F1ドライバーはこれまでに800名足らず
text:Richard Heseltine(リチャード・ヘーゼルタイン)
photo:Motorsport images(モータースポーツ・イメージズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
1950年以来、モータースポーツの世界最高峰に位置するフォーミュラ・ワン・グランプリでスタートを切れたドライバーは800人にも満たない。F1マシンに乗ること自体が、大きな偉業といえる。
ジュニア・フォーミュラの世界で活躍できたとしても、ステップアップしたF1で更なる成功を収められるとは限らない。最高峰のレースで勝利を挙げるには、ドライバーの才能だけでなく、運やタイミング、競争力の高いマシンやチームに加わるといった要素も重要となる。そして大量の資金力も。
将来を有望視されていても、様々な理由で表彰台の頂点に立つことが許されなかったドライバーも少なくない。反面、経歴が少なくても勝利に必要なすべてが揃い、シャンパン・ファイトを味わったドライバーもいる。
ニュージーランド人のクリス・エイモンは優勝できなかったが、ベネズエラ人のパストール・マルドナードは表彰台に立っている。結果がすべてだ。
今回はそんな熾烈なF1で、一度のみの優勝を勝ち取った10名のドライバーを紹介してみよう。不足要員的な扱いを受けたドライバーもいれば、2度目の優勝も狙えながら命を落とした潜在的スーパースターもいる。無慈悲な運命に導かれた、最高峰の舞台で戦ったドライバーたち。
ヨアキム・ボニエ(1959年オランダGP)
教養の高かったスウェーデン人のヨアキム・ボニエは、幅広い分野で大きな成功を収めた。アルファ・ロメオ「ディスコ・ヴォランテ」でのアイスレースも有名だが、トップ争いに関わる機会は少なかったが、F1にも出場している。
1959年のオランダ・グランプリでは、BRM初のF1優勝を成し遂げている。世界最高峰の舞台では16回目のスタートで達成した優勝。その後も1971年までグランプリには参戦し続けた。レーサー引退後はプライベートチームを運営し、自らもドライバーとしてレースに参加し活躍している。
ボニエの活躍としては、数年間に渡って力を入れた、スポーツカーでの経歴の方が有名かもしれない。1960年にシチリア島で開かれたレース、タルガ・フローリオで、ハンス・ヘルマンとともにドライブしたポルシェ718で優勝。
2年後のアメリカ、セブリング12時間レースでは、ルシアン・ビアンキとともにフェラーリを駆って勝利している。また1970年には、ヨーロッパ2.0Lスポーツカー・チャンピオンシップでも優勝を挙げた。
しかし彼は1972年、ル・マンで命を断つ。彼のローラ・コスワースは、スイス人のアマチュアレーサー、フロリアン・フェッチがドライブするフェラーリと接触し、クラッシュしたのだ。ボニエがドライブするコスワースは衝撃でバリアを飛び越え、樹木へと衝突し大破した。
マニアな小ネタ
F1での活躍は振るわなかったが、ボニエはグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(選手会組織)の設立に重要な役割を果たした。またサーキットでの安全活動にも積極的だった。
ジャンカルロ・バゲッティ(1961年フランスGP)
イタリア、ミラノ生まれのジャンカルロ・バゲッティは、F1に参戦すると早々に優勝を挙げ、その後も長く称賛を得ると考えられていた。しかし実際は結果が振るわず、彼のキャリアも終わりを迎えてしまった。
F1デビュー戦に優勝を挙げたドライバーは、これまでに3名のみ。1950年のF1が始まった時に初めて優勝したジュゼッペ・ファリーナ。F1自体が初めてだったから、初参戦で優勝は当然でもある。同じ年にはジョニー・パーソンズが、F1のアメリカ・グランプリとの共催となったインディ500で、優勝をしている。
バゲッティは1961年のフランス・グランプリでフェラーリ156「シャークノーズ」をドライブし初優勝を挙げているが、デビューウィンはF1の歴史で10年以上の間をおいた快挙だった。しかしその後、残念にも再び勝利を挙げることはできなかった。
フランスでの優勝も、ダン・ガーニーがドライブする2位のポルシェ718との差はわずか0.1秒という僅差。1967年までキャリアを続けたバゲッティだが、初戦以降、表彰台に立つことすら叶わなかったのだ。
初優勝の翌年、1962年シーズンにはフェラーリからATSへと移籍しているバゲッティ。F1でのキャリアの終りが見えた移籍でもあった。
マニアな小ネタ
バゲッティはレースドライバー引退後はフォトグラファーとなり、プレイボーイ誌などで活躍していた。
ロレンツォ・バンディーニ(1964年オーストリアGP)
リビア生まれのイタリア人、ロレンツォ・バンディーニはレースドライバーとして完璧な素質を持っていた。まず名前の聞こえが速そうだ。しかもラテン気質は、ドライバーに向いていた。
スクーデリア・フェラーリのマネージャー、エウジェニオ・ドラゴーニによって、チームメイトのジョン・サーティースを差し置いて有名になったという経歴も面白い。確かに優れた才能を備えていたものの、F1でのステータスを登り詰めることはできなかった。
1964年、ツェルトベク飛行場をサーキットとしたオーストリア・グランプリで優勝を果たす。1966年、フランス・グランプリとアメリカ・グランプリでは、機械系の故障でリタイアするまでは、レースをリードしていた。
スポーツカーレースでも活躍しており、1963年のル・マンではルドヴィーコ・スカルフィオッティとともに優勝。1965年のシチリア島でのレース、タルガ・フローリオでは、ニーノ・ヴァッカレッラとともに勝利している。さらに1967年のデイトナ24時間とモンツァ1000kmでも優勝を挙げた。
1967年のモナコ・グランプリで、フェラーリ312をドライブ中にハーバーシケインでクラッシュ。バンディーニは大やけどを負い、悲劇的にも3日後に命を落としてしまう。彼の葬儀には10万人以上の参列者が集まったという。
マニアな小ネタ
皮肉にも事故死の1年前、映画グランプリの撮影に参加したバンディーニは、実際にクラッシュする同じ場所で、クラッシュシーンの撮影に参加していた。
リッチー・ギンサー(1965年メキシコGP)
タイミングとチーム次第では、F1でも充分に速いレーサーだったはずのリッチー・ギンサー。実際は自身が望まなかったであろう、責任の重い役割を果たすことになる。チームにとって完璧な「ナンバー2ドライバー」を命じられたのだった。
才能にも恵まれ、メカの理解力も高く、強い倫理観も備えていたギンサー。それを見抜かれ、1965年のメキシコ・グランプリではホンダのマシンをドライブし、自身としても、チーム・ホンダとしても初めての優勝を挙げる。しかし前年まで所属していたフェラーリやBRMでも、「ナンバー2」としてトップ争いに絡んできた。
アメリカ・カリフォルニア生まれのギンサーは、1967年にインディ500の出場を一度は狙うも、引退を決意する。フュエールラインの破損で、ギンサー自らがガソリン漬けになるという恐ろしい経験は、ドライバーから退く決意をしても当然の出来事だった。
ドライバー引退後はレースチームの運営やマシン開発に関わり、ポルシェやカンナムでレースで一時は復帰するものの、最終的にはメキシコに移り質素な暮らしを選択した。
マニアな小ネタ
リッチー・ギンサーは、ジェームズ・ガーナー演じるピート・アロンのチームメイト役「ジョン・ホガース」として映画「グランプリ」にも出演している。
ヨッヘン・マス(1975年スペインGP)
イケメンはF1では優勝できないというジンクスがあったが、それを覆したのが縮れ毛がトレードマークだったヨッヘン・マス。とはいっても、彼の才能のすべてを投じたF1では105回のスタートを切っているものの、優勝できたのは1回のみだった。
アルファロメオ・ジュリアGTでのヒルクライムでモータースポーツのキャリアが始まったヨッヘン。フォード・カプリRS2600でヨーロッパ・ツーリングカー選手権に出場後は、F-2にも参戦。1974年からはチーム・サーティースで苦闘のF1キャリアをスタートさせている。
1年後、マクラーレンへ移籍し、エマーソン・フィッティパルディの2番手としてドライバーを務める。フランス、ポール・リカール・サーキットと、アメリカ、ワトキンズ・グレン・サーキットでの走りは印象深い。
ヨッヘンがF1で初優勝を飾るのは、1975年のスペイン・グランプリ。バルセロナのモンジュイック通りを会場にした市街地コースは、安全性のずさんさから主催者にはレーススタート前から批判が寄せられていた。
実際、途中に観客5名を死亡させるクラッシュが発生し、29周でレースは中断。その時点で、ジャッキー・イクスを抑えてトップで走行していたのがヨッヘン・マスだった。
マニアな小ネタ
1976年のドイツ・グランプリでは、不運にも優勝を逃している。スリックタイヤでギャンブルに出るも、優勝したのはジェームズ・ハントだった。
続く5名は後編にて
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