ル・マン4連勝を飾って歴史的王者になった
以前に紹介した一連のフェラーリを、戦後のル・マン24時間ヒストリーで最初の王者とするならば、それに続く王者は「フォードGT」でしょう。GT40の愛称で知られるフォードGTは、フォードがル・マンを制するために、何よりもフェラーリを打ち負かすために開発されたマシンで、ヘンリー・フォードII世とエンツォ・フェラーリ、双方の想いの相違もドラマ仕立てでした。今回はフォードGTを振り返ります。
フェラーリの伝説を残したチャンピオンマシンたち。「ル・マン24時間」100周年を記念して歴代モデルを振り返ります
フェラーリの買収から一転し、最大のライバルとして戦ったフォード
現代に続く自動車産業の原点とも評される「フォードT型」で世界のトップメーカーとなったフォードは、第二次世界大戦が終結し、誕生したベビーブーマーに向けてのイメージアップ作戦としてモータースポーツに力を入れることとなりました。
そして考え出された策がフェラーリの買収でした。当時のフェラーリは「本業」と位置付けていたF1GPに加えてル・マン24時間レースを筆頭とするスポーツカーレースでもライバルを圧倒する好成績を残しています。
また数々の戦後モデルがヒットして経営基盤がより盤石になったフォードと、レースでの好成績とは対照的に1960年前後に経営危機を迎えていたフェラーリ、といった当時の経営状況を考えても、この買収劇はすんなりと決着を迎えることが予想されていました。
しかし、フォードの首脳がマラネロを訪問し、いよいよ最終調印となった段階で、この買収劇は決裂してしまいます。イタリア自動車工業会のゴッドファーザーであるフィアットが反対した、などとする数々の理由が考えられましたが全ては闇の中。
フォードがフェラーリの支配に失敗したことが結果として残りました。そしてそこからフォードの、ル・マン24時間レース制覇に対する「野望」が始まることになったのです。ちなみに、フォードのモータースポーツへの関わりはずっと旧く、フォードが創業された1903年の2年前、1901年にデトロイトで開催されたレースにおいて、ヘンリー・フォードが自ら製作した「フォード999」で優勝していますから、フェラーリの買収もフォードにすれば理に適ったプロジェクトだったのでしょう。
そんなフォードは、フェラーリの買収が失敗に終わると、すぐに新たなプロジェクトを立ち上げます。それは自らル・マン24時間にチャレンジしようというもので、具体的には以前からエンジン供給で関係のあったイギリスのコンストラクター、ローラ・カーズとのジョイント……。ローラが組み上げたシャシーにフォード製のプッシュロッドV8エンジンを搭載したレーシング・スポーツカーを製作し、それでル・マン24時間レースに参戦しよう、というものでした。
当初の目的であるル・マン24時間レース=モータースポーツで活躍することで企業のイメージアップを図るということに加えて、契約寸前の土壇場に来て買収劇を破談としたフェラーリに対する敵愾心のあったことは否定できないでしょう。そして結果的に、1960年代半ばのル・マン24時間は、王者フェラーリと挑戦者フォードのマッチゲームとなっていったのです。
ローラをベースに登場したフォードGTは挑戦を重ねてル・マン王者に
「ローラMk6 GT」と呼ばれるプロトタイプはわずか3台が製作されたのみですが、大排気量(4.7L)のフォードV8エンジンを初めてミッドシップに搭載したスポーツカーとして大きなエポックとなった1台です。3台のうち2台が1963年のル・マン24時間にエントリー。1台はアクシデントでリタイアし、もう1台は予選不出走に終わっていますが、そこから得られた知見をベースに製作されたマシンがフォードGTでした。
このときは単にフォードGTと呼ばれていましたが、40インチの車高から「GT40」と呼ばれるようになり、後述のMk IIからはシャシーナンバーもFord GT40と明記。最初のフォードGTにおいては、ローラ製のモノコックはスチールパネルを使ったツインチューブ式で、前後ともにダブルウィッシュボーン式サスペンションが組み付けられ、4.2Lのフォード製プッシュロッドV8エンジンが搭載されていました。
Mk6 GTにも似たFRP製のカウルワークは風洞実験によってスタイリングが決定されていました。1964年のル・マン24時間には3台が出場しましたが、そのうち2台はコロッティ社(伊)製トランスミッションにトラブルが発生し、もう1台は車両火災が原因でしたが、結果的に3台はともにリタイアに終わっています。
翌1965年、フォードは体制を変更しています。前年の1964年は、イギリスに前進基地として設けたFAV(Ford Advanced Vehicles)が主体となってワークスチームを運営していましたが、1965年にはワークス活動をシェルビー・アメリカンに委託し、FAVは翌1966年シーズン用ホモロゲーションモデル製作に専念しています。
ル・マン24時間レースでは、前年モデルに手を加えたGT40 Mk Iに加えて、7Lまで排気量を拡大したプッシュロッドV8を搭載し、スタイリングもロングノーズに変更したMk IIを2台投入しています。ただしこの年も全車がリタイア。ワークスのMk IIは2台とも、前年同様にトランスミッションのトラブルに泣いています。
そして迎えた1966年、フォードはロングノーズをショートノーズに置き換えるなど大幅に手を加えたMk IIを8台(!)、50台以上を生産してスポーツカーのホモロゲーションを取得したGT40をバックアップとして5台をル・マン24時間にエントリー。
公式予選からライバルを圧倒していたMk IIは決勝でも他を寄せ付けることなく上位を独占。見事な1-2-3フィニッシュを飾って長年の悲願を達成したのです。続く1967年には空力を追求してカウルを一新したMk IVを主戦マシンに据えて連覇を果たすことになります。
翌1968年はレギュレーションが変更されスポーツカーは5L以下、スポーツ・プロトタイプは3L以下にエンジン排気量が制限され7LのMk IIやMk IVは参加できなくなり、フォードはル・マンから撤退を決定しました。しかしそれまでFAVでマネージャーを務めていたジョン・ワイアが新たに組織した新チームであるJWエンジニアリングが、フォードGT40をベースに、スポーツカーの制限一杯となる5Lまで排気量を引き上げて参戦。GT40の連勝記録を3に伸ばしています。
さらに1969年には、1968年に優勝したマシンそのものが連勝を果たし、フォードGT40は、結果的に1966年から1969年まで見事4連勝を飾って歴史的王者となりました。
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