見過ごされがちな弱点
ここで紹介するのは、駄目なクルマというわけではなく、世間一般のイメージとは少し異なるクルマだ。「過大評価」という言葉はあてはまらないものの、見過ごされている欠点がいくつかある。
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これらのクルマが素晴らしい特徴を数多く持つことは間違いないが、一部、世間の評価が実際よりも少し誇張されているところもある。その一部をピックアップし、なぜ大げさな評判になり得るのかを考えてみたい。
ランドローバー・シリーズI(1948年)
英国が生んだ名車ランドローバーは、あらゆる民間オフロード車の祖先として賞賛されている。初期の自動車でありながら、今でも荒れた路面を走破することができるのは印象的だ。しかし、「デュアル・パーパス(不整地にも舗装路にも対応)」というコンセプトは失敗だ。
合法的に舗装路を走行できることに異論はないが、リーフスプリング、ラダーフレーム、重たいアクスルが回転し、揺れ動くため、運転はできるだけ短時間にとどめ、乗員の背骨、歯、関節、神経をいたわるべきだ。このクルマは乗用車ではないと考えて、オフロードに徹すれば大丈夫だ。
フォルクスワーゲン「ビートル」(1950年)
1930年代にデザインされた安価なエコノミーカーが60年もの間販売され続け、2100万台も作られたというのは驚異的な現象だ。とはいえ、ビートルが現代の自動車のパターンを決定づけたわけではない。
ビートルを賞賛する人たちが、一方で危なっかしいクルマだと考えているのもまた事実である。リアエンジンのレイアウトと偏った重量バランスは、推奨されるべきものではない。
1960年代半ば、特に米国におけるビートルの評判は芳しくなく、脆弱な構造、安全システムの欠如、貧弱なブレーキは時代錯誤も甚だしいとされた。「でも信頼性はとても高い」と人々は言った。あるいは、簡単に修理できることに惑わされたのだろうか? ビートルの魅力は奥深いが、もしゴルフがもっと早く登場していたら……。
MGB(1962年)
ビートルと同様、歴史によってただならぬオーラを放ち、適切な分析ができないクルマがもう1台ある。1962年に登場したMGBは、モノコック構造で確かな性能を持ち、特に英国では崇拝の対象となっている。
しかしその一方で、扱いにくいコックピット、重いステアリング、壊れやすいエンジン、部品の劣化が早いことなど、あらゆる不都合を備えている。
親会社のブリティッシュ・レイランドは、ライバルのほとんどが生産中止となったことから、わざわざ新型を開発する必要はないと判断し、1980年まで販売を続けた。その頃には、すっかり「生きたアンティーク」となっていた。2人乗りスポーツカーの典型として丁重に扱われてきたが、それもマツダMX-5(日本名;ロードスター)が登場するまでの話である。
ビュイック・リヴィエラ(1963年)
ゼネラルモーターズのデザイン責任者であるビル・ミッチェル氏は、前任のハーレー・アール氏と同様、米国のハイウェイを走る国産スポーツカーは「巨大で堂々としたものでなければならない」というこだわりを持っていた。
ミッチェル氏は「アメリカン・フェラーリ」として1963年型ビュイック・リヴィエラを構想したが、それはピサの斜塔に対するニューヨークの摩天楼のような存在であった。
リヴィエラは6.6L V8エンジンを搭載した巨大なハードトップ・クーペで、確かに美しいスタイルだったが、長距離クルーザーであってスポーツカーではない。サスペンションは高級ホテルのベッドのように柔らかく、ステアリングもブレーキも曖昧だった。走る彫刻であることは確かだが、フェラーリではない。
アルファ・ロメオ・アルファスッド(1971年)
1971年の発売後約3年間、アルファスッドTiは地球上で最も爽快な小型車だった。そのハンドリング、速さ、イキイキとしたキャラクターは、試乗したすべての人をうならせた。
しかし、フォルクスワーゲン・ゴルフGTiが登場すると、アルファスッドはその影に隠れてしまった。評論家からは高く評価されたものの、実際に所有すると悲惨な結果に終わることが多い典型的なケースである。
当時の『AUTOCAR』誌も1週間所有し、その走りを絶賛しながら、しぶしぶ手放した。アルファスッドに魅了されて購入した人は、納車後わずか数か月で故障し、錆びていくのを目の当たりにすることになった。ゴルフではそのようなことはなかった。
ブリストル412(1976年)
1975年、このタルガトップのブリストル412を購入するには、ロールス・ロイス並みの資金を必要とした。シャシーのルーツは1940年代まで遡るが、依然としてかなりの実力を持ち、速くて乗り心地もよく、公道での使い勝手も予想外に有能なレベルであったことは間違いない。
しかし、ロールス・ロイスやアストン マーティンのハンドビルドエンジンとは異なり、ブリストルにはカナダ製トラックのV8エンジンが搭載されている。また、美しいウォールナット材のダッシュボードとふっくらとしたレザーシートを除いて、他の部材はなぜか無造作にあてがわれていた。
購入した風変わりなオーナーたちは412を愛したが、一般的な愛好家たちは当然のごとくポルシェ928のほうへ向かった。
ランチア・ガンマ(1976年)
ピニンファリーナが手掛けた市販車の中で最も高く評価されたデザインの1つであるランチア・ガンマ・クーペは、カーマニアの間では1970年代の名車としてよく知られた存在だ。そのセダンモデルは、当時も今もまったく影が薄い。
技術的には、前輪駆動のアルミニウム製4気筒「ボクサー」エンジンを採用したランチア・フラビアの延長線上にある。このカテゴリーで6気筒エンジンが人気を集めていた当時、2.5Lの4気筒エンジンを採用するのは不可解な選択だった。
購入者は、5速MTや素晴らしい路上追従性など、あらゆる面で優れたドライビング体験を楽しむ傍ら、エンジンのカムベルト問題や振動をはじめとする設計上の欠陥、および品質のばらつきに対する重大な懸念に向き合わなければならなかった。
また、高級車のオーナーはATを好んだが、ランチアは1983年までATの設定を拒んでいた。本質的には素晴らしいクルマだが、製品としては貧弱なものだった。
ローバー3500 SD1(1977年)
V8エンジンとフェラーリのようなノーズを持つ、5ドアのローバー3500 SD1は、英国車ファンなら誰もが憧れる存在である。憧れなければならない、という法律ができそうなほどだ。しかし、欧州における高級スポーツセダンの競争で先頭に立ったのは、BMW、メルセデス・ベンツ、アウディ、そしておそらくサーブであった。
SD1は、先代P6のレーシングカーのようなリアサスペンションから昔ながらのライブアクスルに変更されたが、いまいち振るわない理由はそれだけではない。ローバーの従業員たちは、大切な顧客に常に質の高い仕事を提供できなかったのだ。
ドイツ車は全体的に優秀で、整備工場のメカニックよりもオーナーと一緒にいる時間の方が長かった。愛国心という理由から、英国警察だけがSD1に固執せざるを得なかった。
デロリアンDMC-12(1981年)
テスラ・サイバートラックは21世紀のデロリアンになるだろうか? 両車に共通しているのは、非実用的なステンレススチール・パネルを使用しているということ。そして、業界の異端児によって生み出された “無用” な発明品であるということ。
ジョン・Z・デロリアン氏は「倫理的に正しいクルマ」という思想を掲げ、自動車業界に教訓を与えようとしたが、大失敗に終わった。デロリアンDMC-12はロータスのシャシー、ルノーのエンジン、そしてガルウィングドアを組み合わせたが、短期間で失速。結局、1980年代を席巻したのはポルシェだった。
フォード・シエラ(1982年)
1982年、当時欧州で絶大な人気を誇っていたフォード・コルチナに代わって登場したのがシエラだ。現代性と信頼性、親しみやすさを同時に実現するという、非常に難しい課題を背負っていた。そのため、エアロダイナミックなボディラインが大々的に宣伝された一方で、その下には昔ながらの後輪駆動とコルチナと同様のピント・エンジンが搭載されていた。
決して使い勝手が悪いわけではないが、コスワース・エンジンとターボチャージャーを搭載した後期型4WDを除けば、ほとんど印象に残らなかった。リフトバック式のテールゲートという新機能もあまり好評ではなく、全体的なシルエットは「ゼリー型」と揶揄された。
フォードは1987年に4ドアのサファイアをラインナップに加えるなどし、こうした批判に対応しようとした。しかし、何やかやと忙しくしているうちに、オペル/ヴォグゾールから出た前輪駆動のキャバリエが、欧州の販売台数チャートで一気に躍進した。
キャデラック・アランテ(1987年)
この2人乗りのキャデラックは、「世界最長の生産ライン」を誇る自慢の新製品だった。どういう意味かと言うと、ボディはイタリアのピニンファリーナによって作られた後、特別にあつらえられたボーイング747(ジャンボジェット)で空輸されて、米国で組み立てられたのだ。
スタイリングもピニンファリーナによるものだが、オープントップのメルセデス・ベンツSLやジャガーXJSのような目立った個性はなく、あまり記憶に残らなかった。1993年の最終モデルにはキャデラックの優れたノーススターV8エンジンが搭載されている。
ダイハツ・スポルトラック(1989年)
英国仕様のスポルトラック(日本名:ロッキー。欧州ではフェローザとも呼ばれる)は、1990年代初頭のアウトドア趣味には非常に適した選択肢だった。田舎のアパート管理者なら誰もが欲しがるような四輪駆動車で、ダイハツ・アプローズのリーズナブルな1.6Lエンジンを搭載している。
同時代のスズキ・ビターラと並んで、スポルトラックは初のコンパクト・スポーツ・ユーティリティ・ビークルであった。しかし、時代の流れは厳しい。スポルトラックの発売からわずか5年後、トヨタRAV4が登場し、ベンチマークを塗り替えた。
決定的な違いは、RAV4がモノコック構造を採用し、オンロードでもオフロードでも優れた性能を発揮することだ。スポルトラックはラダーフレーム・シャシーを採用しているため、オンロードが苦手だった。
ポンティアック・ルマン(1988年)
ポンティアック・ルマンの名称は、1960年代後半にマッスルカーとして世に送り出されたが、1988年に登場したルマンはまったく違うクルマだ。名前に惹かれて購入すると、落胆したに違いない。
実態としては、旧式化したオペル/ヴォグゾールのアストラを、韓国で大宇が低コストで生産し、ポンティアックのエントリーモデルとして米国全土で販売したモデルだ。新車当時はお買い得感が強調されていたが、ホンダやトヨタのコンパクトカーの方が優秀で、品質も良かったはずだ。
ビュイック・パーク・アベニュー(1992年)
1989年のコンセプトカー「ビュイック・パーク・アベニュー・エッセンス」の発表から、1991年の市販モデル「パーク・アベニュー」生産開始までの2年間に、何かが大きく狂ってしまった。コンセプトは大型米国車のダイナミックな新イメージを打ち出したが、市販モデルはかつての直線的な角が削ぎ落とされた普通のセダンに過ぎなかった。
3.8L V6エンジンは、特にスーパーチャージャー付きのウルトラ仕様では優れた性能を誇ったが、ベンチタイプのフロントシートはサポート性に欠け、乗り心地はソフトでふわふわしているため、ダイナミックに走り回れるクルマではなかった。
コラムシフトと平凡な乗り心地により、BMWやレクサスの基準には遠く及ばなかったが、米国の威信の象徴として欧州に輸出された。現在では高い価値を見出されているが、個体数はあまり多くない。
ブリストル・ファイターT(2004年)
ツインターボで最高出力1026ps、最高速度360km/h、0-97km/h加速3.5秒という大それた謳い文句を誇るファイターTだが、知名度が低く資本も少ない英国のブリストルとは相容れないように思える。
ガルウィングドアもまた、イングランド西部にいるような田舎者ではなく、メルセデス・ベンツが設計したものであってほしい機能だ。
実際のところ、量産車としてのファイターTはほとんど存在しないに等しい。ダッジ・ヴァイパーのV10エンジンを搭載した標準モデルのファイターが12台ほど生産されただけだ。
それに、エアロダイナミクスはちゃんと機能するものだったのだろうか? これほど速いクルマには、スポイラーやエアダムをつけて路面に押さえつけてやる必要があるが、ブリストルは航空機メーカーの伝統と歴史を重んじ、 “高み” を目指していたのだろうか?
ホンダS2000(1999年)
1990年代から2000年代初頭にかけては2人乗りスポーツカーの黄金時代とも言える時代だった。このホンダS2000は特に、量産車としては最強クラスの自然吸気2.0Lエンジンを搭載したことから輝いて見えたはずだ。
残念ながら、経験豊富なドライバーの手にかかると、50:50の重量バランスにこだわったにもかかわらず、全体的なレシピが適切でないと判断された。
反応の鈍い電動パワーステアリング、操作しにくいドライビングポジション、強いオーバーステアなどが欠点として挙げられた。素晴らしい6速トランスミッション、美しい外観、そして今日では伝説的なステータスを与えられているが、NSXの本家本元であるホンダにはさらなる輝きが期待されていた。
フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)
フェートンは、ベントレーで威張り散らしたくない内気なお金持ちのための高級セダンとして開発された。実際のところ、その基本構造は6.0L W12エンジンを搭載したベントレー・フライングスパーと共通だ。
フェートンはVWの恐るべきボス、フェルディナンド・ピエヒ氏の肝いりのプロジェクトだった。フォルクスワーゲンにふさわしいフラッグシップモデルを作ろうと、そしてアウディの連中を油断させまいと、気合を入れていたプロジェクトだと言われている。残念ながら、その評価は芳しいものではなかった。
素晴らしいマシンだが、ベントレーと比べるとその繊細さが過大評価されており、現在では不評だ。もしアンゲラ・メルケル元首相が高級車をデザインしたら、おそらくこんな感じになっていただろう。
ブガッティ・ヴェイロン(2005年)
2015年、最高出力620psのポルシェ・カレラGTやメルセデス・ベンツSL 65 AMGを引き離す、最高出力1000psのブガッティ・ヴェイロンが発売された。クワッドターボ、W16エンジンのヴェイロンは最高速度407km/hを記録し、当時世界最速の市販車となった。
しかし、現実の世界では誰も使いきれないパワーと速度を持つこのクルマに、大金をつぎ込む価値が本当にあったのだろうか? 全幅は2.0mもあり、市街地走行に最も不向きな部類に入る。そして、ラジエーターを10個も使用するなど、購入だけでなく維持にも非常にお金がかかる。
スバル・インプレッサSTI WRX(2008年)
2008年にデビューしたインプレッサSTI WRXは、2.5Lボクサーエンジンで最高出力300psを発生し、0-97km/h加速4.8秒と四輪駆動の強力なグリップを誇る。性能数値だけを見ると、その名を冠するにふさわしい新世代モデルだった。
しかし、広告やカタログがどう伝えようと、見過ごせない点があった。スバルはドイツのライバルたちと肩を並べようとするあまり、本来の個性を失ってしまったのだ。
巨大なリアウィングを備えたおなじみの3ボックス・セダンは姿を消し、代わりに5ドアのハッチバックが登場した。そして、コスト削減のためインテリアを徹底的に見直したのだ。スバルのアイコンとして、もっとふさわしい姿があったのではないだろうか……。
トヨタGT86(2012年)
2.0Lの2+2スポーツカーであるトヨタGT86(日本名:トヨタ86)は、後輪駆動と細いタイヤという基本に立ち返ったデザインで、実際、かなり「ベーシック」なクルマに仕上がっている。
それは必ずしも良い意味でではなく、キャビンは閉塞感があり、質感も安っぽかった。ハンドリングはオーバーステアが特徴で、週末にイベント会場でドリフトを楽しむ分には問題ないが、雨に濡れた公道ではお荷物かもしれない。
そして、中回転域のトルクが明らかに不足しており、日常的なドライビングで活気ある走りをするには不向きだった。オールラウンドに優れたマツダMX-5が実証しているように、必ずしもこのような特性にする必要はない。後継となる新型GR86は、先代のレシピを受け継ぎながらもこうした弱点を改善している。
(翻訳者あとがき:AUTOCARの英国記者は辛口で、辛辣で、やや冷笑的な一面もありますが、この記事はクルマの偏ったイメージや評価を補正することを目的として書かれたものです。欠点をあげつらって批判することは意図するところではありません。実際、特にトヨタGT86に関しては、英国記者も最高レベルの評価を与えて絶賛しています。欠点は場合によって美点となり得ますし、一度好きになれば「あばたもえくぼ」として愛せてしまうのもまた事実だと思います)
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ちょっとした記事をあげるのも大変な世の中になってしまいました。