現した歌は無数にある。その夢のように美しい雪道も、あっという間に白い地獄に一変させるのが自然の猛威というものだ。過ぎたるはもちろん及ばざるがごとし、ではあるが、日本に住むならば雪との付き合い方の基本を、たとえ豪雪地帯以外に暮らす人も知っておくべきだろう。
あれが稚内の灯りだ
とはいえ相手は自然でコンディションは刻々と変化するため、決まった対処法を守れば確実に安心というわけではない。型通りのアドバイスや対策では役に立たないことが多く、マニュアル思考は禁物だ。経験と想像力、そして柔軟な発想が必要であるという点では登山に似ている。普通の道路を走る時でも実は同じなのだが、雪道ではそれが極端なレベルで出現するというわけだ。
それでもあえて、雪道の経験が少ない人に向けていくつかのアドバイスを挙げるとすれば、まず夜間、悪天候時の単独行は避けることだ。私たちも複数台でなければ、そもそもウインタードライブを敢行しようなどと考えなかった。そして燃料は常に十分にし、念のために最低限の食糧と水を携行すること、通信手段を持つこと(スマホのバッテリー切れなどは時に致命的になることもある)、スケジュールに余裕を持つこと、集落のあるルートを選ぶこと、そしてもちろん雪道に適した装備の車であることは言うまでもない。
念のために付け加えると4WDを過信してはいけない。どれほど優れた4WDシステムを備えていても、結局のところ走破性はタイヤの大きさと積雪量で決まる。30cmも積もればどんな車でもフロアを擦って“亀の子”になってしまうし、通常サイズのタイヤでは、特に雪の種類によっては乗り越えられない。それゆえ除雪されていない道には決して乗り入れてはいけない。上述した吹き溜まりの雪とは、懸命に除雪しても作業中に風で吹き寄せられた雪のことで、未除雪ということではない。
稚内に至る最後の20kmは実に緊張を強いられる行程だった。点々と頼りなげに路肩を照らすLEDを除けば見渡す限り灯りはなく、風はいよいよ強く視界を閉ざす。ルッソが先に立って“ラッセル”役を務めてくれると、そのテールライトとリヤフォグランプは降りしきる雪の中でも実に頼もしい灯台の灯りのように赤々と輝き、目印になってくれるが、視点が低いドライバーには苦行である。フェラーリは発熱量が大きく、巻き上げた雪もこびりつかないようだ。ただしホイールクリアランスが小さいフェラーリはある程度雪道を走るとパックした雪が操舵やブレーキの障害になる。
それに対してレンジローバーは明らかにタフで、さらにドライバーの視点が高いせいで前方の路面状況を判断するのも有利だが、10分も経たないうちに巻き上げた雪がテールライトユニットを覆い、後続車の目印の役に立たなくなる。レンジローバーはリヤウインドウだけでなくフロントのウインドシールドにもデフォガーの熱線が挟み込まれており、ウインドシールドは常にクリアに保たれているが、ワイパーには走っているうちに徐々に氷がまとわりつき、役に立たなくなる。気温が低くスプラッシュが少ない道ではそもそも問題にはならないが、中途半端な状況ではウォッシャーの使い方も考えなければいけない。いかに低温用のウォッシャー液を入れていてもノズルが一旦凍ってしまえば意味がないから外気温にも敏感でいなければならない。
働くクルマの頼もしさ
稚内市街地の灯りが見えた時には心底ホッとした。辿り着いた!という安心感を抱いた瞬間、首のあたりがガチガチに固まっていたことに気がついた。かつてサファリ・ラリーの取材でケニアを走った時、日が暮れてからダート道を延々と宿に向けてレンタカーのカローラを走らせた際のことを思い出した。満天の星で空はうっすら明るいが、一台だけで本当に何もないサバンナと丘陵をいくつも越え、心細さも感じなくなった頃にようやくホテルの灯りを見つけたあの時の気持ちと同じ、苫小牧のフェリーターミナルから約400km、旭川から250km、その間ずっと車載温度計は零下を指していた。
翌朝の稚内は雪が上がっていた。20kmほど先の宗谷岬を目指す。まだ明けやらぬ早朝から稚内の市内では、いったいどれほどの除雪車が稼働しいるのだろうと驚くほど、無数のグレーダーや雪を運ぶダンプカーが全力で行き交っていた。道路上も駅のロータリーも道路脇の駐車場でも、驚くほどの勢いで懸命に作業している。まさしくプロの仕事である。東京なら一週間はマヒするだろうという雪が前夜に積もっても、北国では学校も会社も当たり前のように営業中だし、公共サービスも滞るわけにはいかない。宗谷岬を目指して走るうちにかなりの雪が再び降り出してきたが、その雪の中で小学生が元気に学校に向かっていた。地元のラジオ局からは市民に向けてアナウンサーが語りかけている。「除雪作業のため遅れていますが、これから予定通りにごみ収集に向かいます」
そういうことなのだ。様々なクルマが北国の生活を支えている。雪国に暮らしている人にとっては何を今さらだろうが、冬でも当然それぞれの人にとってなすべき生活があるわけで、少々の雪に臆していては、そして雪だからと言って慎重に走るだけでは暮らしが成り立たない。軽自動車だろうと4WDのSUVだろうと、その能力に応じて役割を果たしているのである。
再び苫小牧を目指すルートには薄日が差していたが、ぼんやりと明るい昼に降る雪の中を走る時は、また別の注意が必要だ。前を走るパネルバンの白い後ろ姿(灯火類は雪で覆われてまったく見えない)が雪煙の中に見え隠れしているうちにボーッとしてきたが、それでも地元のクルマは夏と変わらぬスピードで走っている。このぐらいの降り方なら、地元ドライバーにとっては日常茶飯なのだろう。凍結注意と80km/h規制の警告が表示される中、他のクルマは元気よく追い抜いて行く。我々も先を急ごう。雪が融けずにあたふたしている東京はまだ遥か彼方である。
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