東京オートサロン2023のHKSブースには、1台のフォーミュラカーが展示されていた。漆黒に塗られたローラT91/50……F3000規格のマシンであるが、この車両はただのF3000マシンではない。F1仕様のエンジンが搭載され、実際にサーキットを走った1台なのだ。
1991年、当時はホンダがマクラーレンと組み、アイルトン・セナを擁して圧倒的な強さを誇っていた。またヤマハがブラバムにエンジンを供給し、スバルがモトーリ・モデルニと開発した水平対向12気筒エンジンがコローニのマシンに積まれていた。さらにいすゞもV12エンジンを開発し、ロータス102Cに搭載してシルバーストンで実走テストを行なった。
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それに続けとばかりにF1規格のエンジンを開発したのが、チューニングパーツメーカーのHKSだった。
HKSは創業当初からエンジン開発を目指したが、当初は苦境も経験したという。その後、オートレース用のエンジンを開発したり、既存エンジンを改良するなどして、1984年には自社製のレーシングエンジンの開発に成功。GCレースに参戦するなどした。
そんなHKSが開発したのが、F1仕様のエンジン『300E』だった。東京オートサロンでローラT91の前に置かれていたのが、まさにその300Eである。
当時のF1レギュレーションに合わせ、排気量は3500cc。75度V型12気筒のこのエンジンは、13500rpmを誇り、市販ガソリンを使って650ps以上の出力を誇ったという。
完成した300Eは、F1エンジンを載せるように改造されたローラT91に搭載され、1992年の年末に富士スピードウェイを走った。ドライブを担当したのは、JTCやJGTC、全日本F3000などで活躍した茂木和男。ただシャシーやギヤボックスが300Eの出力に耐えられず、僅か数周のみの走行で終わったという。また、このテストが唯一の実走テストになった。
その後HKSはF3用エンジンを開発し、イギリスや南米のF3にチームおよびチューナーとして参戦。JTCCでも好成績を残した。また、超小型飛行機用エンジンの開発にも成功している。
HKSによれば、F1エンジンの開発は「創業者・長谷川浩之と開発者が長年抱き続けた究極のエンジンとして実現」したものだったという。
1992年には無限がホンダのV10を引き継ぐ形でF1活動をスタート。他にも数多くの日本企業が様々な形で関わるなど、日本においてF1が光り輝いた時代だった。
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