百年に一度の「モビリティ革命」が進むなか、本来であれば「日本の基幹産業を守る」という目標へ向けて一丸となるべきはずが、どうにもチグハグに見える日本自動車界と大手メディア。競争も大事だけど協調も重要、そんな思いから、「自動車界」と「経済界」の双方に詳しいジャーナリストの池田直渡氏に、脱炭素やBEV社会に関しては、なぜこんな誤解やすれ違いが起きているのか、どう理解すべきかを、丁寧に、骨太に、語っていただく短期集中連載をお届けします。まずは「第一回」の前編をお届けします。
文/池田直渡、写真/ベストカー編集部、AdobeStock
「ニッポンBEV出遅れ論」に見る大手メディアの節穴具合と実情 【短期集中連載:第一回[前編] クルマ界はどこへ向かうのか】
■「日本の産業界は、またもや同じ過ちを繰り返すのか」
「世界はすでにBEVに舵を切った。日本の自動車産業だけが井の中の蛙で、世界の変化を受け入れず、旧来の利権構造にしがみついている。新しいプレイヤーを否定しバカにしている間に置いて行かれる構造は家電業界で見たばかり、日本の産業界はまたもや同じ過ちを繰り返すのか」
まあ一般的世論と大手メディアの言いたいことは、だいたいこういう論調である。これに膝を打つ方はご用心めされよ、というのが筆者のスタンスである。
最近だいぶ差が縮まりつつあるが、上に挙げたような論を、自動車メーカー関係者や自動車ジャーナリストなど、業界内部の人は、たいてい苦笑混じりに呆れて見ている。
業界の人間は「地域特性とインフラ普及に応じてマルチパスウェイにしていく以外に、移動の自由を確保する方法はない」と考えている。
そしてたぶん、双方とも、相手がなぜそう考えるか理解できていない。そういう乖離がどうして起こったのか、考察してみたい。
■「クルマの価格は5分の1になる」という永守会長の無茶な予言
この記事の中では、一方を「メディア世論」、筆者を含むもう一方を「業界論」として進めよう。もちろん個人個人でそれぞれの持つ論には差異があるけれど、右にあげた論を両者の代表として二項対立で扱うことをご理解いただきたい。
ほんの1、2年前まで「内燃機関(ICE)は完全に消滅し、まもなく世界のクルマはすべてBEVになる」という「メディア世論」が世界に満ちていた。というよりそれ以外の意見はほぼなかった。筆者は、「マルチパスウェイ」を主張する少数派として一所懸命否定してまわったつもりだが、多勢に無勢でいかんともできなかった。
今でも忘れられないが、2019年、当時BEV専門メディアとして注目を集め始めていた「EV Smart Blog」が、米メディア「Clean Technica」の記事を翻訳して「2022年までにバッテリー調達コストが劇的に下がって内燃機関車(ICE)に優る競争力を獲得する」という、いくらなんでもスケジュール的にあり得ない記事を拡散した。
単純な話、当時どころか今でさえ、ICEに拮抗して販売勢力図を塗り替えるほどの生産量を持つBEV工場は、地球上のどこにもないし、仮に建設が奇跡的速度だとしても5年はかかる。5年で人の確保・教育までして稼働させるのはもう計画としては杜撰と言えるレベルである。
3年という短期間では物理的に不可能だ。だから「今にもBEVに市場を奪われてICEのマーケットが崩壊する」かのごとき針小棒大な言い方には苦笑いするしかない。
現在テスラやトヨタではギガキャスト構造や自走式など組み立て工場の改革が進んでいるが、それでも3-5年で自動車工場を建設するというのは大変アクロバティックなこと(写真/AdobeStock)
この無茶な仮説を受けて「EVネイティブ」などの動画系インフルエンサーが、これをあたかも「確定した未来」であるかのように、堂々と自信満々に言いきってさらにバズらせた。そういう意味では「業界論」側がSNSと大手メディア戦略で敗北したのは事実だと思う。
2020年には日本電産(現ニデック)の永守重信会長が「2030年にクルマの価格は5分の1程度になる」と発言。こうしたBEVの驚異的低価格化論がBEV信者以外にも拡散して、世の中にかなり間違った未来像を蔓延させたのである。
結果をみれば「Clean Technica」が予言した2022年はおろか、現在に至るまで、彼らのいうBEVとICEの価格均衡はやってきていない。
むしろ「リン酸鉄バイポーラ」を開発するなど、懸命にバッテリーの価格低減技術について発表と説明を繰り返しているのは、彼らがいう守旧派の頭目たるトヨタである。
トヨタとスバルが共同開発したbZ4X。先日(2023.10.25)一部改良を実施し、KINTOなどリース販売だけでなく一般販売も開始した。価格は最安グレードで550万円から。補助金は都内在住の場合130万円程度。同車格のSUVと比べると、補助金を入れてもやや割高感がある
■「部品点数が少ないからBEVは安くなる」の嘘
永守会長のいう2030年はまだ先だが、推移を見るかぎりかなり厳しそうだ。そもそも永守会長の価格低減ストーリーは「すり合わせ型垂直統合から水平分業へのシフト」という筋立ての上に成り立っていた。
そもそもニデックの自動車分野での主要ビジネスは汎用eアクスルなので、自動車産業が水平分業にシフトしてくれなければ事業として成立しない。都合のいいストーリーを広めたかったのだろうと見られてもしかたない。
加えて、今日現在の現実を見れば、テスラにせよBYDにせよ、BEV勝ち組は、創業時から徹底した垂直統合型ビジネスを進めてきて、それで大きな成果をあげており、トヨタも今後それに追従する予定である。
垂直統合化は当時から十分に予想できた未来なのだが、不思議なことに、この手の破壊的イノベーション論は大抵足下の出来事を無視して、現実と符合しないのに広まるのである。
もうひとつ、誰もが耳にしているであろう説が、「BEVになれば部品点数がICEの3分の1になるから車両価格が安くなる」という話だ。
これもちょっと考えてみれば「だったら最初からBEVのほうがICEより安くなるはず」なのだ。実際のところ、BEVの価格を決めるのは部品点数ではなく、バッテリーの価格である。
そういう一見説得力がある「従来勢力にとって厳しい未来予想」が、「ぬるま湯否定の厳しい指摘」という、いわば良薬口に苦しに聞こえる。しかしその実態はこれまでいくつも数え上げてきたとおり「現実を踏まえていないミーム」である。苦いだけで薬効はない。それらがあちこちで散発的に発生していたので、議論がおかしな方向へと進んだのだ。
■「打ち上げ花火」が欲しくて5年前倒しした英国の現在
他にもこうしたミスリードは頻繁に起こっていた。
グローバルにも裏側の仕掛けが見えている例がある。例えば、3年前、英国のボリス・ジョンソン元首相は、もともと2040年ベースで検討を進めていた「ガソリンエンジン車の新車販売禁止」を、なんの技術的裏付けもないまま、突如2035年へ5年間前倒しした。
なぜそんな闇雲な前のめり発言をしたかと言えば、英国へのグローバルな投資の呼び込みのためである。いまや純粋な投資的見地からもリターンが悪いことが露見し、人気が急落したグリーン投資だが、3年前はまだ勢いがよかったのだ。
「その投資先は環境にいい企業か」は投資判断にとって最も重要な「ROI=投資収益率」とまったく相関性のない指標なので、よく考えてみればリターンが得られないのは当たり前の話だ。
ただ投資ファンドはその「ブーム」を作ることで、「早期に仕掛けたものだけは稼げる」という理屈で動いていたので、ジョンソン政権は、そうした投資を自国に呼び込むためのアドバルーンとして「我が国が環境対策に一番積極的です」という主張がしたかった。かつ2021年の国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)は英国グラスゴー開催。となれば、なにか派手な打ち上げ花火も欲しかった。
ブームに先行し、仕掛けた側は儲かるが、最終的にその株は高配当を産まない。いつか事業の先行き不振が誰の目にも明らかになり、株価は急落する。ゲームの構造がババ抜きである以上、最後にババを持っていた人は負ける。
シンデレラの馬車はやがてかぼちゃに戻るのだ。午前0時を過ぎた今、もう魔法は効かないので、英国の5年前倒し政策はいらなくなった。だからリシ・スナク現首相は前倒しを取り消して期限を5年、延長した。
「後編」へ続く
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みんなのコメント
BEVの良さ
それぞれあるのだから 対立するものではないのだけれど
相手を否定して自身の正当性を主張する論調が対立を生むのでしょう
国内生産拠点を死守し全方位で対応しようとしている日本の自動車業界は
電器業界の轍は踏まないと思います