ユーザーが求めるものを見抜いた久米さんの慧眼
本田技研工業の3代目社長を1983年から1990年まで務めた久米是志(くめ ただし)さんが、2022年9月11日に亡くなられた。そこで、2022年に本田技術研究所を定年退職した筆者が、久米さんの技術者としての、そしてマネージャーとしての足跡を全3回で振り返る。
【緊急追悼連載:2】ホンダ3代目社長・久米是志さんが遺したもの──初代「シビック」のCVCCエンジン開発を支えたのは「愛」だった
量産世界初のエアバッグにGOサイン
ホンダの3代目社長だった久米是志さんを追悼する記事も今回が最終回。これまでは研究開発者としての久米是志さんの業績のごく一部を紹介させていただいた。最終回は、マネジメントサイドとしての冴えを示す事例をご紹介させていただきたい。
評価者としての久米さんの姿は小林三郎氏(元・本田技研工業経営企画室長)の著書『ホンダ イノベーションの真髄』(日経BP社・2012年)に詳しい。小林氏は本田技術研究所で量産世界初のエアバッグをLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)として世に出された方である。氏によると報告者の説明がひと通り終わると久米さんは「魔の40分」と呼ばれる黙思のあと、ズバリ本質をついた質問をする。そこで的確に答えられないと「あんた、何にも分かってないね」の一言で評価会は終了になってしまったそうである。
久米さんはエアバッグの本質的課題は作動方法などの機構的なことより、事故のときに作動しないことと、事故以外のときに作動してしまうという、生命にかかわる故障のリスクに対する信頼性の確保であることを見抜いており、これに対して小林氏率いるチームはエアバッグの故障率100万分の1(100万台の車が15年走って故障が1件)を達成する。
エアバッグの開発開始からすでに16年経っていたとき、商品化を決定する経営会議の席で久米さんは小林氏に尋ねる。
「小林さん、エアバッグやるとホンダに信頼性技術が残りますか?」
「今までにない技術ですから必ず残ります」
「分かった。信頼性はお客様にとって大切な技術ですからエアバッグをやりましょう」
このとき久米さん以外の役員は全員がエアバッグには反対だったらしいが、この判断で「レジェンド」へのオプション装着が決定した。こうしたお客様の求める価値を見極める慧眼には敬服するばかりである。その後のエアバッグの普及とその恩恵は万人が知るところである。
電子燃料噴射システムを自前技術として育てた
さらに久米さんが研究所に在籍していたときに種を蒔き、その後結実したと思われる技術は多数あるようだ。
1970年代後半、久米さんはエレクトロニクス技術の進歩に対してホンダが遅れていることに危機感を抱いていた。自分たちが想いを持って取り組んでいることはどこからも制約を受けず、自由にやれるようにしておかなければならない。ましてエンジンを手放したらホンダはなくなってしまう。エンジンを守るためにもエレクトロニクスは絶対必要だと。
当時、ホンダの技術として遅れを取っていたひとつが燃料噴射制御であった。1970年代後半には各社で電子燃料噴射が出揃っていた。じつはホンダは機械式燃料噴射にトライしたことがあった(第2話で紹介したH1300の後継の水冷145インジェクション仕様)。しかし第1期F1で実績があったとはいえ、量産はまた別物。非常に高コストだったこともあり、残念ながら生産数はごくわずかであった。
時代の趨勢により、さらなる排ガス規制強化に対応するためホンダも本格的に電子燃料噴射に着手する。当時燃料噴射方式には2種類あったが、ホンダは主流であるボッシュの基本特許を避ける方式を選択する。一方、制御系電子部品は未知の領域なので沖電気との合同体制でシステム開発が始まる。担当者はキャブレターの機能を詳細に見直して、その機能をプログラムに書きこむことで燃料噴射制御の本質に迫っていったという。
ホンダの電子燃料噴射(PGM-FI=プログラムド フューエル インジェクション)の量産1号は「シティターボ」だった。新開発のシステムはCVCCにターボを搭載したエンジンの燃料噴射と排ガス制御をすべて行い、センサー類の故障検出も備えていた。量産に向けて噴射ノズル等メカ部品はホンダが自前でやるにしても、電子基盤等に生産ノウハウはない。通常なら外注するところだが前述のようにエンジンの頭脳と言える制御基盤を他社に任せるわけにはいかない。当面生産台数が少なくても自前にこだわり、沖電気と合弁会社「電子技研」を設立した。
「大事なものは自分でつくる」がホンダスピリットなのである。この自前技術があればこそ第2期F1のPGM-FIターボエンジンが、過酷な燃費規制をものともせず1000ps/Lで突っ走るのである。そしてまもなく燃料供給もキャブからPGM-FIに生産主体が移り、台数を背景にコストも下がる。投資は無駄にはならなかった。
世界初の民間用車載ナビ「ジャイロケータ」
もう一例、車載ナビゲーションシステム(以降ナビ)を紹介させていただきたい。これも今では必需品となっているが、発端は当時久米さんが自衛隊の演習を見たとき、戦車が凸凹路を走行してもその砲身がピタリと照準をはずさなかったことにヒントを得て、そこに使われているジャイロが何かに使えないかと考えたことに端を発したらしい。それはやがて、お客様に地図上の現在位置と進むべき方向を示し道案内をすれば、ユーザーに新しい価値を提供できるという発想につながった。
2代目「アコード」に搭載された最初のナビシステム(ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータと呼ばれた)はアナログであった。透明シートに印刷された地図を紙芝居式にブラウン管の前にセットしてその都度地図上の現在地にブラウン管の輝点を合わせ込むもの。すなわち、地図フィルムとブラウン管に電気的つながりはないのである。GPSなどない時代、先人たちの苦労と努力は想像に余りある。
初代ナビは商業的には成功とは言いがたかったが、デジタル化、マップマッチング(自動位置合わせ)、GPSとの併用等の過程を経て、現在のような使いやすいナビに進化した。ある意味では発想に周辺技術が追いついていなかったとも言えようか。ちなみにホンダの自前技術から生まれたジャイロケータ開発者は、世の中に出てから30年以上たった2017年にIEEEマイルストーン(世界最大の電気学会)で表彰されている。
社長としてホンダマンたちを元気に働かせてくれた
最後に、社長となった久米さんが会社のある施策について、すべきかすべきでないかを決めるときに考えたのは次の2つと著書(『ひらめきの設計図』久米是志・小学館・2006年)に書かれていた。
1.それがお客様の喜びに繋がるか
2.それが現場の社員の元気に繋がるか
思えば1980~90年代、われわれホンダマンは本当に元気に働いた。それは私が若かったからというだけではあるまい。もしかしたらホンダの社員は元気に働かされていたのかもしれない。もちろん、そんな働かされ方なら大歓迎である。まったくもって、私はいい時代にホンダで働かせていただいたのだと思う。
最後になりましたが、久米是志元社長のご冥福を心よりお祈りいたします。
■いまはモンパルライダー 略歴
1957年北海道生まれ。工業系大学卒業後、トラック製造メーカーを経て1985年(株)本田技術研究所に中途入社、2022年に無事に定年退職。技術史に興味があり、とくにレーシングマシン、戦闘機や戦車等、極限で使われる機械、蒸気機関車などに機能美を感じ、興味の湧いたものをついつい深掘りして調べてしまう超アナログ人間。またそれらの模型を作ることも趣味で、最近は出戻りライダーとしてTL125に乗る。
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