覚えておきたい名車たち
text:Richard Dredge(リチャード・ドレッジ)
【画像】紹介したモデルの現在の姿【後継的なモデルを写真で見る】 全139枚
アルファ・ロメオからザスタバまで、1971年には新しいモデルが続々と登場した。アルファスッド、フィアット127、そしてモリース・マリーナなど、画期的なデザインのクルマもあった。また、オースチン・アパッチやクラン・クルセイダーといった、その素晴らしさが長い間忘れられていたものもある。日本ではホンダ・ライフ、スバル・レオーネなどの名車も生まれている。
あれから半世紀。今も伝説的なモデルとして語り継がれるクルマと、人々の記憶の隅っこで朽ちかけているクルマを26台ご紹介する。この50年で自動車がどのように変わったのか、あるいは変わっていないのか、という視点で見ると、違った面白さがあるかもしれない。
アルファ・ロメオ・アルファスッド
低重心のボクサーエンジン、コンパクトなボディ、そして前輪駆動と、アルファ・ロメオ・アルファスッドの走りは素晴らしいものだったが、90万台近い生産台数のほとんどが、今では塵になってしまったのは残念だ。この小型セダンはハッチバック風のシルエットを持っていたが、はじめは2ドアと4ドアのみで、1981年までは3ドアハッチの設定がなかった。5ドアも設定されたが、1983年にはアルファ33に取って代わられた。
アルピーヌA310
アルピーヌといえば、曲線を多用したスポーツカーA110が有名だが、1971年にA310が登場したときには、より希少性の高いA106やA108もラインナップされていた。A310には当初、1605ccの4気筒エンジンが搭載されていたが、デザイナーのロバール・オプロン(最近亡くなった)が行った設計変更により、150psの2664cc V6エンジンが搭載され、パフォーマンスが向上した。
AMCマタドール
AMCマタドールは、4年前に発売されたREBELの後を継ぐ中型のファミリーカーで、クーペ、セダン、ワゴンの3タイプがあり、エンジンは直6とV8が用意されていた。1973年に2代目マタドールが登場するまで生産された。
オースチン・アパッチ
BMC 1100および1300(ADO16という開発コードで知られる)は、1960年代の英国で最も売れたクルマの1つである。アパッチは、ADO16のセンターセクションを使用し、ミケロッティがデザインした新しいノーズとテールを備えた3ボックス・セダンである。南アフリカ向けに開発されたアパッチは、スペインでもヴィクトリアという名前で販売された。
ビュイック・センチュリオン
初代ビュイック・センチュリオンは1956年に発表されたコンセプトカーで、市販モデルに同じ名前が採用されるまでにはさらに15年を要した。ビュイック・センチュリオンは、5.7Lまたは7.5LのV8エンジンを搭載し、クーペ、セダン、コンバーチブルのいずれかのボディスタイルを選択できた。1973年までのわずか2年間に、11万台以上のセンチュリオンが生産された。
クライスラー・ヴァリアント
母国オーストラリア以外ではあまり知られていないクルマだが、南アフリカでも少数が作られた。クライスラーは、1971年夏にVHヴァリアントを発売し、2年も経たないうちにVJと呼ばれる改良モデルに切り替えた。セダン、ワゴン、クーペ、ユート(ピックアップトラック)の4タイプがあり、エンジンも直6とV8が用意されていた。
クラン・クルセイダー
この英国産の奇妙なクルマは、グラスファイバー・モノコックにヒルマン・インプの875ccの全合金製エンジンをリアマウントしたものだ。2年間で315台が販売されたが、その中には組み立てキット形式のものもあれば、すぐに走れる完成品もあった。しかし、1973年末には部品供給が問題となり、英国政府がキットモデルに付加価値税を課したため、クランの命運は絶たれてしまったのである。
フェラーリ365 GTC/4
印象的なデイトナの影に隠れてしまったため、忘れ去られたフェラーリの1つである。しかし、365 GTC/4は、デイトナと同じドライブトレインを、より使い勝手のいいボディシェルに搭載したという点で、記憶されるにふさわしいモデルである。365 GTC/4は2年間でわずか505台しか生産されなかったのに対し、デイトナのクーペは5年間で1284台が生産された。
フィアット127
フィアット127は、現代のAセグメント車の雛形を作ったと言っても過言ではない。127が登場した当時、真にコンパクトな前輪駆動の小型ハッチバックは存在しなかった。だが、実際に127にハッチバックが採用されたのは1972年のことで、それまでは2ドアのみだった。セアトやポルスキ・フィアットがそれぞれのバリエーションを発表したことで、大量に販売されることになった。
ホールデンHQ
1971年に登場したHQは、全く新しいモデルに投資していたホールデンにとって、ステップチェンジを意味するモデルだった。セダン、ワゴン、ユート、クーペ、商用車仕様などを揃えたこのモデルは、3年間で約50万台を販売し、ホールデンの大きな収益源となった。
ホンダ・ライフ
N360に続いて登場したホンダ・ライフは、軽自動車としての使い勝手の良さを追求したモデルである。そのため、356ccの水冷2気筒エンジンを搭載しながらも、N360よりも広い室内空間を確保していた。3ドアと5ドア、トランスミッションはマニュアルとオートマチックの2種類が用意され、ホンダが軽自動車から一時撤退する1974年まで生産された。
ランチア2000
フラビアは忘れられたランチアの1つだが、2000はもっと知名度が低い。2000は、先代モデルと同様にセダンとクーペの2種類があり、基本構造はフラビアから流用した。ノーズとテールが変更されたが、メカニカルな部分はほぼそのまま引き継がれ、1991ccのフューエル・インジェクション4気筒エンジンを搭載し、4速または5速MTで後輪を駆動するものであった。
マセラティ・ボーラ
フェラーリにはデイトナ、ランボルギーニにはミウラがあるが、マセラティには初代ギブリの後を継いだボーラがある。しかし、ライバルたちがV12エンジンを搭載していたのに対し、ミドシップエンジンのマセラティは8気筒しかなく、その結果、常に劣等感を抱かれてきた。だが実際には、その名前の由来となった「風」のように、センセーショナルな外観と走りを持っているのだ。
マツダ・グランドファミリア
マツダ・グランドファミリア
マツダ・グランドファミリアは、自動車の歴史の中で最も複雑なモデルの1つであることは間違いない。セダン、クーペ、ワゴンなど数多くのボディスタイル、6種類以上のエンジン(ピストン3種、ロータリー3種)、そして販売された地域によって、808、818、RX-3、サバンナなど複数のモデル名が存在する。さらに、韓国のキアはブリサIIという名でライセンス生産していた。
メルセデス・ベンツSL R(107)
SLパゴダの後を継ぐことは容易ではなかったが、R107は18年間という驚異的な期間にわたって素晴らしい働きをし、世界中で相当数の販売を記録した。時代を超越したエレガントで魅力的なSLは、世界中の成功者たちが選ぶクルマだった。6気筒または8気筒エンジンを搭載したR107は、1971年から、より技術的に優れたR129が登場する1989年までに、20万台以上が製造された。販売台数の約66%が米国で占められているのは、まさにメルセデスの思惑通りである。
三菱ギャランFTO
三菱は、1994年に発売した前輪駆動のスポーツ・クーペにFTOのバッジを付けたが、この名前が初めて使われたのは、その23年前に発売された後輪駆動の小型クーペであった。ギャランのフロアパンを短くして作られたギャランFTOは、1.4または1.6L 4気筒ガソリンエンジンを搭載し、最高速度は180km/hに達していた。1975年8月に生産終了。
モーリス・マリーナ
誰もが嫌がるクルマの1つ、マリーナはマイナーの後を継いで登場した。1948年にマイナーが発売されたことを考えると、マリーナが失敗するはずがないと思うかもしれないが、実際には欠陥車のようなものだという評判を得た。それにもかかわらず、マリーナは10年近く売れ続け、その後、イタルにフェイスリフトされた。現在、マリーナは、セダン、ワゴン、クーペ、バン、ピックアップなどのボディスタイルでカルト的な人気を博しているが、その数は決して多くはない。米国では1973年から1975年にかけてオースチンから販売され、約2万3000台を売り上げた。
オペル・レコルト
オペル・レコルトの原型が登場したのは1953年のこと。そのモデルはオリンピア・レコルトとして知られていた。レコルトDと呼ばれる第7世代は1971年末に生産が開始され、1972年初頭に納車が開始された。購入者はセダン、ワゴン、バン、クーペのいずれかを選ぶことができ、エンジンは4気筒で1972年からはディーゼルも用意された。
ポンティアック・グランドサファリ
1971年当時、もしあなたが大きなワゴン車を欲しがっていたら、ポンティアックのディーラーは喜んでグランドサファリを売ってくれるだろう。ポンティアックで最も大きく(全長5847mm)、最も豪華なステーションワゴンであるグランドサファリには、6.6Lまたは7.5LのV8エンジンが搭載され、市販車では初めてとなる電動テールゲートが標準装備されていた。
ルノー15/17
60年代、70年代に製造されたルノーの多くは、長い間埃を被っており、今日ではもう忘れ去られているものもある。15と17のクーペは、残念ながらその中の1つだ。両モデルはルノー12クーペをベースに、ヘッドライトとリアサイドウィンドウのデザインを変えたものである。エントリーモデルの15TLは12の1289ccエンジンを搭載し、15TSと17はルノー16の1565ccを搭載した。
ロールスロイス・コーニッシュ
1965年に発表されたロールス・ロイスのシルバー・シャドウは、2ドアクーペタイプで、1年後にはコンバーチブルタイプも登場した。1971年に導入された「コーニッシュ」という名称は、単なるブランディングのためのもので、ロールス・ロイスの素晴らしいトルクを持つ6.75L V8は変更されていない。
スタッツ・ブラックホーク
ヴァージル・エクスナー(1909~1973)は、クライスラーに勤務していた頃、最もアバンギャルドなコンセプトカーをデザインしていた。銀行家のジェームズ・オドネルが戦前のスタッツ・ブランドを復活させようと考えたとき、誰に依頼すれば人目を引くクルマを作ってくれるのかはよく分かっていた。そしてその通りになったのが、16年間にわたって生産され、約600台が世に送り出されたブラックホーク(クーペ/コンバーチブル)である。
スバル・レオーネ
1971年にレオーネが発売されたとき、スバルはまだ自動車業界の新参者だった。1958年にデビューしたR360に比べて、1.6Lのエンジンを搭載した前輪駆動のレオーネは比較にならないほど大きく、技術的にも完成度の高いものだった。その1年後には4輪駆動のワゴンが登場し、それ以来、スバルはこのテンプレートを守り続け、特にこの10年間は米国で大きな成功を収めてきた。
TVR Mシリーズ
TVR Mシリーズの最初のバリエーションが発売されたのは1972年のことだが、その前年にプロトタイプが初めて公開されている。それが2500Mで、トライアンフ製の2.5L直6エンジンを搭載したグラスファイバー製のクーペだった。その後、フォード製エンジンを搭載した1600Mと3000Mが発売された。生産期間は1979年までで、その後、より角張ったデザインのタスミンが登場した。
ザスタバ・スカーラ
ユーゴスラビア(現セルビア)で製造され、世界中で販売されたザスタバは、無駄のない低価格なクルマの代名詞だった。そのほとんどがフィアットのライセンスを受けて製造されたものであり、128から派生したスカーラもその1つで、世界中でさまざまなネームプレートが付けられた。驚くべきことに、スカーラは1971年から2008年にザスタバが倒産するまで生産され続け、実に150万台が世界の道路を走っていた。
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みんなのコメント
急な上り坂は4速で突入しても登りきるころにはローに入れないと走らない非力な車だった。