1980年代に放送された日本車のCMから、出演者が印象的だった5作品を小川フミオが選んだ。
“CM美女”という言葉があるように、テレビコマーシャルから人気がでる女優やモデルがいる。いっぽう、人気女優と相性がいいのが、クルマだ。1980年代の日本車メーカーのコマーシャルは、有名女優のオンパレードだった
コマーシャルと出演タレントの組合せが上手なのはトヨタ自動車だったように思う。観ていると、”あぁ、このクルマはこんな年齢のひとむけに作っているんだ”と、メーカーのメッセージが伝わるように作られている。
たとえば、木村拓哉。初代「RAV4」(1994年)のテレビコマーシャルに登場したときは24歳で、斬新なイメージのコンパクトSUVは「イキのいい若者と相性がいいなぁ」と、ピンときたひとも多かったのでは。
最近では、クルマではないものの、トヨタ車とレクサス車を乗り換えていける、いわゆるサブスクリプションサービス「KINTO」のテレビコマーシャルが印象的だ。登場するのは、二階堂ふみ(26)、菅田将暉(27)、矢本悠馬(30)なので、若い世代にクルマに接する機会を提供しようという意図が明白だ。
コマーシャルに女優を起用する背景として、クルマのイメージとうまく組み合わせるトヨタを例にあげた。もうひとつは、そのとき”旬”のタレントの起用。俳優の人気にあやかって製品のアピールをはかる意図である。
とはいえ、あまりにイメージがかけ離れていると、訴求効果はかぎりなくゼロに近い。人気俳優が大衆車のコマーシャルに登場しても、”ぜったい乗らないでしょ”とつっこみを入れられるのがオチである。
そのあたりを制作者がどう考え、コマーシャルを作っているかをみるのは、おもしろい。往時の作品を振り返る楽しさはそこにあるといってもよい。
(1)トヨタ「クラウン」(6代目)×吉永小百合
吉永小百合を起用したのが、1979年発売のトヨタ「クラウン」で、6代目になる。クラウンのテレビコマーシャルはずっと山村聡が出演していたが、1974年の5代目になって、クラウンの助手席に吉永小百合が座った。
1982年のクラウン・エクレールのコマーシャルには吉永小百合がピンで登場。エクレールという仕様は、廉価版の「スーパーエディション」をベースに、モケットシート、ブロンズガラス、そしてデジタルメーターなどをおごったもの。
価格を抑えつつ、ぜいたくな装備で”釣ろう”としていたのは、おそらく山村聡のクラウンを買っていた層より、すこし若いひとたちだろう。それでも、コマーシャルのキャラクターを全員入れ替えるまでにはいたらなかった。
当時の吉永小百合は(まだ)39歳。いまのように”若さが価値”という風潮もなく、脂の乗った美女として新しいクラウンユーザーに訴求する魅力をそなえているとみなされていたのだ。
この世代までのクラウンは、ペリメーターフレームに、リジッドサスペンション。エンジンは2.0リッター直列6気筒SOHCだ。乗り心地はいいけれど、やや時代遅れのイメージがあったのも事実。高性能車はモノコックで独立懸架、エンジンはパワフルで、ハンドリングも重要、というドイツ車主導の価値観がマーケットで重要視されはじめていた。
クラウンにとってクルマとしてのターニングポイントにあった時期である。紳士(山村聡)のとなりに、しずかに座る着物美女(吉永小百合)というユーザーイメージも、このあたりで最後となるのだった。
(2)トヨタ「カリーナ」(5代目)×山口智子
トヨタ「カリーナ」はマーケティングに翻弄された感の強いクルマだ。当初はセリカの姉妹車として開発され、“足のいいやつ”なるキャッチコピーを与えられていた。コマーシャルにおけるイメージキャラクターは男くさい男、千葉真一だった。
千葉時代はけっこう長く続き、そののち、1981年の3代目から少しずつファミリー路線へ変わっていく。孤独な冒険者というイメージだった千葉真一もお父さんへ……と、社会のなかで立ち位置が変わっていく姿をコマーシャルのなかで表現していた。
前輪駆動の「コロナ」とプラットフォームを共用するようになるとともに、「FF足のいいやつ」と、ビミョウなキャッチコピーに。樹木希林と共演の富士フィルムのコマーシャル(「それなりに写ります」など)で人気の出た女優、岸本加代子が(千葉真一とともに)登場するのだった。
「新・FF足のいいやつ」として1984年登場の4代目も、千葉真一と岸本加代子。1988年の5代目になると、1986年ANAのキャンペーンガールとしておおいに人気を博したモデルの松本孝美へバトンが渡される。このあたりでカリーナのイメージから男性性が払拭され、完全にニュートラルなものになった。
女優、山口智子が登場するのは1991年。NHK朝の連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』(1988年)でヒロインを務めたあと、柴門ふみのマンガを原作にしたトレンディドラマ「同・級・生」(89年)への出演などで、人気が上り調子のときだ。
カリーナのコマーシャルも男性モデル(富家規政)と抱き合うなど、恋愛色を強めたもの。山口の起用に合わせた脚本を使って、この時期のカリーナは若いカップルをターゲットにしたのだった。
並行して1985年にピラードハードトップの4ドアスペシャルティ「カリーナED」が登場。カリーナはセダンとステーションワゴン「サーフ」にしぼるというのがトヨタのモデル戦略だった。5代目は、スタイリングは同時期の「カローラ」に近く、端正といえば端正。別の言い方をすれば、おもしろみは皆無なものとなってしまった。
それでも、話題の女優を起用し続けることで、カリーナは商品力を保ったのだから、マーケティングの力もすごい。もちろん、キャラクターは薄いとはいえ、悪いクルマではなかった。1992年の6代目は富田靖子にバトンタッチし、イメージはより上品に。透明感がカリーナの持ち味となっていった。
(3)日産「サニー」(5代目)×松坂慶子
いまはなくなってしまった日産の大衆車ブランド「サニー」。1960年代は、カローラと熾烈な首位争いをしていたものだ。1966年に「サニー1000」として初代がデビュー。4代目のB310型(1977年)では、4ドアノッチバックにくわえ、2ドアファストバックやステーションワゴンの「カリフォルニア」など冒険的なモデルが登場した。
松坂慶子がサニーのテレビコマーシャルに出演したのは、B310型からだ。1981年オンエアの作品では、クルーザーを楽しむ行動的な美女として明るい側面が強調されていた。
松坂は1979年にテレビドラマ『水中花』(TBS系列)に主演。主題歌『愛の水中花』を歌い、大ヒットさせていた。1981年にサニーはフルモデルチェンジして5代目(B11型)へ。
前輪駆動化するとともに、内外装の質感を上げるなど、カローラを向こうにまわして、新しいポジションを狙っていた。そのために、松坂の、美人女優の枠におさまらない、さまざまな顔をコマーシャルで見せて、クルマのイメージ刷新にも役立てようという思惑もあったのではないだろうか。
たしかに、松坂が登場するまでのコマーシャルには、音が静かなことを強調しようと、佐々木つとむを声優に起用して月光仮面のアニメーションを合成するなど、おもしろいといえばおもしろいけれど、もう、はちゃめちゃだった。
5代目サニーは前輪駆動化するとともに、ラインナップを整理して、スタイリングコンセプトもグローバルで通用するものへと変わっていった。一例はクーペの代わりにハッチバック(1983年)を設定したことだ。
もっとも、松坂を起用して、「ジョーズ」がプールに出現する篇や、ジャンプスーツを着込んで指先から光線を出して(敵の)ヘリコプターを破壊する篇など、やはりはちゃめちゃ。これでは、郷ひろみとともに“スポーティハンサム”というわかりやすいキャッチコピーで商品展開したカローラに水を開けられていくわけだ、と、思った。
(4)三菱「ミニカ」(5代目)×賀来千香子
軽自動車はなぜかいつも女性タレントをテレビコマーシャルに起用してきた。それがメインターゲットの女性客にウケがいいから、と、メーカーからはよく説明を受けたものだ。男性にとっても、元気のいい作品が多くて、軽自動車のコマーシャルは楽しいのも事実。
1984年に登場した三菱「ミニカ」5代目といえば、メインキャラクターは賀来千香子。雑誌『JJ』のモデルとして男性にも人気が高かった。当時のJJモデルのステイタスは、いまはなかなか想像できないほど高かったのだ。
1982年から女優としての活動をはじめ、ミニカのコマーシャルに登場した1980年代後半には、『男女七人夏物語』(1986年・TBS系列)などで人気女優となっていた。独特の発声で、とろけるようなボイスとは言えなかったものの、逆に元気がよく、賀来がミニカの特徴をポンポン挙げていく様子は、妙に説得力があったものだ。
このときの5代目ミニカは、先代(1981年)からのキープコンセプト。ただしボディは、4代目が2ドアだったのに対して4ドアがメインとなり、なにより駆動方式が後輪駆動から前輪駆動へと変わったのが、大きな特徴である。
若者も重要なターゲットにすえていて、1986年にはほとんど屋根がなくなりそうなほど大きな開口部を持つオープントップ仕様も設定された。フランスのルノーのようにソフトトップを巻いていく方式だ。いまなら安全基準の面で絶対に認可が下りないだろう。開放感がすばらしかった。
賀来千香子は5代目のモデルライフ中コマーシャルに出演した。明るさが魅力だった。1989年の6代目のコマーシャルには、一転してちょっとかったるそうなキャラクターの女優、浅野温子が出演。印象は強烈で、ミニカのコマーシャルというと浅野温子。その記憶はいまに続くのだった。
(5)ダイハツ「ミラ」(初代)×岡田奈々
16歳で歌手としてデビューした岡田奈々は、発表当時はダイハツ「クオーレ」および「ミラ・クオーレ」と名づけられていた初代ダイハツ・ミラ(1980年)のテレビコマーシャルに出演した。
YMOなどが流行させた打ち込みのリズムに載せて、カフェバーの装飾を思わせる都市の書き割りふうの背景によるコマーシャルは、地味といえば地味なつくりだった。岡田がさっそうとクルマに近づくバージョンもあるが、乗り込んではいない。岡田とクルマとの関係がはっきりわからないのだ。
石原さとみ(2004年)や新垣結衣(2006年)らが人気を呼ぶきっかけを作った女性タレントの登竜門たる「ポッキーガール」の初代を務めたのが岡田奈々。万人が認める愛くるしさが魅力だった。
MAXクオーレが10年ぶりにフルモデルチェンジを受けて、コンパクトな2気筒エンジンと前輪駆動システムによって、使い勝手のいいパッケージを得たのが、新世代の「ミラ・クオーレ」。しかし生活をどう変えてくれるか、そんな訴求はいっさいない。いってみれば、突き放したようなコマーシャルのつくりがおもしろい。
岡田奈々はこのとき、歌手から女優へと転身。角川映画の『戦国自衛隊』(1979年)に出演して女優としての活動を本格化させるのだが、それ以前からテレビではNTVの『俺たちの旅』(1975年)でのオメダ(田中健)の妹役や『俺たちの朝』(1976年)でのオッス(勝野洋)の妹役をはじめ、数多くの作品に登場して、ファンを増やしていた。
1970年代から1980年代にかけて青春ものや家族ものでの可憐な役どころが多かった岡田奈々のイメージはすでに定着しており、クルマのコマーシャルだろうと、登場すれば、当時の視聴者は、なんとなく制作者(メーカー)の言わんとすることがわかった気になったものである。
ミラ・クオーレのばあい、品のいい女の子が乗っても、なかなかサマになりますヨってところだろうか。乗用として開発された「クオーレ」が車名を「ミラ」として、本格的に走りを楽しむモデルへと変わるのは、1985年のフルモデルチェンジからだ。
文・小川フミオ
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!
愛車を賢く売却して、購入資金にしませんか?
愛車管理はマイカーページで!
登録してお得なクーポンを獲得しよう
みんなのコメント
その百恵さんがかつてクルマのCMにも登場していました。
トヨタ初のFF車・初代「ターセル/コルサ」(1978-82年)
その販売促進のため、1979年に女性をターゲットとする特別仕様車の発売に合わせて
投入されたCMがズバリ「百恵の赤い靴」
赤い…というのは当時出演していたTBS系のドラマ「赤い」シリーズに
引っ掛けたのでしょうね。
さらにその後限定車で「百恵セレクション」なる仕様も販売されたそうで…
80年代はこうした「女性仕様車」なるグレードのクルマが各社から発売されてました。
「雨音はショパンの調べ」の小林麻美さんの2代目スズキ・アルト(1984-88年)
ホンダが軽に再参入した初代「トゥデイ」(1985-98年)には今井美樹さんがCM出演されて
いました(CM曲:岡村孝子「はぐれそうな天使」)
車じゃないけど、小川ローザの「Oh! モーレツ」ってハイオクガソリンメーカーのCMが最初かな。
これ強烈だった。