モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1986年~1987年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)を戦ったBA1型の『ホンダ・プレリュード』です。
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2023年、ジャパンモビリティショーなどにコンセプトモデルが展示され、話題を呼んだホンダ・プレリュード。プレリュードは1978年に初代が誕生したスペシャリティクーペで、特に2代目や3代目は新車当時、“デートカー”と呼ばれ、若者に人気のモデルでもあった。
だから見た目はスポーティなクーペだったけれど、プレリュードにはモータースポーツのイメージがあまりないという方もいるだろう。しかし、そんななかでも数は多くなかったが、レースに参戦していたプレリュードもいた。今回紹介する2代目プレリュード(BA1型)もその1台である。
BA1型のプレリュードがメジャーなレースシーンに姿を現したのは1986年。グループA車両がしのぎを削っていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)の第5戦、富士スピードウェイを舞台にしたインターTECでのことだった。
グループA仕様のベースとなったのは前述の通り、2代目のプレリュードで、B20A型という2.0リッターのNAエンジンを搭載するBA1型というモデルだった。
このBA1型をもとにグループAレースに参戦するべくレーシングカーに仕立てたのがホンダの社内クラブである「明和」だった。だが、このBA1型は公認パーツがあまり多くなかったこともあり、1987年の開幕戦時点ではまだブレーキがノーマルのままであったなど、マシンの開発があまり進まなかった。
それでもデビューレースである1986年の第5戦インターTECではクラス2位、総合15位に入ったり、翌1987年に西日本サーキットで行われた開幕戦では名手、高武富久美もドライブして総合12位に入るなど、素性のよさを活かして健闘も見せていた。
だが、プレリュードの属するディビジョン2に同年、トヨタ・セリカやBMW M3といったライバルが登場すると苦戦が続き、結局、クラス優勝を得ることはできず。1987年いっぱいでJTCからは姿を消すことになってしまった。
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