30歳代、清楚で上品な若奥さんが…
交通取り締まりの違反切符を破いて「公用文書毀棄」で逮捕された女性がいる。その裁判を東京地裁で傍聴したことがある。いやはやとんでもない事件だった。ご報告しよう。
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被告人として法廷に立たされたのは、30歳代、清楚で上品な感じの若奥さんだった。起訴状によれば、普通乗用車を運転中に一時不停止で取り締まりを受け、違反を認めずサイン(切符への署名押印)を拒否、警察官の手から6枚綴りの違反キップを奪い、両手で掴んで引き裂いたのだという。
証拠ブツを検察官が示した。縦長の違反キップの上辺から斜め左へ、ややカーブを描いてビリリと破られていた。
犯行当時、若奥さんが運転するクルマには母親と娘(4歳)が同乗していた。母親を証言台のところに座らせ、証人尋問が始まった。
若奥さんが「焦った」理由とは?
母親「初めに(警察官は)一時停止しませんでしたねと。私は娘が一時停止したと思いましたので、ちゃんとしましたと言いました」
当初、若奥さんは否認していたが、途中から違反を認めた。なぜ?
母親「はい、ちょっと時間が経ってしまったので。言い合っても仕方ないと(娘は)思ったんだと思います」
しかし取り締まりはなかなか終わらなかった。
母親「私も焦りまして、早くしてほしいと娘に何度も言いました。それがプレッシャーになったんでしょう…」
なぜ焦ったのか。じつは母親は重い糖尿病だった。インシュリンが効かず、食事で血糖値をコントロールしなければならなかった。カロリー計算などは若奥さんがやっていた。
弁護人「決まった時間に食事を摂れないとどうなるんですか?」
母親「体が震えて目の前が真っ白になり、汗のようなものが出て首から上がドキドキ…倒れそうになったり、倒れたり…」
そういうことはしょっちゅうあり、若奥さんも見ていたという。
夕食の予定は午後6時から6時半。取り締まりを受けたのは6時18分頃。買い物が少し遅くなってしまったので、現場から約5分の姉宅へ行く途中だった。そういう事情を警察官に話したのか、弁護人が尋ねた。
母親「娘から言ってもらいましたが、早く手続きが進む感じはなかったです。私も焦ってしまい、娘をだいぶ急かしたと…」
そして被告人質問が始まった。当時のことを若奥さんはこう述べた。
被告人「警察の方に停められ、駐車場へ入るよう誘導されました。私は初め、飲酒運転の検査か何かかと思いました」
弁護人「一時停止を無視したのですか?」
被告人「いえ、私は停まりました」
弁護人「停止したという根拠は?」
被告人「強めのブレーキを踏んでしまい、後ろ(後部座席)の娘の、お菓子が床に落ちて泣いたので…」
弁護人「そのことを言うと、警察官は何と言いましたか?」
被告人「警察官は『私が見たときは徐行だった』と…」
「私が見たときは」? 妙な言い方だ。ははぁ、と私は思った。停止線の直前で停止するのが一時停止。警察官の待ち伏せ位置からは停止線の直前の状況は見えず、だから「私が見たときは」なのだな?
若奥さんがブチ切れた理由とは
若奥さんは警察官から「違反を認めないなら裁判になる」と言われたそうだ。それは、否認する違反者を屈服させる常套句だ。けれど若奥さんは前科はもちろん交通違反歴もなく、待ち伏せ取り締まりの手口を知らなかった。
弁護人「あなたはそれを聞いて、どう思いましたか?」
被告人「裁判になると聞いて、そんな大変なことをしてしまったのかと頭の中が真っ白になりました」
しかし、停まった、停まらないの口論にはならなかった。若奥さんは、制服の警察官に逆らえない、とにかく早くしてほしいとあきらめた。ところがその後、運転席から降りて警察官に近づき、切符をびりり破った。いったいなぜ?
被告人「やり取りの途中、警察官が(駐車場から一時停止場所へ)走って行ってオートバイを停めました。早くしてほしいと言ってるのにどうして…」
そこは、次々に違反車が来る、絶好の“猟場”だったようだ。オートバイはどうなったか、弁護人が尋ねた。
被告人「すぐに行ってしまいました。後から出頭することを約束したので、ということでした」
弁護人「それを聞いてあなたはどうしましたか?」
被告人「それなら私も母と娘を一度(姉の)家に置いて、すぐ戻りますからとお願いしました」
だが警察官は応じなかった。時刻は6時45分頃になっていた。クルマの中からは、血糖値が急激に下がりつつある母親が切羽詰まって急かし、4歳の娘は泣いた。清楚で上品な若奥さんはついにブチ切れた。運転席から降り、警察官がバインダーに挟んでいた違反キップを奪ってビリリと破った!
直ちに現行犯逮捕。応援のパトカーが何台も集まってきた。母親は娘(孫)のお菓子に気づいて食べ、倒れはしなかった。が、今度は血糖値が上がりすぎて大変だったという。
「あの子はあれをそばで見てしまったんだと…」
反則金は7000円。若奥さんはすぐに納付した。そして「公用文書毀棄」で起訴され被告人として法廷に立たされることになったのだ。
弁護人「何をいちばん後悔していますか?」
被告人「留置場から出て帰ったら、娘が『ママがパトカーで連れて行かれた』って言いました。後日、防犯カメラの写真を見せられ…娘が後ろに映っていたんです。あっ、この子はあれをそばで見てしまったんだと…」
そう言って若奥さんは泣いた。
取り締まりの警察官は、現認の確実さより身を隠すことを優先し、いい加減な取り締まりをした。上品な若奥さんに否認されてカッとなった。母親が糖尿病と聞き、焦らせ屈服させようとした…そういうことかと私は受け止めた。
しかし、警察官の行為に何ら違法はない。現認がいい加減だったとしても「確かに現認した」と言い張ればとおる。違反切符を破いたことだけが重罪なのだ。
検察官の求刑は懲役1年。まぁ相場どおりだ。翌週の判決は懲役10月、執行猶予2年だった。執行猶予を付すとき、通常は主刑を求刑と同じにする。それを10月に下げた。異例だ。また、執行猶予は通常3年だ。2年は珍しい。そのへんが裁判官のせめてもの良心だったのだろう。
〈文=今井亮一〉
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